追悼パウエル将軍: 政軍関係のあるべき姿を実行した湾岸戦争の英雄

コリン・パウエル大将(1989当時:統合参謀本部議長)(public domain)
追悼:パウエル大将
父ブッシュ政権時の湾岸戦争時の米軍トップ統合参謀本部議長、息子ブッシュ政権時の国務長官等を歴任したコリン・パウエル大将が、新型コロナ及びその合併症にて2021年10月18日にご逝去されました。享年84歳。
まさに巨星墜つ。軍でも国務省でも、そのご経歴の中で様々なご苦労をされましたが、いかなる困難な状況でも決して落胆・絶望せず、「更に最悪な事態よりまだマシかな」と客観的に楽観して腹をくくり、部下に打開の方向性を示して権限を与えて仕事を任せ、打開できたら自分は一歩引いて部下の手柄として賞賛する、まさに親分肌の仕事師でした。彼を知る人で彼を悪くいう人は誰もいない、温和で楽観的な軍人でした。
心からご冥福をお祈りいたします。
政軍関係のあるべき姿を追求する信念の人
個人的所感ですが、防衛大学校で国際関係を学び、幹部自衛官になった後もそれなりに政治と軍事のあるべき関係を暗中模索していました。その生きた見本を見せてくれたのがパウエル大将でした。
元々米国には軍事力を外交の一手段として積極的に使用すべきと捉える、いわゆるネオコン系の政治家や官僚が多い中、パウエル将軍はレーガン政権の大統領補佐官の頃から、軍事力の使用という選択肢に踏み切ることには慎重の上にも慎重を期す姿勢を貫きました。パウエル大将にしてみれば、軍事を身をもって知るがゆえに軍事力の使用に慎重であったわけですが、その慎重さによりReluctant warrior (やる気のない戦士)とまで言われたほどでした。
具体的には、レーガン政権当時のワインバーガー国防長官のワインバーガー・ドクトリンを信奉し、後に自身の名を冠してパウエル・ドクトリンを軍事力使用の必要条件としました。「軍事力は最後の手段であるべし」、「軍事力を使用する場合は、その目的と目標を明確にし、その達成とともに終了すべし」、「軍事力使用について国民の理解を得るべし」、「軍事力を使用する際は決然と全力で作戦に当たるべし」など、これらの条件をクリアせずんば軍事オプションを取るべからず、というものでした。軍のトップが政治に対し、自縄自縛のルールを示した意義は示唆に富むものです。
更に、軍事作戦の実行に当たっては、政治指導者が細々と口を出す「マイクロマネージメント」に陥らないように釘を刺しました。政治は軍事行動に国家としての目的と目標、すなわち「何のため、何をする/達成する」を付与し、軍事はこれに具体的な達成目標に落とし込んで、この軍事行動のための編成・組織・指揮系統を定め、適任の指揮官に指揮を命じ、統合任務部隊指揮官とします。統合任務部隊指揮官は陸海空別の任務部隊に任務を示し、陸海空の指揮官はそれぞれの指揮下部隊に具体的な任務を示します。各部隊は、命じられた任務の達成を追及し、越権行為はしません。よって軍の独走・暴走もありません。この指揮系統に基づき、軍事行動の歯車が動き出します。
特に、湾岸危機から湾岸戦争に至る父ブッシュ政権での政治と軍事の関係は、前述のパウエル大将のあるべきと考えた姿を実践しました。これは父ブッシュ大統領の冷静かつ度量の大きさに、負うところ大でした。(息子ブッシュ政権の際は、文民であるネオコンが独走・暴走しました。)
その信念の淵源はベトナム戦争の泥沼の教訓
パウエル将軍が、この政治と軍事の明確な役割区分を追求したことやパウエル・ドクトリンの既述の条件を付けたことには、泥沼に陥ったベトナム戦争の反省教訓という深い事情があります。将軍自身もベトナム戦争で忘れ得ぬ泥沼の経験をされていますし、これはシュワルツコップ大将をはじめ湾岸戦争の主要な指揮官達も同様で、彼らが小・中隊長だった1960年代後期から1970年代前期は、まさにベトナム戦争の泥沼の中にありました。そのベトナム戦争では、国家としての明確な目的や目標も示されないまま政治主導で始められ、ズルズルと逐次に戦力が投入され、ズルズルと長引きました。また政治の軍事作戦への介入も著しく、空爆の目標やジャングルの中の掃討に至るまで、1コ1コの作戦は政治にマイクロマネージメントされ、作戦目標は数値目標としてして示され、それを数値で報告し、作戦成果の尺度にしていたほどでした。悪名高き「ボディカウント」がその例です。現場で殺した敵の死体の数を報告され、それが国防長官の記者会見で成果として報告される、という不毛な戦場に彼らはいたのです。パウエル大将はReluctant warriorとまで呼ばれましたが、やる気がないとか後ろ向きなわけではなく、軍人が命を賭ける価値のある国家としての目的・目標を示し、国民の理解・支援を得られのか?という大義名分へのこだわりです。その大義名分を旗頭に、部下隊員たちと共に全力で軍事作戦を敢行し、所期の目的・目標が達成されたらサッサと撤退する、という達観・透徹した信念だったのです。
私見ながら
パウエル大将の「軍事力の使用・行使」の条件設定の考え方は、「武士が刀を抜く」際の心構えと似ていると思います。 武士は、鞘の中の刀はいつでも戦えるよう研ぎ澄ましておきます。ただし、その刀を鞘から抜くことは一生に一度あるか、ないか。刀を抜くからには相手を斬り、自らも斬られる。それを承知で命を賭してでも刀を抜く、崇高な大義名分がなければなりません。軍にとっては、国運を賭けて戦う国家的な危機がそれに当たるわけです。
パウエル大将のご功績は軍歴のみならず、息子ブッシュ政権の国務長官としてのご功績も素晴らしいものがありますが、ご自身にとっては拭えない汚点が心残りだったようです。9.11同時多発テロ後のイラク戦争の際に、ネオコンが推し進めたイラクの大量破壊兵器疑惑の際、半信半疑ながら国務長官として国連決議のために説明に立ち、結果的にパウエル・ドクトリンを満たすと理解し、息子ブッシュ政権のイラク戦争の先棒を担いでしまいました。後に担がれていたことに気づき、国務長官を辞職しました。まさに悔いの残る職務上の失策だったようです。
ドミニカ共和国から米国にたどり着いた貧しい移民の子に生まれ、働きながらニューヨーク市立大に通い、学費減免と給料も貰える予備役将校制度にて陸軍将校となりました。若き日のパウエル大将にとって忘れ得ぬ経験となったのは、ベトナム戦争。義兄弟のような戦友の遺体を乗り越えて戦う日々を過ごしたと言います。だからこそ、パウエル・ドクトリンを掲げて時の大統領相手に一歩も引かずに諫言したのでしょう。
亡くなられたのはウォルターリード陸軍病院と聞き、やはりパウエル大将は最後の最後まで軍人だったのだなぁ、と痛感しました。
心からご冥福をお祈りいたします。
(了)


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