無念!アフガン退避作戦

米軍の最終便に全米軍最後に搭乗する第82空挺師団長ダナヒュー少将(U.S. Army Major General Chris Donahue, commander of the 82nd Airborne Division, steps on board a C-17 transport plane as the last U.S. service member to leave Hamid Karzai International Airport in Kabul, Afghanistan August 30, 2021 in a photograph taken using night vision optics. XVIII Airborne Corps/Handout via REUTERS)ロイターより
無念!アフガン退避作戦
当たらない方が良かったのに、予想通りになってしまいました。
結局、自衛隊の在外邦人等輸送の作戦は、イスラマバードで待機しつつも時間切れで終了となりました。残念無念。
現地には、日本の大使館はじめ我が国機関の活動に協力していた現地アフガン人のスタッフ及びその家族など、タリバンからの迫害を恐れて国外退避を希望する500名近い方々を現地に残したまま、となりました。
各国の退避作戦の状況(後述)を見ると、やはり8月26日のテロ以前に退避を終えているものがほとんどです。前回のブログで言及しましたように、韓国の場合はテロ以前に避難者が空港に到着していたのでセーフだったようです。日本の作戦は、テロの起きた26日にまさに避難者をバスで空港へ輸送中、空港に着く前にテロが起きて、そこからてんやわんやの騒ぎとタリバンの厳戒態勢で空港への移動を断念しています。
もう1週間、動きが早かったなら・・・。いや、26日以降も27日中ならやり方があったのではないか、などとも思いますが、もはや仕方ないですね。
各国のアフガニスタンからの避難作戦の状況
2021年8月30日付ロイター「Factbox: Evacuations from Afghanistan by country」に、各国の自国民及びその協力者及び家族(アフガニスタン人)の退避が総括されています。8月30日時点の情報ながらそれ以後の退避作戦は事実上米軍の撤収のみだったので、この情報が各国の退避作戦の成果が整理されたものになっています。米国政府の8月28日(金)の発表では、米国と同盟国はカブール陥落前日の8月14日~28日までの間で計約113,500人を避難した、とのことです。
これを見ると、やはり26日のテロが起きる前に空港まで避難者が着いていた国はセーフ、間に合わなかったら、あとはもう困難、という分水嶺だと分かります。ちなみに、「27日までの間」と書いてある国も、自国に到着したのが27日等であって、現地発最終便はテロ以前に避難者が空港についていたものがほとんどです。
米国: 8月14日~28日の間、約5,400人の米国市民を避難。(筆者追記:協力アフガン人等も外数で相当数いるはずだが、ロイター記事では言及なし。30日夜に米軍は撤収。)残る米国市民のうち350人の退避を検討中。
英国: 8月14日~28日の間、約15,000人(アフガン人含む)を避難。28日夜に英軍は撤収。
カナダ: 8月26日までの間、約3,700人(アフガン人含む)を避難。
ドイツ: 8月26日までの間、約4,100人以上のアフガン人を含む5,347人を避難。残るドイツ市民約300人、協力アフガン人等約10,000人の退避を検討中。。
フランス: 8月27日までの間、2,600人以上のアフガニスタン人を含む約3,000人を避難。
イタリア: 8月27日までの間、4,890人のアフガン人を含む5,011人を避難。
スウェーデン: 8月27日までの間(現地発最終便は26日?)、約1,100人(アフガン人含む)を避難。
ベルギー: 8月26日までの間(最終便は25日夜)、約1,400人を避難。
アイルランド: 8月26日までの間、36人のアイルランド市民を避難。残る約60人のアイルランド市民、15人のアフガン人の退避を検討中。
ポーランド: 8月26日までの間、約900人(アフガン人を含む)を避難。
ハンガリー: 8月26日までの間、約540人(アフガン人を含む)を避難。
デンマーク: 8月25日までの間、約1,000人(同盟国人含む、アフガン人に言及なし)を避難。
ウクライナ: 8月28日までの間、約600人(外国人含む、アフガン人含むか言及なし)を避難。
オーストリア: 8月25日までの間、ドイツほかの他国に依頼し89人の自国民を避難。残る2・30人のアフガン人の退避を検討中。
スイス: 8月24日までの間、ドイツと米国に依頼し292人(アフガン人含む)を避難。残る15人の自国市民の避難を検討中。
オランダ: 8月26日までの間、2,500人(アフガン人含む)を避難。
スペイン: 8月27日までの間、1,898人のアフガン人含む約2,000人(欧州連合国人を含む)を避難。
トルコ: 8月27日までの間、1,000人の自国市民を含む少なくとも1,400人(アフガン人を含む)を避難。
カタール: 8月26日までの実績で、ドーハへの4万人以上の避難を支援。今後も支援を継続。
アラブ首長国連邦: 26日木曜までの実績で、約36,500人の難を支援。
インド: 8月27日までの間、565人(アフガン人を含む)を避難。
オーストラリア: 8月27日までの間(最終便は26日)、約4,100人(アフガン人を含む)を避難。残る約3,000人の避難を検討中。
ニュージーランド: 26日までの間(最終便は26日のテロ以前)、276人以上(アフガン人を含む)を避難。
8月26日のISによる自爆テロが分水嶺、28日以降は米軍も完全撤退態勢に
我が国の作戦は、26日は前述のようにテロで断念。自衛隊機はカブール空港から一旦イスラマバードへ戻って待機し、27日に1名の邦人及び10数名のアフガン人(他国からの依頼で自衛隊機に搭乗したとの情報あり)を自衛隊機で退避でき、これが作戦の最終便となりました。
やはり結果論ながら、26日の空港周辺でのISの自爆テロがデッドラインになったようですね。今回の日本の退避作戦は、26日に数台のバスで空港に前進していましたが、テロが起きてタリバンの厳重警戒が敷かれ、空港周辺に入れなくなり、やむなく断念。結局、これ以降はタリバンが首都カブール内、特に空港周辺を厳戒態勢にしたため、空港周辺はタリバンの警備、その外郭は空港へ入りたいアフガン人群衆により、バスをチャーターしても容易に入れない状態になったようです。
後から言っても仕方のないことながら、あと1週間早く活動開始していたら・・・、と今更ながら政府の読みの悪さと動きの遅さとGoを出すのが遅いことが悔やまれます。よしんば、1週間遅れで今回の活動開始の通りとなったとしても、テロは運が悪かったにしても、作戦を開始したからには、テロの後でも27日のワンチャンスを狙ってやれたことがあったのではないか、とも思います。
カブール陥落以降、事実上タリバンが実効支配しているわけですから、タリバン幹部と折衝をして、タリバンに今後の日本からの具体的な支援を条件に日本の退避作戦への理解と協力をお願いし、タリバン警備車両の先導でバスにタリバン兵も乗せて辻々のタリバンの検問を通過して空港へ入構する・・・という手は追求できたように思います。日本政府としてタリバンを正統な政府として認める云々という話はややこしい問題になるので、人畜無害な緊急食糧支援とか医薬品や医療資機材の緊急援助という話なら後付けでできたはず。アフガンに引き続き残る日本人がいる以上、日本大使館も完全撤収せずに、最低限の要員を残すので、今後ともタリバンと調整する話は絶対にあるわけですから、タリバンとの調整系統を設定するはずです。今回の退避作戦の機会に、大使館の要員がタリバンとしっかり握れば、上記のような話もできたはず。だって、空港のゲートまで行けば、事前の調整により米軍がゲートを開けて中にバスは入れるわけで、バスによる空港入構作戦が成功すれば後は自衛隊機による空輸だけだったはずです。
恐らくは、大使館の要員は「タリバンを正統な政府として認めていない」とか「国を代表する組織・機関が存在しない状態」だとか頭の堅いアホな理屈で、「折衝をしない」という方針だったのかも知れません。外務省にありがちなことです。表向きはそうでしょうけど、危機における緊急措置ってのは、在外邦人保護の責務のある大使館の領事部門の方々は裏方の仕事として、アフガン人のコネクションを使ってあの手この手の方策をとっていたはずです。ただ、後でそうした話が出た際に、政府として説明ができないようなことを避けたがる大使とか本省の許可のレベルでGoが出ないということはよくある話です。或いはリスクが高くて(タリバンが信頼できない、など)Goがなかなか出ない、とか。いろいろやったと思いますよ。ただ、結局はGoが出なかった、遅かった、ということでしょう。結局は、前回の私のブログで申し上げたように、「時間切れ」終了。もはや、27日までが退避作戦の可能な期間で、28日以降は頼りの米軍が撤収モードに入りました。特に、26日のテロ以降、米軍は他国軍からの退避作戦の支援はほとんど終了し、ガチガチに警備のレベルを上げて、撤収に向けて持ち帰るのは最低限の資機材だけで、その他現地に残置するブラックホークなどのヘリや装甲車両などは操縦や無線機の主要な部分を爆破して無力化して破棄しました。そうなりそうだという情報も耳に入っていたのでしょう、27日の段階で岸防衛大臣が「事実上27日までかも」という退避作戦の期限を明らかにしていましたから。あれは官僚の下書きはなく、大臣がご自分の考えで言うべきと捉えて記者に答えたものだと推察します。お言葉通り、27日が退避作戦のデッドラインだったのでしょう。
いずれにせよ、米軍は表向き「31日まで」としつつ、30日夜に最終便で全ての米軍部隊を撤収しました。31日朝、もぬけの空の状態であることに気づいたタリバンが、逐次に空港内に浸食し、やがて米軍は既に去ったことを理解したわけです。タリバンは31日の夜に祝砲として空港上空に向けて銃や砲を撃って喜んでいましたね。あれって、放物線を描いて実弾がどこかに落ちているんですよ。ケガ人も出たはず。バカな奴らですね。
現地に大使館機能を維持して残留協力者を保護し国外退避を追求する責任あり
何はともあれ、まだ現地に残る国外退避希望の協力者については、現地に日本大使館を維持して責任をもって国外退避の機会を追求してやるべきでしょう。「カタールに在アフガン日本大使館の機能を移す」なんて官僚らしい安全パイな方策を取ったようですが、一部の機能をカタールに移すのはいいですが、現地のカブールに大使館機能は断固維持すべきです。タリバンだって、在外公館の安全を保障してますよ。怖いでしょうけど、現地に日本人が残っている以上、大使館がここで逃げてはいけない。正規ビザ発給と出国手続きへのアテンドなど、タリバンに国外退避希望者がボコられないように、日本の大使館員等がアテンドして保護してやらないといけません。勿論、タリバン側がこいつはダメと許可してくれない人もいるでしょう。それは仕方がない。それでも、一定数の国外退避希望者は救えるはずです。少なくとも、協力してくれたアフガン人たちの保護をするのは我が国の責務ですよ。
(了)


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