「習近平の野望」とは?
「防衛白書」をザックリ解説: ⑦中国に対する情勢認識(後編)
「習近平の野望」とは?
○ 前回からの続き、後編です。
前後編のくせに後編が遅くなりましてスミマセン。
後編では白書とは違った観点から中国情勢を斬新にまとめられた「中国人民解放軍の全貌 - 習近平 野望実現の切り札 -」の内容をザックリ紹介します。元陸自東部方面総監渡部悦和元陸将が今年5月に出版された本ですが、同氏が米国のハーバード大学アジアセンターでシニアフェローとして研究をされていた際の、米国内の研究者・専門家の分析や議論、彼らとの意見交換等を通じてご自身の考えをまとめており、大変参考になります。

<「中国人民解放軍の全貌」のポイント>
① 習近平の野望は「偉大なる中華民族の復興」=世界一の大国になること。
人民解放軍はそのための主要な手段。
② 人民解放軍はここ20年で近代化と増強が顕著。
特に、海空軍をはじめロケット軍、サイバー、電子戦、宇宙戦など
幅広い分野で軍備増強。
③ ハイテク装備の開発・生産・運用の進展著しく、AI、スーパーコンピュータ、
無人化兵器などの分野で一部は米軍をも凌駕。
④ 但し、統合作戦能力等の戦闘力の総合的な発揮において米軍に遠く及ばず。
また、開発兵器も他国のコピーであって質的に劣る。
されど日々その差を縮めているを忘れるべからず。
⑤ 野望の阻害要因(国内)
習近平の政策推進のための独裁や国内統制の強化は、
国家国民の力を衰えさせ没落させる可能性あり
⑥ 野望の阻害要因(対世界)
中国が経済力と軍事力をタイアップさせて覇権を強めることは
必然的に米中衝突の危険性を高める。
また、中国が国際社会に対する大国としての責任(国際秩序に対する
公共財の提供など)を果たさずに自国国益のみ追求する利己的行動に
終始することは、各国の利己的行動を助長し国際秩序が崩れ混沌化
する危険性を高める。
<解説>
① 習近平の野望
「偉大なる中華民族の復興」とは、清朝最盛期の版図を念頭に置いた大中華帝国の再興を意味するらしく、具体的には、北東から東南へのラインはハバロフスク地方(ロシア)、サハリン、沿海州、朝鮮半島、琉球、台湾、東沙・南沙群島、インドシナ半島(シンガポールまで)、南から北西のラインはビルマ、アッサム地方、ブータン、ネパール、パミール高原(タジキスタン)、アルマータ(キルギス)、セミパラチンスク(カザフスタン)、モンゴル、に至るまでの広大な大帝国です。但し、現実的には、これらを全て自国領土とするというのではなく、直接的影響下、覇権下に置く、ということだと思います。その有力な手段として、世界第二位の経済力と米軍に迫る勢いで軍備拡大を続ける人民解放軍というツールを駆使する、というのが中国共産党の党大会での習近平の演説から読み取れます。
渡部元総監が注目しているのは、中国の現実的かつしたたかな覇権思考です。中国は、決してイケイケの軍事的侵略行為をしたり、冷戦期の米ソ対決のようなグローバルな米国との対決を望んでおらず、前述の広大な大中華帝国の範囲での影響力確保のための、情報優勢下における局地的戦争に勝利できる「強い人民解放軍」を実現し保持することを追求しているのだ、と渡部元総監は見ています。こうした世界に冠たる覇権態勢を保持できれば、イコール世界一の大国の実現である、という現実的な野望なのです。
② 人民解放軍の近代化と軍備増強
渡部元総監の見立てでは、中国は1990年の湾岸戦争における米軍主導の戦争遂行により、軍事における情報革命(RMA)というものの圧倒的な威力と中国人民解放軍との歴然たる格差に愕然とし、これが人民解放軍の徹底的な立て直しの契機になった、ということです。当時の人民解放軍は、改革開放政策の影響で軍備縮小も行われ、軍の士気が落ちていた時期でもあり、近代軍と言うには甚だお粗末な状況であったことを猛省した、といいます。習近平は、C4ISR能力と指揮通信に着目して近代化するとともに、軍管区制度に着目。陸軍の方面軍の境界としての「軍区」から、陸海空の統合軍の作戦責任区分としての「戦区」へと大変革し、軍としての指揮統制も近代統合軍としてのそれに構造改革しました。独裁者習近平ならではのトップダウンでの大改革であり、決して現場の意見を汲上げるようなボトムアップではできない徹底的な構造改革ですね。自衛隊の場合、後者のボトムアップに近く、さまざまな意見が交錯して陸海空の統合化すら道半ばですからね。逆に羨ましい。
加えて、習近平は海空軍をはじめロケット軍、サイバー、電子戦、宇宙戦など幅広い分野で軍備増強を進めました。語りだすと非常に長くなるので細部は割愛しますが、最新鋭装備を装備した幅広い分野のバランスが取れた総合的な近代軍になりつつあることは間違いありません。この際、コピー装備が多いので質的には見劣りするところがありますが、数的(量的)優勢は馬鹿にできません。今や、所謂A2D2、「第2列島線の接近阻止・領域拒否」の能力を持ちつつあるのです。ここで、注目すべきは、火を吹いて戦う勇ましい戦闘能力のみならず、戦略支援部隊として、宇宙戦、情報戦、サイバー戦などの「目にはさやかに見えねども現代戦において確実に戦勝を支配する基盤となる分野」について幅広く増強していることです。実は、この領域において自衛隊は大きく差をつけられ、米軍さえ部分的に凌駕する勢いです。宇宙戦においては、ASAT(Anti-Satellite Weapon)、すなわち米国の軍事衛星を先制攻撃で無効化する作戦能力を米軍を凌ぐ世界最高水準で保有しています。2007年には自国の人工衛生をミサイルで撃破する実験に成功。この際、大量の宇宙デブリを出して世界から非難されたので最近は低軌道での実験や非破壊の実験に変更しています。また、情報戦、サイバー戦においては、作戦初期の段階での電磁スペクトラム(Electro-magnetic Spectrum)ドメインの支配が戦勝の基盤であると位置付け、これを統合ネットワーク電子戦(INEW)と名付けて最重視しています。電磁スペクトラムドメインを巡る戦い、あまり聞き馴れない言葉だと思いますが、今や米軍が最も力をいれている分野でもあり、我が自衛隊でもようやく今年の白書から今後力をいれて取り組む分野として謳い始めました。電磁スペクトラムとは、超低周波から赤外線、可視光線、更に高周波のガンマ線に至るまでの全周波数帯を駆使して、通信、レーダー、電子戦などで敵の活動の妨害・破壊を図るとともに我が情報優越を図るというものです。中でも、中国のサイバー戦能力は、ロシア同様米国にとって強敵となっています。中国のサイバー戦のえげつなさは、軍レベルというよりも国家レベルで、本来自由な空間であるはずのサイバー空間において自国民・企業をも徹底的な管理・統制下に置いている点です。この国家ぐるみのサイバー戦において、中国のサイバー空間に仇なす敵、要するに侵入してきたサイバー攻撃に対して徹底的に反撃してボコボコにする積極防御と、更に敵となるであろう目標に対して先制サイバー攻撃をかけることが特徴です。数千人のサイバー戦部隊が、サイバー戦防護のみならず、指揮、統制、通信、コンピュータ、情報、監視、偵察、スパイ行為、サイバー攻撃などに従事しています。国家ぐるみというからには軍のみならず、主として軍から民間企業に鞍替えしたテクノクラートの存在も大きいものがあります。例えば、先頃米国からの要請でカナダで副社長を逮捕された中国の大手通信機器会社ファーウェイ社の創業者かつ経営者は軍OBです。ファーウェイ社のシステムを採用している国家や企業も多いですが、米国はファーウェイ社が自社製品を通じてシステム情報のバックドアを仕掛けている、と警戒しています。怖いですね。コストの安さで抜きん出ている中国のハイテク製品ですが、国家ぐるみのサイバー戦を遂行している懸念は拭えませんね。ちなみに私は絶対に情報通信機材に中国製は使いません。ちょっぴりコストが張りますが日本製が何よりです。

電磁スペクトラムの概念図
③ ハイテク装備の開発・生産・運用
中国は各国の最新鋭装備の機密情報を盗んでコピー装備を作っている、としばしば指摘されます。例えば、中国自慢の最新鋭戦闘機J-20「殲-20」は米空軍のF-22やF-35の機密情報をスパイ活動やサイバー戦で窃取したとしか思えない技術を駆使しています。この背景について一言。

J-20
習近平は「軍民融合」を提唱し、民間高度技術を軍用に活用するスピンインと、軍事先端技術を民用に活用するスピンオフの、軍産複合体的なウィンウィン関係を国家ぐるみで形成しています。特に、AI、スーパーコンピュータ、無人化兵器などの分野では、一部は米軍をも凌駕するとまで言われる域に達しています。このため、前述したようなスパイ活動やサイバー戦を駆使した情報収集を、あの手この手で手段を選ばぬ死に物狂いで獲得しようとしています。
しかし、そうした盗用のみならず、実力も付いてきていることも語らないと片手落ちでしょう。我が文部省の科学技術振興機構の調査では、科学技術の学術論文においてはまさに米中2強時代。世界の学者に引用された回数で言えば、中国は数学、コンピュータ、化学、材料科学の分野において、米国が物理、環境・地球科学、臨床医学、基礎生命科学の分野において首位を分けた、ということです。これに加え、今やIT産業の世界では、アリババ、バイドゥ、テンセント等の中国企業が世界のITの覇権を競っており、彼らの持つビックデータでのアクセスメリットを背景にして、中国の最新鋭装備の開発・生産・運用に国家ぐるみで軍産一体化して協力しているわけです。
④ 統合作戦能力やコピー装備など、総合戦闘力においての質的に見劣り
しかしながら、コピー装備の例のように、外見上や基礎的な性能としてコピー元に近い性能を持ったとしても、そこは所詮コピー装備なので、コピー元の装備が開発の中で試行錯誤を経てここに至った経験値や精密製造ノウハウや材料の精度の差が、如実に性能差に現れます。端的な例では、戦闘機のエンジンですね。なんぼコピーしても逆立ちしてもコピー元が有する出力が出せません。結局、戦闘機のエンジンはロシアの戦闘機Su-27やSu-30のエンジンであるAL-31を輸入して賄っている模様です。
ことほど斯様に、作戦能力においても、例えば海軍の空母もそうですが、ロシアから購入して空母を持ったら空母として戦えるのか、というと現実は甘くありません。中国は空母を持ってから、空母として戦える勉強と訓練を重ねています。まだ道半ば。装備のアセットだけでなく、それを運用する人の経験や練度、運用ノウハウなどのソフトウェアの分野も運用できるレベルにならないと戦えません。これは、陸海空の統合作戦能力においても同様。まだまだ総合的に見て米国には遠く及びません。

大連に停泊中の遼寧
しかし、なめてはいけないのが、中国は米国にグローバルな対立で勝とうと思っていないこと、すなわち、標榜しているのは「情報優越下の局地戦における勝利」ですから。例えば、南沙群島で、局地的かつ一時的に情報優越を確保し、そのもとでフィリピンやベトナムなどに対し有利に戦闘を展開し、局地的に既成事実を作ってしまえば既得権益的な強い影響力を確保できるわけです。
今見てきたような人民解放軍の最新鋭装備や軍備増強は米国には見劣りするとしても、中国周辺という地の利を得て、十分に局地的優勢を確保できるし、かつ、その差も日々縮めつつあるのです。ここが中国の怖いところですね。
⑤ 野望の阻害要因(国内)
習近平の野望の障害となる、或いはその実現を挫く要因にはどのようなものがあるか、という課題について、渡部元総監は対国内と対世界とに区分して強調しています。
まず国内から。
習近平は、自己の政策を推進するため、ここ数年では特に顕著に独裁色を強め、国家政府のみならず企業や国民に対してその監視・管理下に置き、統制を強化しています。これについて、渡部元総監は、この統制強化は中国の国家国民の力を衰えさせ没落させる可能性あり、と指摘しています。
これは、もともと米国のイアン・ブレマー氏が、サダム・フせインを取り除いた後のイラクについて、開放度が高まったが社会は不安定化していることを説明する際のJカーブ理論を背景としています。社会の開放度を横軸に左に低~右に高とし、社会の安定度を縦軸に下が不安定~上に安定とした場合、各国の状況により「J」の字のように表現できる、というものです。J字カーブの右上には、米国や日本などの先進国・成熟した民主主義国があり、社会の開放度は高く安定度も高い状態です。他方、J字の左端には北朝鮮や崩壊前のイラクのように社会は国家の強い管理統制下に置かれているが、社会は逆説的に安定している状態です。J字の底の部分には、サダム・フせイン政権が取り除かれた後のイラクのように、サダム・フせインの独裁的管理統制が解かれて幾分開放的になったものの、逆説的にサダムなき後の社会はタガがはずれて不安定になりました。問題は、中国です。イラクよりは右に位置していますが、米国や日本ほど右にありませんので、J字の右側のように、右肩上がりに上がって行くカーブを描いたどこかに居るわけです。解放度を上げれば社会安定へ右肩上がりするものの、開放度を下げれば、すなわち管理統制を強めれば社会の安定度も発展度も下がることになります。習近平は、ここ数年で独裁色を高め社会を管理統制下に置こうとしています。よって、開放度が下がることで社会一般は不安定化し国力は衰える、というわけです。
理論はともかく、実態で考えてみましょう。中国人は今や経済アニマルと化し、お金を求めて事業をしたり海外旅行をしたり国際的なビジネスをしたり、という状況です。ところが近年、習近平の野望実現に向け、以前と比し統制強化の方向です。インターネットへのアクセスしかり、今後益々統制が強められると、自由な企業活動、海外旅行、国際ビジネス等は困難になり、右肩上がりの経済発展を続けてきた中国の勢いは、習近平の思いと反して勢いが陰るでしょう。こういうことですね。
⑥ 野望の阻害要因(対世界)
次いで、対外の要因です。
渡部元総監は、米国の著名な学者グレアム・アリソン氏とジョセフ・ナイ氏の主張を根拠に二つの警鐘を鳴らしています。まず、第一に「中国が経済力と軍事力をタイアップさせて覇権を強めることは必然的に米中衝突の危険性を高める」ということ。また、第二に「中国が国際社会に対する大国としての責任(国際秩序に対する公共財の提供など)を果たさずに自国国益のみ追求する利己的行動に終始することは、各国の利己的行動を助長し国際秩序が崩れ混沌化する危険性を高める」ということです。
前者は十分に考えられることですね。米中危機をテーマにした本や議論は皆さんの関心も非常に高いところです。アリソン氏は、台頭する新興覇権国と既存の覇権国は不可避的に戦争に至る危険性がある、という論者です。ペロポネソス戦争の太古から現代まで、それを歴史が示しているという議論です。
他方、後者は「へぇー・・・」という分かったような分からないような話です。ナイ氏によれば、「第一次世界大戦と第二次世界大戦の戦間期に、英国から大国としての地位を引き継いだはずの米国が、国際社会に対する大国としての責任ある立場を避け、自国の内政に専念し、国際社会に国際秩序維持のための公共財を提供しなかったことが、傲慢なナチの台頭を許し、宥和政策でなだめようとして機を逸し、世界大戦の惨禍を招いた」という考えが中国にも適用できるのではないか、という指摘です。複雑な理論ですが、現在の中国が利己的に振る舞い、大国としての責任を果たしていないというのは当たっているかも知れません。あれ?トランプも十分利己的ですが・・・。
<まとめ>
渡部元総監の言わんとしていることは、お分かりいただけたでしょうか?
要するに、
・中国は猛烈な勢いで軍事力を増強しつつある。
・中国の軍事力は、未だ米国には勝らないものの、日々力をつけているので、決して侮るべからず。
・中国は、中国周辺における局地的優勢を積み上げて既得権益も積み上げ、じわじわ影響力を広げている。
・中国の新興覇権国としての台頭は米中衝突に至る危険性あり。また、大国としての責任を果たさない利己的行動は国際秩序を乱す危険性がある。
というのが渡部元総監の警鐘です。
これらの警鐘を耳に残しつつ、他の方々のご指摘にも耳を傾け、国際情勢をウォッチする際の参考にしていただければ幸いです。
(了)


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「習近平の野望」とは?
○ 前回からの続き、後編です。
前後編のくせに後編が遅くなりましてスミマセン。
後編では白書とは違った観点から中国情勢を斬新にまとめられた「中国人民解放軍の全貌 - 習近平 野望実現の切り札 -」の内容をザックリ紹介します。元陸自東部方面総監渡部悦和元陸将が今年5月に出版された本ですが、同氏が米国のハーバード大学アジアセンターでシニアフェローとして研究をされていた際の、米国内の研究者・専門家の分析や議論、彼らとの意見交換等を通じてご自身の考えをまとめており、大変参考になります。

<「中国人民解放軍の全貌」のポイント>
① 習近平の野望は「偉大なる中華民族の復興」=世界一の大国になること。
人民解放軍はそのための主要な手段。
② 人民解放軍はここ20年で近代化と増強が顕著。
特に、海空軍をはじめロケット軍、サイバー、電子戦、宇宙戦など
幅広い分野で軍備増強。
③ ハイテク装備の開発・生産・運用の進展著しく、AI、スーパーコンピュータ、
無人化兵器などの分野で一部は米軍をも凌駕。
④ 但し、統合作戦能力等の戦闘力の総合的な発揮において米軍に遠く及ばず。
また、開発兵器も他国のコピーであって質的に劣る。
されど日々その差を縮めているを忘れるべからず。
⑤ 野望の阻害要因(国内)
習近平の政策推進のための独裁や国内統制の強化は、
国家国民の力を衰えさせ没落させる可能性あり
⑥ 野望の阻害要因(対世界)
中国が経済力と軍事力をタイアップさせて覇権を強めることは
必然的に米中衝突の危険性を高める。
また、中国が国際社会に対する大国としての責任(国際秩序に対する
公共財の提供など)を果たさずに自国国益のみ追求する利己的行動に
終始することは、各国の利己的行動を助長し国際秩序が崩れ混沌化
する危険性を高める。
<解説>
① 習近平の野望
「偉大なる中華民族の復興」とは、清朝最盛期の版図を念頭に置いた大中華帝国の再興を意味するらしく、具体的には、北東から東南へのラインはハバロフスク地方(ロシア)、サハリン、沿海州、朝鮮半島、琉球、台湾、東沙・南沙群島、インドシナ半島(シンガポールまで)、南から北西のラインはビルマ、アッサム地方、ブータン、ネパール、パミール高原(タジキスタン)、アルマータ(キルギス)、セミパラチンスク(カザフスタン)、モンゴル、に至るまでの広大な大帝国です。但し、現実的には、これらを全て自国領土とするというのではなく、直接的影響下、覇権下に置く、ということだと思います。その有力な手段として、世界第二位の経済力と米軍に迫る勢いで軍備拡大を続ける人民解放軍というツールを駆使する、というのが中国共産党の党大会での習近平の演説から読み取れます。
渡部元総監が注目しているのは、中国の現実的かつしたたかな覇権思考です。中国は、決してイケイケの軍事的侵略行為をしたり、冷戦期の米ソ対決のようなグローバルな米国との対決を望んでおらず、前述の広大な大中華帝国の範囲での影響力確保のための、情報優勢下における局地的戦争に勝利できる「強い人民解放軍」を実現し保持することを追求しているのだ、と渡部元総監は見ています。こうした世界に冠たる覇権態勢を保持できれば、イコール世界一の大国の実現である、という現実的な野望なのです。
② 人民解放軍の近代化と軍備増強
渡部元総監の見立てでは、中国は1990年の湾岸戦争における米軍主導の戦争遂行により、軍事における情報革命(RMA)というものの圧倒的な威力と中国人民解放軍との歴然たる格差に愕然とし、これが人民解放軍の徹底的な立て直しの契機になった、ということです。当時の人民解放軍は、改革開放政策の影響で軍備縮小も行われ、軍の士気が落ちていた時期でもあり、近代軍と言うには甚だお粗末な状況であったことを猛省した、といいます。習近平は、C4ISR能力と指揮通信に着目して近代化するとともに、軍管区制度に着目。陸軍の方面軍の境界としての「軍区」から、陸海空の統合軍の作戦責任区分としての「戦区」へと大変革し、軍としての指揮統制も近代統合軍としてのそれに構造改革しました。独裁者習近平ならではのトップダウンでの大改革であり、決して現場の意見を汲上げるようなボトムアップではできない徹底的な構造改革ですね。自衛隊の場合、後者のボトムアップに近く、さまざまな意見が交錯して陸海空の統合化すら道半ばですからね。逆に羨ましい。
加えて、習近平は海空軍をはじめロケット軍、サイバー、電子戦、宇宙戦など幅広い分野で軍備増強を進めました。語りだすと非常に長くなるので細部は割愛しますが、最新鋭装備を装備した幅広い分野のバランスが取れた総合的な近代軍になりつつあることは間違いありません。この際、コピー装備が多いので質的には見劣りするところがありますが、数的(量的)優勢は馬鹿にできません。今や、所謂A2D2、「第2列島線の接近阻止・領域拒否」の能力を持ちつつあるのです。ここで、注目すべきは、火を吹いて戦う勇ましい戦闘能力のみならず、戦略支援部隊として、宇宙戦、情報戦、サイバー戦などの「目にはさやかに見えねども現代戦において確実に戦勝を支配する基盤となる分野」について幅広く増強していることです。実は、この領域において自衛隊は大きく差をつけられ、米軍さえ部分的に凌駕する勢いです。宇宙戦においては、ASAT(Anti-Satellite Weapon)、すなわち米国の軍事衛星を先制攻撃で無効化する作戦能力を米軍を凌ぐ世界最高水準で保有しています。2007年には自国の人工衛生をミサイルで撃破する実験に成功。この際、大量の宇宙デブリを出して世界から非難されたので最近は低軌道での実験や非破壊の実験に変更しています。また、情報戦、サイバー戦においては、作戦初期の段階での電磁スペクトラム(Electro-magnetic Spectrum)ドメインの支配が戦勝の基盤であると位置付け、これを統合ネットワーク電子戦(INEW)と名付けて最重視しています。電磁スペクトラムドメインを巡る戦い、あまり聞き馴れない言葉だと思いますが、今や米軍が最も力をいれている分野でもあり、我が自衛隊でもようやく今年の白書から今後力をいれて取り組む分野として謳い始めました。電磁スペクトラムとは、超低周波から赤外線、可視光線、更に高周波のガンマ線に至るまでの全周波数帯を駆使して、通信、レーダー、電子戦などで敵の活動の妨害・破壊を図るとともに我が情報優越を図るというものです。中でも、中国のサイバー戦能力は、ロシア同様米国にとって強敵となっています。中国のサイバー戦のえげつなさは、軍レベルというよりも国家レベルで、本来自由な空間であるはずのサイバー空間において自国民・企業をも徹底的な管理・統制下に置いている点です。この国家ぐるみのサイバー戦において、中国のサイバー空間に仇なす敵、要するに侵入してきたサイバー攻撃に対して徹底的に反撃してボコボコにする積極防御と、更に敵となるであろう目標に対して先制サイバー攻撃をかけることが特徴です。数千人のサイバー戦部隊が、サイバー戦防護のみならず、指揮、統制、通信、コンピュータ、情報、監視、偵察、スパイ行為、サイバー攻撃などに従事しています。国家ぐるみというからには軍のみならず、主として軍から民間企業に鞍替えしたテクノクラートの存在も大きいものがあります。例えば、先頃米国からの要請でカナダで副社長を逮捕された中国の大手通信機器会社ファーウェイ社の創業者かつ経営者は軍OBです。ファーウェイ社のシステムを採用している国家や企業も多いですが、米国はファーウェイ社が自社製品を通じてシステム情報のバックドアを仕掛けている、と警戒しています。怖いですね。コストの安さで抜きん出ている中国のハイテク製品ですが、国家ぐるみのサイバー戦を遂行している懸念は拭えませんね。ちなみに私は絶対に情報通信機材に中国製は使いません。ちょっぴりコストが張りますが日本製が何よりです。

電磁スペクトラムの概念図
③ ハイテク装備の開発・生産・運用
中国は各国の最新鋭装備の機密情報を盗んでコピー装備を作っている、としばしば指摘されます。例えば、中国自慢の最新鋭戦闘機J-20「殲-20」は米空軍のF-22やF-35の機密情報をスパイ活動やサイバー戦で窃取したとしか思えない技術を駆使しています。この背景について一言。

J-20
習近平は「軍民融合」を提唱し、民間高度技術を軍用に活用するスピンインと、軍事先端技術を民用に活用するスピンオフの、軍産複合体的なウィンウィン関係を国家ぐるみで形成しています。特に、AI、スーパーコンピュータ、無人化兵器などの分野では、一部は米軍をも凌駕するとまで言われる域に達しています。このため、前述したようなスパイ活動やサイバー戦を駆使した情報収集を、あの手この手で手段を選ばぬ死に物狂いで獲得しようとしています。
しかし、そうした盗用のみならず、実力も付いてきていることも語らないと片手落ちでしょう。我が文部省の科学技術振興機構の調査では、科学技術の学術論文においてはまさに米中2強時代。世界の学者に引用された回数で言えば、中国は数学、コンピュータ、化学、材料科学の分野において、米国が物理、環境・地球科学、臨床医学、基礎生命科学の分野において首位を分けた、ということです。これに加え、今やIT産業の世界では、アリババ、バイドゥ、テンセント等の中国企業が世界のITの覇権を競っており、彼らの持つビックデータでのアクセスメリットを背景にして、中国の最新鋭装備の開発・生産・運用に国家ぐるみで軍産一体化して協力しているわけです。
④ 統合作戦能力やコピー装備など、総合戦闘力においての質的に見劣り
しかしながら、コピー装備の例のように、外見上や基礎的な性能としてコピー元に近い性能を持ったとしても、そこは所詮コピー装備なので、コピー元の装備が開発の中で試行錯誤を経てここに至った経験値や精密製造ノウハウや材料の精度の差が、如実に性能差に現れます。端的な例では、戦闘機のエンジンですね。なんぼコピーしても逆立ちしてもコピー元が有する出力が出せません。結局、戦闘機のエンジンはロシアの戦闘機Su-27やSu-30のエンジンであるAL-31を輸入して賄っている模様です。
ことほど斯様に、作戦能力においても、例えば海軍の空母もそうですが、ロシアから購入して空母を持ったら空母として戦えるのか、というと現実は甘くありません。中国は空母を持ってから、空母として戦える勉強と訓練を重ねています。まだ道半ば。装備のアセットだけでなく、それを運用する人の経験や練度、運用ノウハウなどのソフトウェアの分野も運用できるレベルにならないと戦えません。これは、陸海空の統合作戦能力においても同様。まだまだ総合的に見て米国には遠く及びません。

大連に停泊中の遼寧
しかし、なめてはいけないのが、中国は米国にグローバルな対立で勝とうと思っていないこと、すなわち、標榜しているのは「情報優越下の局地戦における勝利」ですから。例えば、南沙群島で、局地的かつ一時的に情報優越を確保し、そのもとでフィリピンやベトナムなどに対し有利に戦闘を展開し、局地的に既成事実を作ってしまえば既得権益的な強い影響力を確保できるわけです。
今見てきたような人民解放軍の最新鋭装備や軍備増強は米国には見劣りするとしても、中国周辺という地の利を得て、十分に局地的優勢を確保できるし、かつ、その差も日々縮めつつあるのです。ここが中国の怖いところですね。
⑤ 野望の阻害要因(国内)
習近平の野望の障害となる、或いはその実現を挫く要因にはどのようなものがあるか、という課題について、渡部元総監は対国内と対世界とに区分して強調しています。
まず国内から。
習近平は、自己の政策を推進するため、ここ数年では特に顕著に独裁色を強め、国家政府のみならず企業や国民に対してその監視・管理下に置き、統制を強化しています。これについて、渡部元総監は、この統制強化は中国の国家国民の力を衰えさせ没落させる可能性あり、と指摘しています。
これは、もともと米国のイアン・ブレマー氏が、サダム・フせインを取り除いた後のイラクについて、開放度が高まったが社会は不安定化していることを説明する際のJカーブ理論を背景としています。社会の開放度を横軸に左に低~右に高とし、社会の安定度を縦軸に下が不安定~上に安定とした場合、各国の状況により「J」の字のように表現できる、というものです。J字カーブの右上には、米国や日本などの先進国・成熟した民主主義国があり、社会の開放度は高く安定度も高い状態です。他方、J字の左端には北朝鮮や崩壊前のイラクのように社会は国家の強い管理統制下に置かれているが、社会は逆説的に安定している状態です。J字の底の部分には、サダム・フせイン政権が取り除かれた後のイラクのように、サダム・フせインの独裁的管理統制が解かれて幾分開放的になったものの、逆説的にサダムなき後の社会はタガがはずれて不安定になりました。問題は、中国です。イラクよりは右に位置していますが、米国や日本ほど右にありませんので、J字の右側のように、右肩上がりに上がって行くカーブを描いたどこかに居るわけです。解放度を上げれば社会安定へ右肩上がりするものの、開放度を下げれば、すなわち管理統制を強めれば社会の安定度も発展度も下がることになります。習近平は、ここ数年で独裁色を高め社会を管理統制下に置こうとしています。よって、開放度が下がることで社会一般は不安定化し国力は衰える、というわけです。
理論はともかく、実態で考えてみましょう。中国人は今や経済アニマルと化し、お金を求めて事業をしたり海外旅行をしたり国際的なビジネスをしたり、という状況です。ところが近年、習近平の野望実現に向け、以前と比し統制強化の方向です。インターネットへのアクセスしかり、今後益々統制が強められると、自由な企業活動、海外旅行、国際ビジネス等は困難になり、右肩上がりの経済発展を続けてきた中国の勢いは、習近平の思いと反して勢いが陰るでしょう。こういうことですね。
⑥ 野望の阻害要因(対世界)
次いで、対外の要因です。
渡部元総監は、米国の著名な学者グレアム・アリソン氏とジョセフ・ナイ氏の主張を根拠に二つの警鐘を鳴らしています。まず、第一に「中国が経済力と軍事力をタイアップさせて覇権を強めることは必然的に米中衝突の危険性を高める」ということ。また、第二に「中国が国際社会に対する大国としての責任(国際秩序に対する公共財の提供など)を果たさずに自国国益のみ追求する利己的行動に終始することは、各国の利己的行動を助長し国際秩序が崩れ混沌化する危険性を高める」ということです。
前者は十分に考えられることですね。米中危機をテーマにした本や議論は皆さんの関心も非常に高いところです。アリソン氏は、台頭する新興覇権国と既存の覇権国は不可避的に戦争に至る危険性がある、という論者です。ペロポネソス戦争の太古から現代まで、それを歴史が示しているという議論です。
他方、後者は「へぇー・・・」という分かったような分からないような話です。ナイ氏によれば、「第一次世界大戦と第二次世界大戦の戦間期に、英国から大国としての地位を引き継いだはずの米国が、国際社会に対する大国としての責任ある立場を避け、自国の内政に専念し、国際社会に国際秩序維持のための公共財を提供しなかったことが、傲慢なナチの台頭を許し、宥和政策でなだめようとして機を逸し、世界大戦の惨禍を招いた」という考えが中国にも適用できるのではないか、という指摘です。複雑な理論ですが、現在の中国が利己的に振る舞い、大国としての責任を果たしていないというのは当たっているかも知れません。あれ?トランプも十分利己的ですが・・・。
<まとめ>
渡部元総監の言わんとしていることは、お分かりいただけたでしょうか?
要するに、
・中国は猛烈な勢いで軍事力を増強しつつある。
・中国の軍事力は、未だ米国には勝らないものの、日々力をつけているので、決して侮るべからず。
・中国は、中国周辺における局地的優勢を積み上げて既得権益も積み上げ、じわじわ影響力を広げている。
・中国の新興覇権国としての台頭は米中衝突に至る危険性あり。また、大国としての責任を果たさない利己的行動は国際秩序を乱す危険性がある。
というのが渡部元総監の警鐘です。
これらの警鐘を耳に残しつつ、他の方々のご指摘にも耳を傾け、国際情勢をウォッチする際の参考にしていただければ幸いです。
(了)


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