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2018/09/24

マクナマラの教訓⑮: 数値的データ信奉の陥弊 

<映画「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白」に学ぶ ⑮補足説明: 本人が語らなかったこと -数値的データ信奉の陥弊->

 前回(国民への説明責任)に引き続き、インタビューを主体としたこの映画の中で本人が語らなかったこと、特に戦争指導上の責任について、補足説明させてください。とりわけ、マクナマラ氏が自分の仕事の流儀として信奉した数値的データに基づく統計学的分析手法について、その陥った問題点にスポットライトを当ててみたいと思います。勿論、国防長官当時にスポットライトを当てますが、恐らくは同氏の生涯を通じて「数値的データに基づく統計学的分析」を自身の仕事の流儀としていたものです。

 同氏の国防長官以前の経緯については、このブログ「マクナマラの教訓」シリーズの④⑤⑥で記述した通りです。カルフォルニア大学バークレー校で大学時代を過ごし、奨学生制度の賞を取ってスタンフォード大学大学院のMBAに学んだ同氏の専門分野が数値的データに基づく統計学的分析であり、第2次大戦中はその専門分野を駆使して戦略爆撃に貢献します。戦後は、スタンフォードの仲間たちと組んでフォード社に自らを売り込み、仲間たちごと入社。フォード社でも、数値的データに基づく統計学的分析手法を駆使して傾いていた会社の業績をV字回復させ、遂には社長に大抜擢されました。と思ったら、社長在籍わずか5週間にして新生ケネディ政権の国防長官にサプライズ人事で大抜擢され、国防長官に鳴り物入りで就任しました。当時当代随一の政治評論家であったウォルター・リップマンから「過去最高の国防長官、初めて軍部に対する完全なシビリアンコントロールを敷いた男、IBMコンピュータを脳に搭載した男」等と褒めちぎられた程です。
 このサクセスストーリでもわかるように、マクナマラ氏にとって数値的データに基づく統計学的分析手法は最大の武器であったわけですが、実はこれこそが同氏にとって功もあれば罪でもある、薬にも毒にもなる「諸刃の剣」であったのです。
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 その最たるものが、今回お話しする「ボディカウント(body count)」というものです。これは軍事作戦の成果を測る指標として各部隊に報告させた数値的データで、早い話が敵の死体の数です。敵の死体を増大させ、我が損害は局限する、というバカバカしいくらい単純な数値的データなわけです。
 MIT Technology Reviewにケネス・キューキャー氏とビクトール・メイヤー=ショーンバーガー氏の共著で「The Dictatorship of Data」(https://www.technologyreview.com/s/514591/the-dictatorship-of-data/)という記事にその「罪」ないし「毒」の部分が分かり易くまとめられていたので、以下つたない要約を試みます。

*********以下、前述の「The Dictatorship of Data」の要約
  マクナマラ氏は、1960年代初期、ベトナムの緊張が高まってきた時にベトナムに関し可能か限りの全てのデータを集めさせた。同氏は、データの中にこそ真実があり、統計学的分析のみが意思決定者(大統領)に対して複雑な状況を理解させしむる、と信じていた。ベトナムにおける紛争の段階的拡大と派兵拡大につれ、この戦争は領地取得のための戦いではなく「意思」の戦いであること明白になってきた。米国にとり、ベトコンを交渉のテーブルにつかせるために叩きのめすのが戦略であった。その成果を測る指標として「ボディカウント」という敵の死体の数値データを報告させることとした。このボディカウントは毎日報告され、新聞にも載せた。しかし、確かに成果は数値で可視化して分かり易いかもしれないが、非倫理的・非人道的であり批判の的にもなった。同氏にとっては、このデータをもってすれば、現地で何が起きていて成果はどうなのか明確に分かる、と信じて疑わなかった。
  1977年(ベトナム戦争終結の2年後)、ダグラス・キンナードが「The War Managers」を出版し、米将軍のたった2%しかボディカウントが成果を測る指標になると思っていなかったことを明らかにした。彼によれば、ボディカウントは“A fake—totally worthless,”=「まやかし、完全に無意味」だったと言う。ある将軍の言によれば、「ボディカウントの数値は基礎の段階から多くの部隊によってひどく誇張された数値が報告された。それは、マクナマラ国防長官のような人々によって信じ難いほどの関心を集めるものだったからだ。」ということだ。
  ベトナム戦争間で見られた数値の使用、濫用、そして誤用は、情報の限界を痛感させる教訓だ。基本的にデータは質がお粗末になり得るものであり、偏ったものになり得るものであり、分析を誤らせミスリードさせ得るものなのだ。利より害がむしろ多い。これを「データの独裁」と言う。ある部分では、ボディカウントがベトナム戦争をエスカレートさせたとも言える。その証左でもあるのが、マクナマラ氏のこの苦しい言い訳だ。「(戦争における)人間の状況の想像しうる複雑性というものでは、グラフの線やチャートのパーセンテージ、バランスシートの数字等が示すものを減じることはできなのだ。全ての現実は説明しうる。数値化できるものを数値化しないことは、理屈付けを満足させることはできない。(やはり数値的データをもって説明しなければ理屈付けはできない。」
*************要約終わり
 、
 また、社会学者のダニエル・ヤンケロビッチ氏は、「マクナマラの誤謬(The McNamara fallacy)」と題して、マクナマラ氏の陥ったデータ信奉について非常に手厳しく批評しています。 (日本語訳はブログ主です。)
(https://expertprogrammanagement.com/2017/07/the-mcnamara-fallacy/)

  1. 測定容易なものは何でも測定せよ。
  2. 容易には測定できないものは無視せよ。
  3. 容易には測定できないものは大事なものではなかったと思え。
  4. 容易には測定できないものはそもそも存在しないのだと思え。


 マクナマラ氏も、こんな言い方はしていないと思いますが、こう酷評されても仕方のないくらいの信奉ぶりだったのでしょう。
 結局、数値的データというものは、分析のための有用なツールかも知れませんが、数値的データが一人走りしてしまっては、正確でない、誤った、偏った、或いは改ざんしたものであっては適正・適切な分析の資にはならないのです。もし至当に分析され、至当な政策提言ができたとしたら、それは数値的データが素晴らしいのではなくて、単に正しく十分なinformationがintelligenceとして適切に使用され、適切な分析ができた、意思決定者の状況判断に使用してもらった、というだけのことなのです。また、データ信奉そのものも勿論ですが、日本人的には(もしかしたら全世界的にも)、現地の部隊に成果の指標として死体の数を数えさせ、その数値が毎日の新聞に載っていて、これを国防長官が作戦の進捗の成果の指標としてグラフで示して国民に説明する、この絵柄が耐えられない程に非倫理的・非人道的ですよね。周囲の優秀な官僚たちもおかしいと思わなかったんですかね。どうせ指標にするなら、国民世論に支持される政府の姿を目標にして、成果として南ベトナム政府の支持率にするとか、何か他の指標があったのではないかと思います。毎日報告を義務付けられる現地の兵隊さんの身になって、或いは毎日テレビのニュースで死体の数を聞かされるお茶の間の国民の身になって考えたら分かるのではないかと思うのですが・・・。
 マクナマラ氏ともあろうものが・・・。自分で教訓として語っているではありませんか。fog of war、戦争という複雑怪奇な変数のある深い霧のかかった社会現象を人間なんぞが霧を晴らせるわけがないのですよ。いわんや、ボディカウントなんていう単純な指標で現地をクリアに見られると思ったというところがアウトですよ。まさに、戦争の霧、fog of warって含蓄がありますね。 
  (了)


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2018/09/20

マクナマラの教訓⑭ 補足3: 本人が語らなかったこと -国民への説明責任について-

<映画「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白」に学ぶ ⑭本人が語らなかったこと -国民への説明責任について-> 

 マクナマラ氏を語る際には、不可避的にベトナム戦争における戦争指導の責任の件が鬼門になります。確かに、戦争指導の責任は免れないかもしれません。当時を知るアメリカ人から聞いたことがありますが、あれだけ自信満々に「こうすることが必要だ。大丈夫だ。」と国民に説明していたマクナマラ国防長官に対し少なからず「騙されていた」と感じた、といいます。今回は、同氏の国民への説明責任についてフォーカスを当てて補足説明させていただきます。
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 実際、ベトナム戦争中、マクナマラ氏は国防長官として記者会見等で説明責任の先頭に立ち、チャートや数値的データを駆使して、介入政策、戦況悪化、軍事作戦の失敗を追求する記者達に説明してきました。恐らく、大統領を矢面に立たせることなく、国防長官としての自分が矢面に立ち、説明責任を果たそうと思ったからだと思われます。同氏は、記者会見に当たっては、常に各テレビ局の音声やカメラの準備にも細心の配慮を示す(この映画の冒頭もそんなシーンから始まります。)等、マスコミ側の受けも悪くなく、ベトナム戦争の前期については、同氏の説明はそのままマスコミ側にも受け入れられていました。事実、トンキン湾決議当時、ニューヨーク・タイムズ紙はタカ派の論陣を張っていましたし、北爆の開始や陸上部隊の大規模派遣にせよ、議論は当然あったものの、多くの米国のマスコミが政府の政策を苦汁の選択として国民に広報したし、ある意味後押しをしていました。しかしながら、確かに政府側からの発表は一方的であったことは否めず、当時の米国政府の説明ぶりを称して、日本の戦時中の大本営発表に例を取って「政府が国民を騙すの図」と批評家から厳しいご指摘を受ける部分です。
 映画の中の一場面で、ジョンソン大統領とマクナマラ国防長官との間の電話会話の実録テープにて、次のような場面があります。

   (March 6,1965)
  J: The psychological impact of ‘The Marines are coming’ is going to be a bad one.
    Every mother is going to say, ‘Uh-oh, This is it!’
    What we’ve done with these B-57’s is going to be Sunday School stuff…..
    compared to the Marines’.
    My answer is ‘Yes’.
    But my judgement is ‘No’.
  M: We’ll take care of it Mr. President.
  J: When are you going to issue the order?
  M: We’ll make it late today
     so it will miss some of the morning editions.
     I’ll handle it in a way that will minimize the announcement.
  ジ: 「海兵隊が派遣される」という報は、
      国民への心理的インパクトとしては悪いものになるだろう。
     母親たちは誰もが言うだろう。「おやまぁ、やっぱりこうなったわ!」
     B-57爆撃機で我々がやってきた北爆は、まだ日曜学校に行くようなものだ。
     海兵隊の派遣に比べりゃぁな。
     私の結論は「イエス」だが、判断としては未だ「ノー」なのだ。
  マ: 分かりました。我々国防省が対応しますから、大統領。
  ジ: 派遣命令はいつ発出するんだ?
  マ: 今晩遅く出す予定です。
     そうすれば日曜版の新聞で何社かは見落として記事にならないでしょう。
     発表にしても影響が最小限になるようにうまくやります。
  
 それまでの軍事顧問団や空爆という段階から、いよいよ地上戦闘部隊が現地に派遣される苦悩の決定と、それをいかに国民にアナウンスメントするかという会話です。とてもじゃないが国民には聞かせられない、そんな脂っこい悪だくみ的な内容が話されています。このような腹をもって国民への説明がなされていたわけなので、結果として、国民への説明責任が必ずしも公明正大・誠実なものではなかったことについて責任は免れないようです。(蛇足ながら、米国の情報公開が立派なのは、こうした大統領の関わる会議や電話は全て公文書として記録・保管され、一定期間を経て公開される、ということですね。)

 しかし、私見ながら、結果論として国民への説明において責任は免れない部分はあるものの、そこは当時の世間一般の「空気」ともいうべき常識的な認識を割り引いて考える必要があろうと思います。マクナマラ氏がよく口にする「(ベトナム戦争の話は)冷戦の文脈の中でアプローチしなければ」の言葉が示すように、当時は世界が共産化の危機に晒されていて、ある一国の共産化を許容するとドミノ倒し的にバタバタと共産化する可能性がある、という「ドミノ理論」が政治家、評論家、マスコミのみならず、広く一般に信じられており、「それはくい止めねばならない」というのが半ば常識的な理解でした。当時の認識として、第1次大戦も第2次大戦も、そして朝鮮戦争も、いずれも政府と国民との間に自然の正当な信頼関係があった時代でしたから、「それはくい止めねば」という覚悟が国民一般にあった、そんな時代でした。これは世間一般も、ジョンソン大統領やマクナマラ氏や彼らが集めた優秀な官僚たちでさえも、同じ空気の中で危機感を持って仕事をしていたに違いありません。少なくとも初期の段階は。
 しかし、さすがに1965年以降、現地に報道関係者が派遣され、今々の状況を報道し始めると、マクナマラ氏の饒舌な説明では覆い切れない生の戦況がお茶の間に伝わり始めます。特派員の記者達が現地で見た現実のベトナムは、マクナマラ氏が饒舌に図解で分かりやすく説明している話とは大きなギャップがありました。米国政府が自由や民主主義の守護者としてバックアップしている南ベトナム政府は、現地で見た現実から言えば、汚職に満ち、市民への仕打ちも残忍、どうも信頼性に欠く政府でしかありません。南ベトナム政府軍が主体的に北の侵略と戦っているはずが、どう見ても前面に立って主体的に戦っているのは米軍で、説明で聞いていた「政府軍を教育訓練している」とか「支援している」という状況ではないことが、お茶の間のテレビ画像を通じて国民の目にも明らかになってきた訳です。
Vietnam_War_on_television.jpg

 この辺りは、マクナマラ氏は「国民を騙していた」と批判されても否定できないところでしょう。国民への説明が正直でなかろうが、後々批判を受けようが、南ベトナムの共産化をくい止めなければならない、そういう思いだったのでしょう。今くい止ないと東南アジア全体が共産化してしまう、という思いに取り付かれていた、ということだったのではないでしょうか。

 ここで、本件についてもう一つ補足したいことがあります。特に、この国民への説明の際に顕著でしたし、戦争指導・作戦指導においてマクナマラ氏が固執した「数値的データに基づく統計学的分析手法」の弊害の部分について、次回是非お話をさせていただきたいと思います。
 (了)


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2018/09/18

マクナマラの教訓: ⑬補足その2: 教訓を今に活かすために(私見ながら整理)

<映画「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白」に学ぶ ⑬マクナマラの教訓を今に活かすために(私見ながら整理)> 

 ここでもう一度、マクナマラ氏の11項目の教訓(※)を振り返り、この教訓を現代の我々にとっての教訓として今に活かすよう、私見ながら分析・整理を試みたいと思います。
(※ 「11項目の教訓」とは、この映画において、モリス監督がマクナマラ氏へのインタビューを編集し、「教訓」として整理したもの。前回(⑫)言及したように、マクナマラ氏自身はモリス監督編の11項目の教訓が気に入らず、DVD版には同氏自身が編んだ10項目の教訓が収録されている。基本部分は監督編でカバーしており、また同氏編のものと比べ簡潔で分かり易いため、本稿では監督編の11項目の教訓を「教訓」とする。同氏編の教訓の趣旨は、私案の分析・整理の中で反映する。)
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 (出典: 映画「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元国防長官の告白」より)

 マクナマラ氏の11項目の教訓を列挙してみましょう。
① 敵に感情移入して考えよ。
   Empathize with your enemy.
② 合理的判断が必ずしも我々を救うとは限らない。
   Rationality will not save us.
③ 自分自身を越えた何ものかがある。
   There's something beyond one’s self.
④ 効率性を最大限に高めよ。
   Maximize efficiency.
⑤ 「それで釣り合うか」は戦争指導上の一つのガイドラインであるべきだ。
   Proportionality should be a guideline in war.
⑥ 数値的データに基づいて考えよ。
   Get the data.  
⑦ 信念や視認した事実がともにしばしば判断を誤る。
   Belief and seeing are both often wrong.
⑧ 自分のそもそもの論拠も再検証するつもりでいよ。
   Be prepared to reexamine your reasoning.  
⑨ 善を為すために悪を為すことにならざるを得ないことがある。
   In order to do good, you may have to engage in evil. 
⑩ 「決してない」と決して言うべからず。
   Never say never.
⑪ 人間の本質を変えることはできない。
   You can't change human nature.

 映画の編集の順で教訓が並んでおり、ともすると脈絡のない散漫な教訓に見えてしまいますので、各教訓の内容に基づいて、並び替えてみましょう。その際、並び替えのフィルターとして、我々にとって活きた教訓として参考になることを目的とし、北朝鮮の核ミサイル問題のような国際的な安全保障上の危機管理における国家指導部の意思決定を前提とした場合の、「その意思決定の際に教訓となること」を考察してみましょう。

<分析>
 11項目を眺めてみると、
・ 意思決定作業をする上で「こうした方がよい」というコツ事項:①④⑤⑥、
・ 「こういうことに気を付けた方がよい」という注意事項:②④⑧⑨⑩、  
及びコツでも注意でもなく単に
・ 「こういうものなのだ」という同氏一流の「見切り」とでもいうべき事項:③⑪(⑤⑨)、
の大きく3つの区分ができると思います。これを踏まえて、「意思決定の際に教訓になること/活きた教訓として我々にも参考になること」をフィルターとして考察を加え、分析したものが、以下のものです。

Ⅰ 効率・効果の高い行動方針(取るべき政策オプション)を案出するための着眼
  ⑥ 数値的データに基づいて考えよ。  
  ④ 効率性を最大限に高めよ。
  ⑤ 「それで釣り合うか」は戦争指導上の一つのガイドラインであるべきだ。

Ⅱ 相手国と一触即発状態となったギリギリの意思決定の際の要訣
  ① 敵に感情移入して考えよ。

Ⅲ 思わぬ落とし穴に陥らないよう、ミスリードしないための戒め
  ⑩ 「決してない」と決して言うべからず。
  ⑦ 信念や視認した事実がともにしばしば判断を誤る。
  ⑨ 善を為すために悪を為すことにならざるを得ないことがある。
  ② 合理的判断が必ずしも我々を救うとは限らない。
  (⑤ 「それで釣り合うか」は戦争指導上の一つのガイドラインであるべきだ。)
  ⑧ 自分のそもそもの論拠も再検証するつもりでいよ。  
  
Ⅳ 頭のどこかに自らの地位・役割を離れて超然と客観視する自分、悟りの境地の知恵
  ③ 自分自身を越えた何ものかがある。
  ⑪ 人間の本質を変えることはできない。
  その頭でもう一度、Ⅲの②⑤⑦⑧⑨を反芻

<整理>
 分析した結果として、上記のような並べ替えになりました。これに補足説明を加えながら、教訓としての全体像を整理してみたいと思います。
 まず思考の前提は、国家にとっての安全保障上の危機に臨む国家指導部の意思決定の場面です。
意思決定に当たっては、首脳陣をスタッフ(幕僚)たちが幕僚作業をしてサポートしています。幕僚たちは、現下の情勢に鑑み首脳陣に様々な情報提供や意見具申をし、最終的に首脳陣は幕僚が挙げてきたいくつかの行動方針(取るべきオプション)の中から取るべき方針を決定します。首脳陣が決定した方針に基づき、幕僚はそれを具現する様々な施策を打っていきます。

 そんな前提の下、第一に「効率・効果の高い行動方針(取るべき政策オプション)を案出するための着眼」についてですが、幕僚が行動方針を案出するために様々な案を検討するわけですが、その際の着眼点として、マクナマラ氏は、「⑥数値的データに基づいて考えよ。」、「④効率性を最大限に高めよ。」、「⑤『それで釣り合うか』は一つの尺度として有効だ。」の3つも大変有用なので検討の際に考慮に入れてみなさい、と教えてくれているのです。同氏の教えとして、
「⑥数値的データというものの効用は大きいぞ、数値的データがモノを言うぞ。ここに妙案のタネが隠れている、それを見つけよ。何?データが無い?だったら自ら実証データを作れ!」、
「④数値的データに基づき、最も効率的で効果が出るように考えよ、施策の結果が出たら、その効率効果を最大限化することを追求すべし。」、
更に「⑤どこまでやるべきかを考える際は、相手にとって(我にとって)釣り合うのかを基準にすべきだ。やり過ぎてはいけない。。」、
ということを頭に置きましょう。これは、幕僚作業をする上で「この3つだけ考えよ」ということではなく、検討の際にこれらの着眼も考慮せよ、時にテキメンの効力を発揮するよ、と理解した方がよいでしょう。詳述することは避けますが、マクナマラ氏は国防長官当時、国防省に徹底的にデータに基づく効率・効果性の追求をしました。中でも、PPBS(効用計算予算運用法)といって軍事予算の効率効果性、費用対効果を徹底的に洗う施策を取ったことが有名ですが、非常に功罪両面がありました。マクナマラ氏としてはマストmustの教訓として挙げていると思いますが、これについては「我々にとっても参考になること」というフィルターをかけて教訓としては薄めて理解させていただきました。

 次いで、第二に「相手国と一触即発状態となったギリギリの意思決定の際の要訣」ですが、こういう緊要な場面を迎えた時、首脳陣が検討するオプションがいくつかあるとしたら、その一つ一つについての「①敵に感情移入して考えよ、相手の地位・立場・置かれた環境になって相手ならどう思うか必ず検討すべきだ。」という重要なポイントです。キューバ危機で相手の身になって考えて乗り切ったはずなのに、ベトナム戦争の時には北ベトナム側の身になっては考えていませんでしたね。「これはハート&マインドの戦いだ」なんて言いながら、本当に南ベトナム政府・市民の身になって考えていなかったかも知れません。これは意思決定において必須の事項なので、「要訣」という表現をしました。

 そして、第三に、「思わぬ落とし穴に陥らないよう、ミスリードしないための戒め」についてですが、これは、上記の第一、第二のような意思決定をして決定した行動方針に基づいて、政策が実行されるわけですが、実行する前に、或いは実行中にも、その政策・施策について、本当にこれでいいか?思わぬ落とし穴に気づかないうちにはまってないか?最良の政策と思って間違った政策を推し進めてないか?国民をミスリードしてないか?と自問自答をするべき「戒め」です。
「⑦『これが正しい/こうあるべきだ』という信念や『見ました』という事実でさえ、ともにしばしば判断を誤ることがあるのだ。思い込みじゃないか?約束組手や決め打ちになってないか?本当にそうか?Wチェックしたか?」、
「⑨我々は政策を実行するにあたって、国のため正しいと思った行為で『善を為すために悪を為す』ことにならざるを得ないことがある。それは国家のために、軍人として、官僚として、仕方がないことかもしれない。しかし、もし仕方なしにせざるを得ないとしたら必要最小限に抑えねばならないのだ。」 
今のも重い話ですが、次いでさらに重い2つ、
「②合理的判断が必ずしも我々を救うとは限らない。首脳陣が合理的な判断に基づく理性的な政策を打ったのなら間違いがないのかというと、必ずしも良い結果だけではない。特に核兵器が存在する現代においては、合理的理性的判断によって核戦争のような人類の破滅につながる結果も起きうるのだ。それを我々は忘れてはならない。」、
「⑧首脳陣や幕僚が十分検討した上での意思決定だったかも知れないが、一旦始めてしまった政策といえども、どうにも成果がでないとか、同盟国や自国民から賛同が得られないような場合は、自分のそもそもの意思決定、論拠ももう一度検証しなければならない。それを避けるな。その覚悟が必要である。状況により再検討する覚悟を腹に持って、政策を実行せよ。」 
この二つの戒めは特に重いですね。政策実行中は後戻りできないものです。「あれ?ゴメン間違ってました。」とは言えないのですよ。国の政策ってそういう癖がある。しかし、しかしですよ。これら戒めは、国家の首脳陣や幕僚たちにとっては必携の自省の金言です。
 補足ながら、⑤について観点を変えて再登場です。
「⑤『それで釣り合うか』という尺度は戦争指導上の一つのガイドラインであるべきだ。戦争には明確なガイドラインがないがゆえに、ともすると無用の犠牲を強いるような軍事行動をとってしまうことがある。第2次大戦中、日本各地の大空襲に加えて本当に原子爆弾投下は必要だったのか?連合軍はもう既に大勢は決していたのに、ドイツ各都市へ大空襲は本当に必要だったのか?ともすると、こうした行為が起きうる。バランスを考慮して、やり過ぎのないよう戒めねばならない。」
 更に蛇足ながら、
「⑩記者会見などの際に、自らの発言によって記者たちに足元をすくわれないための注意点として、『決してない』と決して言うべからず。不確かなことは言い切るべからず。可能性を残しておくべし。記者の質問にはストレートに問いに答えず、自分の話したい質問にだけ答えるべし。」 

 さて、意思決定上の着眼、要訣、及び政策の実行上の戒めについて、マクナマラ氏の教訓を学ばせてもらいましたが、この最後の部分が、もしかしたら同氏の教訓の真骨頂かも知れません。第四に、「頭のどこかに自らの地位・役割を離れて超然と客観視する自分、悟りの境地の知恵」です。これまで、首脳陣や幕僚として一人称で意思決定や政策の実行をする上での教訓を見てきました。ここでは、一人称の「我」や二人称の「敵/相手」を越えて、三人称=第三者として神様的視座で考える段階です。
「③我々はとかく自分を中心に自分にとっての直接的間接的利害を考えがちだが、そんな自分自身を越えた超然たる何ものかがあるのだよ。それは真理、神の意志、運命、・・・何かがあって我々はその意思の下で動いているのかもしれない。第1次大戦だって、あれだけ多くの人が犠牲になった上で終戦した際に、ウィルソン大統領は『我々は戦争を終わらせる戦争に勝ったのだ!』と高らかに宣言し、国中が大歓声を上げた。しかし、戦争は終わらない。決して戦いたがっているわけではないがこうなった。人間の知恵や努力を越えた何か、我々の思い通りにならない何かに導かれているのかもしれない。」、 
そして避けられなかった場合に戦争になりますが、「⑪前項の超然とした何かの存在の話もそうだが、戦争になると更に人間は手も足も出やしない。戦争というものの深遠な淵に臨むと、人間なんて結局は知恵のない生き物だ。いかに軍事科学技術が高度になろうが、所詮はお釈迦様の掌の中で地の果てを目指したつもりが掌の中から出られなかった孫悟空と同じさ。いかに戦争(戦場)の霧を晴らしたつもりでも何も見えていない。判断は間違う、無用の犠牲を出す、また同じ間違いをしでかす。結局、人間の本質を変えることはできないのだ。」 
 その超然とした頭でもう一度、Ⅲの②⑤⑦⑧⑨を反芻する。そんな涼しい思考で客観的に意思決定や政策の実行を振り返ったうえで、我に返って一人称の現実で直面している意思決定や政策の実行に反省点を反映してみる。・・・そんな謙虚にして真摯な教訓反省事項の反芻ができたなら、意思決定や政策の実行は至当・適切になっていくでしょうね。

 以上、マクナマラ氏の11項目の教訓の整理を、私見ながら試みさせていただきました。甚だ僭越、誤解と偏見から免れない私案ですが、参考にしていただけれ幸甚です。
 (了)


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2018/09/14

マクナマラの教訓 ⑫補足その1: マクナマラ氏自身の編集による10訓

<映画「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白」に学ぶ ⑫補足その1: マクナマラ氏自身の編集による10訓>

 これまで同映画に編集された11項目の教訓を反芻して参りましたが、実は、この映画のDVDには特典映像としてマクナマラ氏自身の編集による10項目に及ぶ教訓がスライドでついていました。マクナマラ氏は、この映画で「マクナマラの11項目の教訓」という形で「教訓」とされたのが、実は気に入らなかったようです。映画はエロール・モリス監督が自らインタビューした内容を編集しながら、「教訓」という形でエピソードを11カットに切って文字通り「編集」したわけですが、マクナマラ氏から見れば、確かにインタビューの中で自身が話した言葉かもしれないが、それはあくまで監督の映画編集における「教訓」であって、自分が編集したものではない、という趣旨のようです。
 私見ながら、結論から言うと、マクナマラ氏編の教訓はやや難解で一文が長く、「テロリスト」など映画中のインタビューにない同氏の考えなども入っており、はっきり言って蛇足だったかな、マクナマラ氏ともあろうものが大人げないな、と思います。「蛇足」とは少し言いすぎの感もありますが、同氏編と監督編とで内容的な相違は多少あるものの、要点となる部分は映画の監督編教訓でほとんどカバーしており、その辺が「蛇足」と表現した所以です。映画の監督編の教訓の方が、簡潔明瞭で分かり易く、この映画はこの映画として、監督編の11項目の教訓で十分「マクナマラの教訓」として成り立つと思います。

 それはさておき、以下、本人の編んだ10項目の「教訓」を列挙します。
映画「フォッグ・オブ・ウォー」より「マクナマラの10教訓」
 (出典: 映画「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元国防長官の告白」特典映像 より)

教訓1: The human race will not eliminate war in this century, but we can reduce the brutality of war – the level of killing – by adhering to the principles of a “Just War,” in particular to the principles of “proportionality.”
 「今世紀において、人類は戦争を止めることはないだろう。しかし“正しい戦争”という概念、特に“釣り合い”という理念に基づけば、戦争中のただ人を殺すだけという残虐行為は減らすことができる。」

教訓2: The indefinite combination of human fallibility and nuclear weapons will lead to the destruction of nations.
 「人間の弱さと核兵器の存在は世界を破滅させかねない。」

教訓3: We are the most powerful nation in the world – economically, politically, and militarily – and we are likely to remain so for decades ahead. But we are not omniscient.
If we cannot persuade other nations with similar interests and similar values of the merits of our proposed use of that power, we should not proceed unilaterally except in the unlikely requirement to defend directly the continental U.S., Alaska and Hawaii.
 「米国は経済的、政治的、軍事的に世界で最も強力な国である。数十年先までこの地位は変わらないだろう。しかし全能なる国ではない。もし米国と共通の目的を達成するため、そして権力行使のために同じ行動を約束する他国を説得できなければ、我々の力を一方的に押し付けるべきではない。ただし、米国本土及びアラスカとハワイを防衛する必要がある場合は別である。」

教訓4: Moral principles are often ambiguous guides to foreign policy and defense policy, but surely we can agree that we should establish as a major goal of U.S. foreign policy and, indeed, of foreign policies across the globe: the avoidance in this century of the carnage – 160 million dead – caused by conflict in the 20th century.
 「道徳の理念は外交政策や防衛政策からすると、その基準は曖昧になりがちだ。しかし、米国外交政策の最大の目的、つまり全世界に関わる外交政策の目標として確立しなければならない。20世紀の戦死者が1億6000万人であったことを思えば、今世紀が殺戮の世紀とならないためにも必要なのだ。」

教訓5: We, the richest nation in the world, have failed in our responsibility to our own poor and to the disadvantaged across the world to help them advance their welfare in the most fundamental terms of nutrition, literacy, health and employment.
 「米国は世界で最も豊かな国である。しかし、自国の貧困政策には失敗してきた。また世界中の恵まれない人々への福祉、つまり雇用や健康対策、教養や食料などの支援も成功していない。」

教訓6: Corporate executives must recognize there is no contradiction between a soft heart and a hard head. Of course, they have responsibilities to stockholders, but they have responsibilities to their employees, their customers and to society as a whole.
 「会社の幹部は優しい心と固い頭は相反することはないと認識しなければならない。当然、彼らは株主はもとより労働者や顧客など社会全体に対しても責任がある。」

教訓7: President Kennedy believed a primary responsibility of a president – indeed “the” primary responsibility of a president – is to keep the nation out of war, if at all possible.  
 「ケネディ大統領は、大統領としての責任を重んじていた。この『大統領としての主要責任』とは、可能な限り国を戦争から回避させることである。」

教訓8: War is a blunt instrument by which to settle disputes between or within nations, and economic sanctions are rarely effective. Therefore, we should build a system of jurisprudence based on the International Court – that the responsible for crimes against humanity.
 「戦争は国家間もしくは国内の紛争を治めるための単なる鈍器であり、経済的制裁の意味はほとんどない。それゆえに人間性に反する犯罪に対して、たとえ米国が支援を拒否してきたとしても、個々の責任を追及する国際裁判所に基づいた法学体系を築くべきだ。」

教訓9: If we are to deal with terrorists across the globe, we must develop a sense of empathy – I don’t mean “sympathy,” but rather “understanding” – to counter their attacks on us and the Western World.
 「西洋社会や米国に対する世界中のテロリスト対策を効果的にするには“共感”という感覚を養わなければならない。共感は“同情”ではなく“理解”を意味している。」

教訓10: One of the greatest dangers we face today is the risk that terrorists will obtain access to weapons of mass destruction as a result of the breakdown of the Non-Proliferation Regime. We in the U.S. are contributing to that breakdown.
 「今日、我々が直面している最大の危機の一つは、大量破壊兵器の拡散防止体制の崩壊により、テロリストがそれらの兵器を入手する可能性が出てきたことである。米国の国民は、その体制の崩壊に加担している。」
 (了)


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2018/09/10

マクナマラの教訓: ⑪自らの教訓の総括


<映画「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白」に学ぶ ⑪自らの教訓の総括>

 マクナマラ氏の教訓もいよいよ大詰めになりました。これまでマクナマラ氏の人生の中の重要な節目における10項目に及ぶ教訓をカバーしてきましたが、同氏自身がこれらを総括した最後の教訓を語る部分です。最後の教訓は、「人間の本質を変えることはできない。You can't change human nature. 」です。一見、これじゃ教訓になってないのでは?今後何かを改めようにも気を付けようがないではないか?という印象をお持ちになるのではないかと思います。しかし、そこにはマクナマラ氏一流の洞察と論理があります。それをご理解いただくためにも、私の注釈は後にして、同氏の語った内容を軸に反芻させていただきます。

  “Historians don’t really like to deal with counterfactuals,
  with what might have been.
  They want to talk about history.
  Who knows?
  Well, I know certain things.
  What I’m doing is thinking it through with hindsight.
  But you don’t have hindsight available at the time.
  I’m very proud of my accomplishments.
  And I’m very sorry that
  in the process of accomplishing things,
  I’ve made errors.”
  「歴史家達は、もしも・・・という事実と異なる仮定の議論を嫌う。
  彼らは事実に基づく歴史を語りたいのであって、
  仮定の話は誰にも知り得るものではない、と考える。
  それはそうだが、私には確たることが分かる。
  私が今やっていることは、
  後知恵を通じて「あの時こうだったら・・・」を考えることだ。
  しかし、その時には後知恵は分からないものなのだけれど。
  私は自分が遂行してきた業績そのものには誇りを持っている。
  しかし、その過程において、
  少なからず過ちを犯してきたことを大変残念に思っている。」

  “We all make mistakes.
  We know we make mistakes.
  I don’t know any military commander, who is honest,
  who would say he has not made a mistake.
  There’s a wonderful phrase: the fog of war.
  What “the fog of war” means is:
  War is so complex it’s beyond the ability of the human mind
  to comprehend all the variables.
  Our judgement, our understanding, are adequate.
  And we kill people unnecessarily.
  Wilson said, ‘We won the war to end all wars.’
  I’m not so naïve or simplistic to believe we can eliminate war.
  We’re not gonna change human nature any time soon.
  It isn’t that we aren’t rational.
  We are rational.
  But reason has limits.”
  「我々は、誰しも過ちを犯す。
  いかなる軍事指揮官といえども、彼が正直であれば、
  自らの指揮采配において過ちを犯してないという者はいないであろう。
  『戦争の霧(the fog of war)』という素晴らしい言葉がある。
  『戦争の霧』とは、
  戦争というものは非常に複雑難解にして多様であり、
  とても人間ごときの理解の域の及ぶものではない、という意味だ。
  我々の判断や理解が適切であったとしても、
  我々は結果的には不必要な死傷者を出してしまうことになる。
  第1次大戦終結の際、ウィルソン大統領は高らかに言った、
  『我々は、全ての戦争を終わらせる戦争に勝ったのだ。』と。
  しかし、私は戦争を撲滅できると思うほど繊細でも単純でもない。
  人間の本質というものは、そう容易に変えられるものではないのだ。
  それは、我々が合理的判断力がないからではない。
  我々人間は合理的で道理にかなった判断ができるのだが、
  合理的な論理や道理なんてものでは抗せない霧が戦争にはかかっているのだ。


 いかがですか、上記が最後のマクナマラ氏の教訓です。多少和訳に私の解釈が混入していますが・・・。
 マクナマラ氏は、クラウゼビッツの「戦略論」から「戦争の霧(fog of war)」という表現を引用し、戦争というものの深遠な不可解さ、変数の多様性を前にしては、いくら人間が道理をわきまえ合理的判断を間違わずに状況判断しても、どうにも思い通りにはいかず、ともすると不必要な犠牲者を出すなど後悔先に立たない非人道的な結果になりかねない、そういうことをこの教訓で語ったものです。
 ちなみに、クラウゼビッツとは、ナポレオン戦争時代のプロイセンの将軍で、当時圧倒的強さを誇ったナポレオンとの戦いに抗しながら、戦争の本質を分析し研究し体系化した軍事学者でした。彼の死後に奥様が彼の遺稿をまとめた「戦争論」が、軍人のみならず広く国際関係を学ぶ者にとっては必読の書として有名です。この戦争論では、「戦争は政治の延長、一手段に過ぎない。」などの含蓄のある名言のほか、今回の「戦争の霧(むしろ「戦場の霧」の表現の方が一般的かも)」なども分析されています。この「戦争の霧」は、一般的には戦闘における敵の兵力、位置、戦術行動などの情報は偵察等をもってしても「霧の中」であり、状況判断をする上でどうしてもクリアにならない変数ということです。この観点からは、情報におけるRMA(Revolution in Military Affairs)と言われるハイテク戦場監視機材(C4iSR)等の先鋭化によりそれらは持てるものと持たざる者の間には雲泥の差の霧の晴れ方かもしれません。「戦争の霧」について、「軍事科学技術の発展に伴い、『戦争の霧』はもはや晴れるのだ」という見方があります。特に、米軍はしばしばその考え方で突っ走ることがあります。湾岸戦争の航空攻撃から発展しイラク・アフガン戦争の頃まで席巻したEffect Based Operationsという考え方で、先進のハイテク戦況監視機材と最強のハイテク兵器をもってすれば、敵が次の行動をとる前に機先を制した攻撃で敵を圧倒できる、との考えの下、米軍の作戦は拙速ながら迅速な状況判断で進める形に戦術教義まで変えていました。当時、あまりの拙速な見積・計画ぶりに、それは違うんじゃないの?と思っていました。案の定、イラク・アフガン戦争にて、前半戦の軍隊対軍隊の正規戦は圧勝でしたが、後半戦の平定後の安定化作戦で安定化できず、米軍の占領政策を良しとしない者たちのIED(即製爆弾)や自殺攻撃のようなローテクの戦い方による抵抗を受け、また泥沼にはまりました。米軍も、さすがにEffect Based Operationsを大幅に軌道修正しました。少し、脱線しました。すみません。要するに、戦場の霧は圧倒的な軍事力と超ハイテク兵器をもってしても晴れないのです。マクナマラ氏の教訓で言えば、キューバ危機の際もベトナム戦争の際もそうでしたよね。現代の北朝鮮の核ミサイルをめぐる駆け引きも、同じことが言えるのではないでしょうか。核開発の施設やミサイル施設を破壊したことを偵察衛星で確認できても、金正恩国務委員長の腹の中、今後の交渉の行方は霧の中なのです。

 マクナマラ氏はこの教訓を語った後、これに関連して自分の暗唱するほど好きなT.S.エリオットの詩?の一文を引用します。これが今回の教訓をより深みのあるものにしています。

映画「フォッグ・オブ・ウォー」より
(出典: 映画「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元国防長官の告白」より)

  “There’s a quote from T.S. Eliot that I just love:
  ‘We shall not cease from exploring,
  And at the end of our exploration, we will return to where we started
  and know the place for the first time.'
  Now that’s, in a sense, where I’m beginning to be.”
  「私が大好きなT.S.エリオットの詩(?)から引用する。
  『我々人間は探検・探求を止めないであろう。
  そして探検・探求の終末点で、我々は出発した場所に戻っているだろう。
  そして、その土地を初めてよく知る・理解するのだ。』
  ある意味、それこそ今の私だ。私は今やっと分かり始めたのだ。

 この最後の部分、憎いですね。マクナマラ氏は、「自分の人生は戦争そのもの、戦争の一部だった。」とまで言っていたのですが、その同氏が85歳にして、「今やっと出発点に戻ってみて、初めて戦争というものがやっと分かり始めたのだ。」と言っているわけです。
 マクナマラ氏は、特にベトナム戦争の際の国防長官として矢面に立っていたことから、いわゆるベトナム戦争のA級戦犯としてケチョンケチョンに批判されています。その同氏が、国防長官辞任後も沈黙を守ってきていながら、高齢になられてからベトナム戦争当時を振り返って発言するようになり、これまた批判を受けていました。しかし、同氏の心中では、「今になってようやく分かった。」というのが、正直なところなのではないでしょうか。
 (了)

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2018/09/07

マクナマラの教訓: ⑩ベトナム戦争: 記者会見にも毅然と対応していたが・・・国防長官辞任へ

<映画「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白」に学ぶ ⑩ベトナム戦争:記者対応にも毅然と対応していたが・・・国防長官辞任へ>

 今回は、前回の教訓とほぼ同じ時期、同じ背景の部分です。前半は、戦況は泥沼にも拘らず記者会見や国民への説明責任等の場においては、終始強気な姿勢を崩さず毅然と対応した同氏の記者対応上の基本的着意(これが今回の教訓)を。後半には、反戦運動の国民的盛り上がりの中で、同氏自身も方針変更を大統領に意見具申するようになり、そして意見が全く容れられず、最終的には国防長官の職を辞すことになるところまで。この二つをカバーしながら反芻してみたいと思います。

 前回の教訓「善を為そうとして悪を為さねばならないことがある」すなわち、戦争のような国家の危急に際して国のためにとの善意に基づき、必要であれば非人道的な作戦(勿論最小限にとどめねばならないが)をせざるを得ないことがある、という話をした直後に、マクナマラ氏は彼らしくないことを言います。
  “It’s a very difficult position for sensitive human beings to be in.
  Morrison was one of those. I think I was.”
  「そういった地位(戦争指導者等)にいるというのは、
  繊細な人間にとっては大変困難なことだ。
  モリソン(焼身自殺した市民)はそういった繊細な人間だし、
  私自身もそうだと思う。」

 この一言の後、場面は変わり、国民のベトナム戦争反対運動が盛り上がり、首都ワシントンDCで5万人にも及ぶデモがあった場面に移ります。その一部2万人は国防省のペンタゴン庁舎を囲みます。庁舎を守るため、憲兵と連邦保安官に銃を持たせて警備に着けますが、銃に実弾を装填するのは国防長官マクナマラ氏の命を待たせ、デモとの衝突はあるものの実際には命じませんでした。
 しかし、マスコミの論調や評論家やコメンテーターは口々にマクナマラ氏を批判します。画面には、同氏を「人殺し」、「独裁者」、「全くダメ」と侮蔑する言葉が躍り、ベトナム戦争のことを「マクナマラの戦争」などという紙面が次々に映し出されます。当然、記者会見やぶら下がりの会見で記者たちの突っ込みもキツクなってきます。「現地の状況はもはや打つ手のない手詰まり状況に移行した、と分析する専門家がいるがどう思うか?」との質問に、「いや、いや、私はそうは見ていません。実際には、現地でウェストモーランド将軍も指摘しているように、サイゴンにおける大規模な軍事作戦などにおいても実質的には成功裏に進んでいます。」と笑顔も交えて答えます。こうした、記者会見や国民への説明の場では、同氏は徹底して強気の姿勢を崩さず、毅然とした態度で自信たっぷりに理路整然と、特に統計的数値データを示しながら国民の理解を得ようとしました。
 この頃、同氏が得た記者対応上の教訓が今回の教訓「決して『never』とは言うべからず。 Never say never. 」です。
 同氏は、当時、記者から聞かれたくない質問や答え方に窮する質問をされることが多かったわけですが、2つのルールを肝に銘じていたそうです。まず第一に、「never」=「決して~ない」という表現は決して使わないこと。そして第二に、記者に聞かれたことにはストレートに答えず、答えたい質問にだけ答えること。この2つをルールとして順守し、実際非常に有用だった、と語ります。記者さん達は、国防長官のコメントから、揚げ足をとるべく、失言やミス、方針転換の端緒、作戦失敗の是認など、隙を窺っています。それらに足をすくわれないように、なおかつ、政府の方針・方向性に対して国民の理解を得られるように、国防長官としての地位・役割を果たすために自らに課していたルールだった、ということです。

 さて、今回の教訓自体は他の教訓に比し深みのあるものではありませんでしたが、ここからの後半、いよいよ強気一辺倒、理路整然と終始毅然とした態度で職務に臨んできたマクナマラ氏の転換点を迎えます。
 ここでモリス監督は、ベトナム戦争の責任の所在について単刀直入に切りこみます。これに対し、マクナマラ氏の回答も単刀直入です。「それはジョンソン大統領の責任だ。」と。同氏の回答は一刀両断です。「ジョンソン大統領が国家のために実施した様々な貢献については高く評価するが、他方、ベトナム戦争については(ジョンソン大統領一人に責任を押し付けるつもりはないが)その責は免れない。もしケネディ大統領が存命であれば50万ものアメリカ兵を現地に送るようなことにはならなかっただろう。」、と。
 ここで同氏は、当時の同氏と大統領の関係を示す2つの写真を紹介します。ジョンソン大統領とマクナマラ国防長官が大統領執務室らしき部屋で議論している風景ですが、

映画「フォッグ・オブ・ウォー」より①
(出典: 映画「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元国防長官の告白」より)

一つは、マクナマラ氏が何かの懸案について意見具申していますが、ジョンソン大統領は怪訝な顔で当惑しているの図。ジョンソン大統領の頭の中をマクナマラ氏が代弁します。
  “My God, I’m in a hell of a mess.
  And this guy is trying to tell me to do things
  that I know is wrong and I’m not gonna do.
  But how the hell am I gonna get out of this?”
  「神様、これはもう無茶苦茶な状況だ。
  こいつ(マクナマラ氏)の言っていることは間違っていて、私はそうはしたくないのだ。
  しかし、一体どうすりゃこの状況から抜け出せるっていうんだ?」

映画「フォッグ・オブ・ウォー」より②
(出典: 映画「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元国防長官の告白」より)

もう一枚の写真は、当惑するジョンソン大統領を背景に、説明しても説明しても一向に理解してくれないジョンソン大統領に対して、呆れ顔で頭に手をやるマクナマラ氏の図。マクナマラ氏の頭の中の言葉はこうです。
  “Jesus Christ. I love this man. I respect him.
   But he’s totally wrong. What am I gonna do?”
   「おお主よ、私はこの愛すべき男を慕い、尊敬している。
  しかし、彼は間違っている。一体どうしたらいいのだ?」

 ベトナム政策について、マクナマラ氏はジョンソン大統領に意見具申しても説得できず、ジョンソン大統領は既定路線で行くのだということをマクナマラ氏を納得させることはできませんでした。マクナマラ氏は言います。「ケネディ大統領にもジョンソン大統領にも同様に忠誠心を払い尊敬して仕えた。しかし、最終的にはジョンソン大統領と自分は、お互い対極にいることに気づいたのだ。」
 様々な意見具申がジョンソン大統領に容れられなくなる状況下で、ベトナムでは次々に新しい作戦名を冠して米軍の新たな作戦が繰り出されます。しかし戦況は悪化の一途。マクナマラ氏も遂に腹を決めます。1967年11月に、「現在の行動方針は完全に誤っており、我々は方向を転換、すなわち作戦を縮小し、死傷者を削減しなければならないのだ。」というメモにしたため、他の閣僚には論争を巻き起こすのは必定なので一切見せず、直接大統領に手渡します。そして、「このメモは閣僚の誰にも見せていません。大統領が私のこの意見具申に同意してくれないであろうことは分かっていますが、・・・」と申し添えて。しかし、結局、大統領からは何の回答もなし。これに関連してか、マクナマラ氏がベトナム戦争のストレスとプレッシャーに晒されてメンタルをやられてしまった、という噂がたったといいます。実際にはメンタルダウンしたわけではありませんでしたが、覚悟の意見が容れられず、マクナマラ氏は辞任することになります。丁度、画面では辞任に際しての最後の儀仗隊の儀仗を受け、整列した兵士の前を笑顔で去っていく同氏の姿が映し出されます。同氏は、これを「It was a really traumatic departure. 忘れられない痛ましい旅立ちだった。」と語っています。こうして、マクナマラ氏は国防長官を辞し、同氏のベトナム戦争指導は終わります。

 さて、今回の冒頭に私が「マクナマラ氏らしくない」と言ったマクナマラ氏の発言を思い出してみてください。
  “It’s a very difficult position for sensitive human beings to be in.
   Morrison was one of those. I think I was.” 
  「そういった地位(戦争指導者等)にいるというのは、
  繊細な人間にとっては大変困難なことだ。
  モリソン(焼身自殺した市民)はそういった繊細な人間だし、
  私自身もそうだと思う。」
 この一言が、ずっと後の場面で大統領への意見具申や辞任の話になることの前振りの役割を果たしているのだと思われます。インタビューアーを兼ねるモリス監督は、前回も聞きましたし、今回も聞いていますが、マクナマラ氏に対し尋ねます。「貴方は反戦運動などに影響を受けたか?ベトナム戦争中に考えが変わったのか?」これに対し、「いや、自分は考えを変えていない。ただ冷戦を戦っただけだ。」等とマクナマラ氏は否定しています。しかし、実はマクナマラ氏自身も繊細な心を有し、ずっと前から心を痛めつつも、「善を為さんとして悪を為している」との自覚の下、苦しい地位・役割を果たし続けた末に、breaking pointを迎えた、ということなのだろうと思います。ちなみに、同氏は「家族に関わる話は一切言及しない」と拒んだため映画には出てきませんが、戦争反対の運動が国民的に高まってきた頃、マクナマラ氏の子息は戦争反対派を公言してはばからず、戦争中は同氏と一切会話しない状況であったといい、同氏の最愛の奥様も非常に心を痛め、家族全員にとって忘れえぬ苦しい時期だったようです。
(了)


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2018/09/06

マクナマラの教訓: ⑨ベトナム戦争: 「善を為すために悪を為さざるを得ない」覚悟とは

<映画「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白」に学ぶ ⑨ベトナム戦争:「善を為すために悪を為さざるを得ない」覚悟とは>

 前回まで見てきたように、1965年以降の米国は、ベトナムに本格介入したものの決して拡大をするつもりはなかったはずなのに、結果的に泥沼に足を取られ抜き差しならない状況になっていました。今回は、その戦争の泥沼の中で同氏が得た教訓⑨「善を為すために悪を為すことにならざるを得ないことがある。In order to do good, you may have to engage in evil. 」を反芻したいと思います。

 前回に続き、ベトナムへの米軍の兵力増強は益々増大し、1965年末頃には米陸軍と米海兵隊合わせて18万4千を超えていました。しかし、戦況は泥沼のまま、現地に派遣されたマスコミの特派員を通じ、毎日のようにベトナムの町や農村で、或いはジャングルで、夥しい数のアメリカの若者たちが死傷し、疲弊していき、更に犠牲になった現地ベトナム人の悲惨な姿、それらが毎日のようにお茶の間のテレビ画面に写ります。米本土での反対運動が増大します。ある米国市民がベトナム戦争に抗議の意を示すため、マクナマラ氏の執務室の下で焼身自殺します。その遺族の夫人が、「人は、人が人を殺すのを止めなくてはならない。」とコメントし、マクナマラ氏も少なからずショックを受けたようです。
VietnamMural.jpg

 しかし、マクナマラ氏は記者会見等で強気の姿勢崩しません。「状況は悪化の一途、むしろ劣勢では?ジョンソン政権のベトナム政策は間違っているのでは?」と攻めたてる記者たちを相手に一歩も引かず、お得意の統計学的数値データを使い、チャートやフリップで表やグラフや挿絵を示しながら、軍事作戦は着実な成果をあげている旨を粘り強く説明します。

 インタビューアーを兼ねたモリス監督が、「貴方は、ベトナム戦争へのこうした介入の実質的な推進者だったのか、それとも推進する者たちの道具に過ぎなかったのか?」とマクナマラ氏に尋ねます。これに対し同氏は、「どちらでもなかった。」と答え、更にこう続けます。
  “I just felt that I was serving at the request of a president
   who’d been elected by the American people.
  And it was my responsibility to try to help him, uh,
   to carry out the office as he believed was in the interest of our people.”
  「私はただ、選挙でアメリカ国民の負託を受けた大統領の求めに応じて仕えているのだ、と感じていただけだ。
  その大統領が国民の利益になると信じて政権運営を遂行していくのを手伝うことが自分の責任であったのだ。」

 この辺の回答ぶりが、マクナマラ氏の大統領に対する「忠誠」という同氏の人格と、自分はただ大統領の幕僚として求めに応じて仕えたのだという大統領の幕僚としての「機能」という無人格との、一見二律背反するような二つの側面をわが心に併せ持っていた感じが滲み出ているように、私には思えます。ただし、同氏に対する人物評や映画評では、これが「自分の責任は絶対に認めようとしない/責任逃れだ」等の批判を受けるところでもあります。

 この後、同氏は、戦争環境下における道徳的適切性のあり方について、自ら枯葉剤の使用を例にとって説明します。ジャングルに隠れて米軍を苦しめる敵に対する対抗策として、隠れる衣を剥ぐジャングルの植物を枯らしてしまう薬剤を噴霧したことについて、これが実は毒性が高く、枯葉剤を吸ったり皮膚についたりして死傷したり障害が出たり、或いは妊娠した女性が奇形児を生んだり、等々の被害が指摘され、非人道的であると糾弾されることについて語ります。そして、ではこの枯葉剤を使用したことは違法だったのか?と自ら問い、当時これが違法であるとはどこにも規定していない、違法であるなら使用していなかった、と語ります。しかし、自分は枯葉剤使用について命じたかどうか覚えていない、しかし自分が国防長官の時期に使用したことは間違いない、と語ります。ここについては、多くの方が「これこそ責任逃れだ」と厳しく批判されるところです。しかし、よく映画を見ていただきたいのですが、ここでモリス監督から枯葉剤の話を突っ込まれてしぶしぶ重い口を開いたり責任逃れをしたのではなく、マクナマラ氏自らが次の教訓「善を為そうとして悪を為さざるを得ないことがある。」という話をするための自らの例として枯葉剤の話を持ち出したのです。

 ここで今回の教訓の登場です。
  “How much evil must we do in order to do good?
  We have certain ideals, certain responsibilities.
  Recognize that at times you will have to engage in evil, but minimize it.
  I remember reading that General Sherman, in the Civil War,
  The mayor of Atlanta pleaded with him to save the city.
  And Sherman essentially said to the mayor
  just before he torched it and burned it down:
  ‘War is cruel. War is cruelty.’
  That was the way LeMay felt.
  He was trying to save the country.
  He was trying to save our nation.
  And in the process, he was prepared to do whatever killing was necessary.
  「善を為すためなら、我々はどれほどの悪を為さねばならないのだろうか?
  我々には確たる理想があり、確たる責任がある。 
  時として悪に従事せざるを得ないことも認識している。しかし最小限にとどめねば。
  南北戦争の話だが、シャーマン将軍の逸話を思い出す。
  アトランタ市長が敵将のシャーマン将軍に街を焦土にしないでくれと懇願するが、
  『戦争とは冷酷/悲惨なものなのだ。』と言った直ぐ後に街に火をつけた、という。
  これはまさにラメイの考えと同じなのだ。 
  彼は国を/国家を救おうとしたのだ。
  そして、その過程において、必要とあらば如何なる人殺しさえする覚悟だったのだ。」

 この辺りの言葉遣いから、私見ながら、やはりマクナマラ氏は自分の責任逃れを語っているのではなく、あくまで客観的に戦争というものの特性を教訓として語っているのだろうと思います。善を為そうとして(=国のために良かれと思って)実施する作戦や施策が、時として、客観的には悪である(=人道的には認められない)行為(特に、人を殺傷すること)を為すことにならざるを得ないのだ、状況によりそうせざるを得ないこともあるのだ、との覚悟が戦争時の国家指導者、軍指導者の現実的な特性であろうと思われます。・・・この辺は、非常に批判をいただくところだと存じますが、あくまで戦争という非常時の特性として、敢えてこのように書かせていただきました。
 (了)

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2018/09/03

マクナマラの教訓: ⑧ベトナム戦争 本格介入~泥沼化からの教訓

<映画「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白」に学ぶ ⑧ベトナム戦争: 本格介入~泥沼化からの教訓>

 いよいよベトナム戦争の泥沼化の辺り、映画フォッグ・オブ・ウォーにてモリス監督が最も核心部分と思っている辺りの話に差し掛かってきました。ベトナム戦争は奥が深く、いろいろ紐解けば切りがないのですが、あくまでこの映画の流れを追いながら、今回の教訓⑧「自分のそもそもの論拠も再検証するつもりでいよ。Be prepared to reexamine your reasoning. 」を反芻してまいりましょう。
VietnamMural.jpg

 映画では、前回の教訓までで見てきたように、トンキン湾事を契機に大統領に強大な戦争権限が与えられ、必要な措置がとれるようになりました。その後の米国のベトナム戦争への本格介入の様を、映像は当時のニュース映像の継ぎ接ぎをしながら追っていきます。
 本格的北爆の開始、・・・これで第2次大戦の全ての爆弾の量を超える猛烈な爆撃を北ベトナムに与えます。陸上部隊の投入、・・・航空基地の航空機やヘリを守るために仕方ない、との判断でした。逐次の更なる兵力投入、・・・全く好転しない戦況を巻き返せずとも現状維持するための仕方なしの策なのだ、との判断でした。しかし、北ベトナム軍・南ベトナム解放戦線との激戦は続き、テレビの映像で現地の泥沼の対ゲリラ戦を、アメリカ兵の死傷者の増大、疲弊するアメリカ将兵の姿を、巻き込まれて無残な姿で死んでいく現地のベトナム人たちの姿を、現地取材するマスコミの特派員を通じて米本土の国民達が毎日目にすることになりました。そこにあるのは、どう見ても益々泥沼に足を取られていく米国の姿でした。

 マクナマラ氏は、キューバ危機の教訓と比較してこう説明します。「キューバでは相手に感情移入してみることによって冷静沈着、合理的かつ適切な状況判断ができた。しかし、ベトナム戦争ではそれができなかった。米側は『冷戦』の一正面として戦い、他方ベトナム側は米国を侵略者として捉え『内線』を戦ったのだ。」と。
 同氏がこういう結論に至ったのは、1995年に同氏がベトナムを訪れ、あれほどの損害を出さずとも双方が当時の目的を達成できる方策があったのではないか、との仮説を胸に、当時の米越の高官間の意見交換を持った時の、危うく喧嘩になるくらい激論になったショッキングな内容からでした。

 戦争当時ベトナム側の外相であったタク氏とマクナマラ氏の会話です。
  タク氏: “You’re totally wrong. We were fighting for our independence. You were fighting to enslave us.”  
        「貴方は完全に間違っている。我々は国の独立のために戦っていた。あなた方は我々を奴隷にするために戦っていたのだ。」
  マク氏: “Do you mean to say it was not a tragedy for you, when you lost 3,400,000 Vietnamese, killed, which on our population base is the equivalent of 27 million Americans? What did you accomplished? You didn’t get any more than we were willing to give you at the beginning of the war. You could’ve had the whole damn thing: independence, unification.” 
        「いやいや、それではあの戦争はあなた方にとっても悲劇だったとは思わないのですか?340万名もの貴国国民が死亡した。これは米国の人口に換算すれば2700万名に当たる。この戦争であなた方は何を達成したというのか?戦争初期に我々が喜んで提供したであろう独立や統一のようもの以上には、決して達してなかったではないか?」
  タク氏: “Mr. McNamara, you must never have read a history book. If you had, you’d know we weren’t pawns of the Chinese or the Russians. McNamara, didn’t you know that? Don’t you understand that we have been fighting the Chinese for 1000 years? We were fighting for our independence, and we would fight to the last man. And we were determined to do so, and no amount of bombing, no amount of U.S. pressure would never have stopped us.” 
        「マクナマラさん、貴方は歴史の本を読んだことがないはずだ?もし読んだのなら、我々が中国やロシアの手先になどならない、と分かるはずだ。我々は1000年も中国と戦ってきた。我々は我が独立のためにこそ戦い、最後の一兵まで戦い続けただろう。いかなる量の爆撃を喰らおうと、いかなる物量の米国からの圧力をかけられようと、何者も我々を止めることはできないのだ。我々はそう決意しているのだ。」

 マクナマラ氏にとって、このやりとりはショッキングだったようです。とともに、これまで自分たちが「いやいや冷戦の一環だったんだよ。」と説明してきたことの屋台骨が揺らいだ感があったのではないでしょうか。米国にとっては、確かに紛れもなく冷戦時代に起きた冷戦の一正面の政策だったことに間違いありません。主たる脅威はあくまでソ連、そしてソ連を中心とする東欧、中国だったでしょうし、その共産陣営が世界のあちこちで自由主義陣営を内部から蝕んでいく…、というドミノ理論的な恐怖があったのは間違いないでしょう。マクナマラ氏はまさにそのど真ん中にいたわけですから。しかし、この当時のベトナム高官とのかみ合わない話を通じて、気づきを得たのでしょう。その「冷戦」史観を離れて、はた、と立ち止まって考えたのではないでしょうか。

 同氏は、この会話を紹介したのち自らの教訓を導きます。
 教訓⑧ 「自分のそもそもの論拠も再検証するつもりでいよ。Be prepared to reexamine your reasoning. 」です。(今回英語ばかりで済みません。浅学菲才な私の訳や要約で説明するのではなく、同氏が至った教訓の意味、考えをストレートに理解してもらうには同氏の言葉をそのままお伝えした方が得策と思いますので、アシカラズ。)

  “What makes us omniscient? Have we a record of omniscience?
  We are the strong nation in the world today.
   I do not believe we should ever apply that
  economic, political or military power unilaterally.
  If we had followed that rule in Vietnam,
  we wouldn’t have been there.
  None of our allies supported us.
  Not Japan, not Germany, not Britain or France.
  If we can’t persuade nations with comparable values of the merit of our cause,
  we’d better re-examine our reasoning.
  「我々は全知全能になったのか?とんでもない、全知全能であったことなどない。
  確かに、我々米国は世界最強の国家である。
  しかし、その力を政治、経済、軍事等の力を米国一国のみで一方的に適用すべきではない。
  そのルールに従っていれば、ベトナムには行かなかったであろう。
  日本も、ドイツも、英国も、フランスも、同盟国の誰もが我々を支持しなかった。
  もし我々が、我々の社会的大義に値する価値観についてそうした同盟国に対し説得ができないのなら、我々は我々自身の論拠・論理について見直し・再検討をすべきなのだ。」

 
 イラク、アフガンとの戦争、そして最近のトランプ大統領の対外政策等々を見ていると、マクナマラ氏の警鐘は深く学ぶ価値が十分にあると、つくづく思います。
 (了)

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2018/09/01

マクナマラの教訓: ⑦ベトナム戦争: トンキン湾事件をめぐって

<映画「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白」に学ぶ ⑦ベトナム戦争:トンキン湾事件をめぐって>

 前回は、マクナマラ氏がフォード社時代のお話でした。映画(マクナマラ氏へのインタビュー)の続きは、その後の同氏の動きが話されます。辣腕を買われてフォード社社長になった同氏に、就任直後のケネディ大統領から国防長官をやってくれとの打診を受け、同長官に就任、その後ベトナム戦争本格介入前のケネディ時代のベトナム政策、ケネディ暗殺を経てジョンソン大統領の政権下でのベトナム戦争本格介入へ至る部分になります。そのベトナム戦争本格介入になるキッカケとなったのがトンキン湾事件であり、今回の教訓7「信念や視認した真実がともにしばしば判断を誤る。Belief and seeing are both often wrong. 」のテーマとなります。前回お話ししたように、インタビューアーを兼ねたモリス監督がベトナム戦争の話題に切り込んだ際に、マクナマラ氏は「その話題は冷戦の文脈の中でアプローチさせてくれ。」と言って、わざわざ終戦後から話し始めた部分ですので、その冷戦の文脈について触れつつ、トンキン湾事件の教訓を反芻したいと思います。

 辣腕を買われてフォード社の新社長になったばかりのマクナマラ氏に、これまた大統領選挙で勝利し就任予定のケネディ氏から弟のロバート・ケネディ氏経由で打診がありました。結局ケネディ氏本人とも会って受諾します。フォード社の社長という将来を約束された世界一の高給取りから、名誉はあるものの薄給の国防長官への転身は、それこそさぞサプライズ人事だったことでしょう。この国防長官就任の経緯を語る時の同氏は、いかにも自慢げで嬉しそうで、懐かしそうにケネディ大統領を語っています。この後、ケネディ政権下でのベトナム政策の話題に移り、1963年にベトナム視察から帰国した同氏は大統領に、もはや米国からの軍事顧問団を2年以内に全て撤退した方がよい旨意見具申し、大統領もこれを発表(10月末)します。ところが、その直後(11月2日)に南ベトナムでクーデターが起こり、後押ししていたゴ・ジン・ジェム大統領が殺害され、ケネディ大統領も相当なショックを受けたようです。そして更に間もなくしてケネディ大統領が暗殺されます。マクナマラ氏は長官室でロバート・ケネディ司法長官から電話で知らされます。失意の中、アーリントン国立墓地に大統領の墓地にふさわしい場所を確認に行き、ここしかないという適地を決めて大統領夫人にも確認してもらいます。後日、公園レンジャーの担当者が同氏のところに来て、まさにその場所は数週間前に大統領がこの地を訪れ「ここはワシントンで一番見晴らしがいいね」とお気に入りの場所だったという逸話を聞いたのだ、と涙を滲ませ声を詰まらせながら語ります。

 ここからジョンソン政権に話が映ります。映画では、1964年2月25日の肉声テープで、電話にてジョンソン大統領からベトナム戦争への関わり方について「修正したい」と言われ、当惑するも押し切られる同氏の声が聞こえます。この時、大統領がこういう文言をスピーチに入れてくれ、と注文したのが当時の冷戦ならではのドミノ理論です。
  「我々には、ベトナムの自由に対するコミットメントがあるのだ。
  もし我々が撤退すれば、インドシナにおけるドミノが倒れあの地域は共産化する。
  ある者は、もし海兵隊を送れば第3次大戦或いは朝鮮戦争のようになる、と主張する。
  他方で、なぜもっと介入しないんだと尋ねる者たちもいる。
  しかし、戦争拡大も更なる宥和政策も、我々はいずれも望まない。
  我々の政策の目的はあくまで南ベトナム軍の訓練であり、
  順調に訓練は遂行されているのだ。そう言えばいいのだ。」

 驚くのはこのあとの大統領の発言です。
  「私は、これまで君が撤退について何か発表をするたびに馬鹿げたことだと思ってきたのだ。
  撤退について言及するなんて心理的に悪影響がある。
  君と前大統領の考えは私とは全く違うものであったが、当時私は黙って聞いていた。
  そこで質問だ、
  戦況が劣勢になって撤退を口にするなんてマクナマラの奴は一体何を考えているんだ?
  ってね。」
 1280px-Dean_Rusk,_Lyndon_B__Johnson_and_Robert_McNamara_in_Cabinet_Room_meeting_February_1968

 また、同年6月9日の肉声テープでは、介入の度を強めようとしている大統領に、マクナマラ氏はCIAからの現地情報に言及しながら、南ベトナム軍の訓練はうまくいっておらず、士気もモラルも低く、国民の心も軍や政府から離れており、これは現地に派遣されている報道関係者からも現地政府の要員から自ずと漏れていくはずである、とご注進し、「これ以上の介入を続けるのであれば、そろそろ国民に説明をする必要がある。」と訴えます。しかし、大統領は今言っても戦争屋だと叩かれるだけだ、タイミングとしてよくない、とかわされています。

 こうしたズルズルと介入を続けた挙句に、1964年8月2日と4日のトンキン湾事件が起きます。トンキン湾で哨戒活動をしていた米艦艇に対し、北ベトナム艦艇から魚雷攻撃及び機関銃の射撃があったため、これに米側も応戦した、というものです。実は、2日の攻撃を受けたことで米側が「北ベトナム軍から攻撃があったこと、応戦したこと、北ベトナムに対する厳重抗議」を4日に発表したところ、同日中にまたトンキン湾で同様の2回目の攻撃があったため、現地時間同日夜に報復として初めて爆撃を実施、7日にはいわゆるトンキン湾決議によりジョンソン大統領は必要な措置が取れるという強力な大統領権限を行使できるようになり、じ後の本格介入、北爆開始のキッカケとなりました。
 しかし、マクナマラ氏は、当時の米政府の実際の認識として、2日の攻撃は実は当時本当に攻撃だったのか疑問が残るもの、とされ、他方4日の攻撃は本当に攻撃されたもの、と判断されていたと述懐した上で、後に分かった事実として、真実は当時の認識と反対であり、4日には攻撃されておらず、2日は実際に攻撃をされていた、と語ります。これが、教訓7「信念や視認した真実がともにしばしば判断を誤る。Belief and seeing are both often wrong. 」です。

 ここをマクナマラ氏のインタビューの話のみで素直に解釈してみます。
ベトナム戦争への米軍介入の初期に、冷戦期のドミノ理論の観点から退くに退けずにズルズル介入をしていた。「北ベトナムからいつか攻撃があるだろう、その場合は応戦するぞ。」と構えていた。ある日、攻撃らしきことを確認した、事実そのように見えた、報告し応分の応戦をした。報告を受けた米政府は抗議した、その直後にまた攻撃された(らしい)、となれば大統領に権限を与えて、必要な措置がとれる態勢にシフトチェンジした。しかし、事実は必ずしもその通りではなかった。そういう信念=思い込みや実際に見た=確認(視認)したという話は往々にして判断を誤るのだ、というのが教訓だ。 ・・・と言ったところでしょうか。

 しかしながら、この映画以外の公刊資料、北ベトナム側の発表、数年経ってからのスクープ的な文書の公開や発言などからすると、実際の話はいささか複雑怪奇です。特に、今年(2018年)3月に公開されて話題にもなった「ペンタゴンペーター」の存在など、実はトンキン湾事件は米軍の自作自演だったのだ、といった認識が今や常識的になっています。曰く、米政府、国防省ははじめから本格介入するために事件をねつ造したのだ、と。確かに、また、当時国防省が作成し開始していた作戦があること、その日トンキン湾にいた哨戒艇は「哨戒」の名のもとで北側を挑発していたこと、covert operation(隠密作戦)ながら南ベトナム軍が実施している形をとりつつ実質的には米軍が実施した様々な破壊・妨害工作や軍事作戦があの頃実施されていたこと、などが後日明らかになっています。
 では、全くのねつ造であるのなら、マクナマラ氏は虚偽の話をイケシャーシャーと厚顔無恥にしているのでしょうか?肉声テープの艦艇の報告は、お芝居であって全くの台本読みでしょうか? 
 ここが複雑怪奇なんですよね。1971年にスクープされ、やがて公開されることとなったペンタゴンぺーパーとは、正式名称は "History of U.S. Decision-Making Process on Viet Nam Policy, 1945-1968" 「ベトナムにおける政策決定の歴史、1945年-1968年」というもので、国防省の内部文書です。しかし、これがなんと、作成を命じたのは当時のマクナマラ国防長官その人なのです。同氏は、ズルズル介入が本格介入になり、抜き差しならない泥沼化していく様を見て、大統領の忠実なスタッフ・部下としての忠誠心と、これはおかしいんじゃないかという正義感とのはざまで、ジキルとハイドのような勤務をしていたことでしょう。しかし、さすがに自由と公正の国、民主主義の国アメリカの公僕として、部下に命じて日の目を見ないであろう事実を記録させたのです。あれ?それにしてもペンタゴンペーパーには「あれははじめから自作自演のねつ造だった」と書いてあったのでしょうか? ペンタゴンペーパーの趣旨を確認しましたが、そうは書いてないんですよ。基本的な論旨は、米国は不十分な手段(兵力の逐次投入などの介入の仕方)によって過大な目的(インドシナの共産化を堰き止めること)を追求した、ということであり、ただただ共産主義の膨張、ドミノ理論を何とか堰き止めたい、という官僚たちの努力が感じられるものです。しかし、ここに実はトンキン湾のずっと前から介入に向けての計画があった件、様々な工作活動や事実上の米軍の作戦への関与等はあったこと、等は書かれているようです。スクープされた1971年はまだニクソン政権下でベトナム戦争の最中でしたから、さぞや反響は大きかったことでしょう。そんな計画があったなんて、ねつ造・陰謀があったに違いない・・・と思われるかもしれませんが、軍隊というものは常に最悪を想定し、その最悪のシナリオをどのように対応すべきかというのを、大まじめに見積もって不測事態対処の計画を立てるものなのですよ。私にとっては全く不思議がありません。計画は当然ですが、米軍の場合はその各種手段・能力があるので、covet operationでいろいろな工作活動などを実施する奴らなんですよ。そこは自衛隊にはないですね。脱線してすみません。 しかし、トンキン湾の件は、映画の中で同氏が語ったように、8月4日はなかったのに事実を誤認し、攻撃があったと判断したこと、2日の攻撃は北側の事実誤認で米軍を南ベトナム軍と間違えて北側の攻撃の事実があったこと、が書かれているわけで、まさに同氏の発言と同じです。ただし、これを契機にジョンソン大統領が戦時権限を得て、じ後の本格介入に入っていったのは事実ですね。


 こうして、冷戦の論理の中でベトナム戦争に本格介入していく米国。教訓は次回以降もベトナム戦争の話題が続きます。
(了)

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