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2018/10/27

米朝首脳会談後の北朝鮮をどう見るか?

「防衛白書」をザックリ解説: ③北朝鮮情勢(後編)
 - 米朝首脳会談後の北朝鮮をどう見るか? -

○ 本年度防衛白書から、第1部「我が国を取り巻く安全保障環境」の主要ポイントである「北朝鮮」に対する情勢認識についてザックリとした概説を試みます。(後編)

<「北朝鮮」情勢認識のポイント>
  白書の情勢認識のポイントは以下の3点です。
 ① 北朝鮮の核・弾道ミサイル開発の進展は、
   「これまでにない重大かつ差し迫った脅威」である。
 ② しかし、米朝交渉の進展、特に北朝鮮が共同声明にて
   「完全な非核化に向けて取り組む」と表明した意義は大きい。
 ③ とはいえ、北朝鮮が核・ミサイルの廃棄について
   誠実かつ具体的に取り組むか、今後十分な見極めが必要だ
   
○ 前編では①の北朝鮮の「これまでにない重大かつ差し迫った脅威」
 についてお話させていただきました。
  後編では、②と③の
 「米朝交渉の進展に一定の評価」をするものの、
 「今後な見極めが必要」とする部分について、
 米朝首脳会談後の北朝鮮の脅威(特に核・弾道ミサイル開発)を
 白書ではどう見ているか、概説を試みます。

  では、まず白書の情勢認識について、②、③の順でザックリ概説します。
  (※白書の情勢認識の本文では、詳述しているものの明確な評価が分かりづらいところがありますが、白書の巻頭のダイジェストでは明解に書かれています。)

<②米朝交渉の進展に一定の評価>
  水面下の交渉を経て、今年(平成30年)6月に、
 米朝首脳会談がシンガポールで行われた。
  金委員長自身が共同声明等において、  
 「完全な非核化に向けて取り組む」との意思表明をした意義は大きい。
  今後、引き続き米国との交渉が持たれるが、これをテコに、
 「完全な、検証可能な、かつ、不可逆的な方法での廃棄に向けた具体的な行動」が、しっかりと取られていくことが望まれる。

<③今後十分な見極めが必要>
  北朝鮮が、全ての大量破壊兵器及び弾道ミサイル等を
 「完全な、検証可能な、かつ、不可逆的な方法での廃棄に向けた具体的な行動」
 を引き出していくよう、
  我が国としても、米国・韓国等と緊密に協力し、
 中国・ロシア等とも協調して、国際社会との連携により、
 今後の北朝鮮の対応について見極める必要がある。
 というのも、首脳会談後の北朝鮮の対応は、
 一定の廃棄の動きは見られるものの、
 実質的な廃棄の効果は不明であり、
 今のところ、北朝鮮の脅威認識に変化なし。
 北朝鮮自らの廃棄に向けての誠実なコミットメントは不透明。

<白書の情勢認識に対するマスコミ等の論調>
 さて、上記のような白書の認識に対して、マスコミは以下のようなコメントをしています。まず手厳しい方の代表から。

○ 朝日新聞社説 (2018/8/29) 「防衛白書 国民の理解求めるなら」 
  ②と③の分析について、特に③の部分について手厳しいコメントです。
   「・・・ 白書は、6月の米朝首脳会談で、北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長が朝鮮半島の『完全な非核化』を文書で約束した意義は大きいと認めた。一方で、核・ミサイルの脅威について『基本的な認識に変化はない』とし、緊張緩和の流れや影響について、ほとんど分析していない。」
  じゃあ朝日新聞の情勢認識はどうか、というと、
   「・・・ 北朝鮮がこれまで繰り返してきた核実験とミサイル発射を凍結したことは大きな変化に違いない。関連技術蓄積への一定の歯止めにもなろう。 いま肝要なのは、北朝鮮の意図を慎重に見極めながら、対話が後戻りしないよう働きかけることで、脅威を過度に強調することではない。」、とのこと。
  まぁ、今回の白書は、①の部分で「これまでにない重大かつ差し迫った脅威」と断じてますから、それについて朝日は、「いま肝要なのは、 ・・・ 対話が後戻りしないよう働きかけることで、脅威を過度に強調することではない」、とのご指摘です。しかし、「北朝鮮が核実験とミサイル発射を凍結した」というのは、あくまで今のところの話であって、米朝交渉の帰趨によっていつでも復活しますからね。そこへのご認識は甘いようです。
  更に、「・・・ 驚いたのは、昨年7月に国連で採択された核兵器禁止条約に白書が一言も触れていないことだ。『軍備管理・軍縮・不拡散への取組』という項目を立てながらである。政権がこの条約に背を向けているとはいえ、核をめぐるこの重要な動きを、無視するなど論外だ。」、と論評しています。 東京新聞も同様に手厳しいコメントでした。

  次いで、意外にも割と普通に受け止めていた日経新聞です。

○ 日本経済新聞社説(2018/8/29) 「変化に即応した安保戦略を 」 
  まず①について、コメントを加えずに客観的に以下のように記述しています。
   「… 防衛白書は巻頭で、16年以降の北朝鮮による3回の核実験や40発もの弾道ミサイル発射を取り上げた。同国への認識は昨年より表現が厳しくなり、緊張緩和への具体的行動が伴わない段階での油断を戒めている。今年6月の米朝首脳会談について『朝鮮半島の完全な非核化に向けた意思を、改めて文書の形で、明確に約束した意義は大きい』と指摘。一方で核・ミサイルの運用能力の向上を理由に「現在においても、脅威についての基本的な認識に変化はない」とした。」
  また、②と③について、これまた客観的に、 
   「北朝鮮は米朝会談の後も非核化への道筋を示さず、トランプ政権の次の一手も不明確なままだ。事態は楽観できず、日米両国はミサイル防衛システムの一層の強化などを続けるべきだろう。」
  とのコメント。

  次いで、独特の論評で知られる田原総一郎氏のブログから。

○ 田原総一朗公式ブログ (2018/9/7) 「防衛費はなぜ増えた? 今年の「防衛白書」を僕はこう読む!」
   まず、①については、
   「・・・ 北朝鮮をめぐる現状を、「これまでにない重大かつ差し迫った脅威」だと強調している。新聞各紙は、前年の「防衛白書」より表現を強めていることを一斉に報じたのだが、僕は、この報道に対して、強い違和感を持った。」 
   のだそうです。 その理由として、昨年(平成29年)の北朝鮮情勢について、米国トランプ大統領は武力行使すら辞さない姿勢を見せたことに触れた上で、そのような状況から米朝首脳会談が首尾よく行われ、金委員長が核廃棄についてトランプ大統領に同意したことを重く受け止め、次のようにコメントしています。
   「・・・ 北朝鮮を巡る事態は、大きく変わったのだ。日本政府も、弾道ミサイル飛来の危機は去ったとして、住民の避難訓練を中止した。・・・ 問題は続いているが、トランプ大統領は金正恩書記長をまったく批判せず、2度目の会談の可能性まで示唆している。 ・・・ 今後、北朝鮮に対して、アメリカが武力行使に出る可能性は低いだろう。そもそも中間選挙を前にしたトランプ大統領に、そんな余力はないはずだ。」
   とのこと。

<北朝鮮情勢をどうみるか?>
  上記の白書の情勢認識及びそれに対するマスコミ等のコメントを踏まえた上で、北朝鮮情勢について私見を述べさせていただきます。
 
  結論から申しますと、白書の認識に全く同意です。もう卒業していますから、今更防衛省自衛隊におべんちゃらを言って持ち上げているわけではありません。
  
  まず①の核・弾道ミサイル開発の状況を前提とした脅威認識については、前編で既述した通りです。もし、北朝鮮が「成功した」と言っているように、既に
 ・ 推定出力が広島型原爆の約10倍に及ぶ規模の核爆弾
 ・ ICBM級と言える新型弾道ミサイル
  (※火星15号及びテポドン2派生型については、日本、グァム、ハワイどころか米国本土に届く射程10,000km以上の可能性も) 
 ・ 弾道ミサイルの発射手段として車両積載型(発射台付き車両)の運用
  これに加えて、
 ・ 終末誘導機動弾頭(MaRV)を実用化
 ・ ロフテッド軌道のミサイルを発射
 ・ 潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)の能力も保持
   などの能力が開発できていたとしたら、立派な核戦力、核抑止力になっていますので、これはもうただ事じゃありません。もはや「これまでにない重大かつ差し迫った脅威」と言って過言ではありません。
   勿論、「まだそこまで開発できておらず、北朝鮮の自称「成功」に過ぎない。」という議論があることも承知しています。上記の6点のハードルはかなり高いものであり、数年前までは高をくくっておりました。しかし、ここ最近の核実験やミサイル発射の状況をデータで見る限り、もはや本当に成功していてもおかしくないところまで来ています。MaRV化にしてもSLBMにしても、まだ怪しいところはあります。例えば、以前の北朝鮮の潜水艦から発射したと称する映像で、海面から斜めに発射されていましたが、通常のSLBMの発射の景況は海面から垂直に発射されたのち点火するものなので、これは違うなぁと眉唾で見ていました。しかし、後に改良したらしく地上発射の映像でしたが(昨年2月?)、発射されたのちに点火される形のものを見た際、これは改良したSLBMの実験なのだろうと感じました。いやぁ、もう高をくくっていられません。進化しているんですよ。およそ安全保障上の脅威を見積もる際の心得として、過小評価や希望的観測を排して、悲観的に見積もった方が適切な分析ができると思います。
s_rere-North-Korea-Syria-Air_Japo.jpg
(PHOTO: AHN YOUNG-JOON / AP)
  勿論、本当のところは分かりませんよ。やはり、クラウゼビッツが「戦場の霧(戦争の霧)=fog of war」と表現し、マクナマラもつくづく痛感したように、戦争というものはスッキリとは見通せない、人間なんぞには容易に晴らせない霧に包まれているんですよ。

  次に、②の米朝交渉の進展に対する評価及び③の②を踏まえた総合的な脅威認識ですが、前述の朝日の社説や田原氏のブログに対する反論をする形でお話ししたいと思います。

  朝日新聞の社説では、②について白書が一定の評価をしたことについて文句はないようですが、③の部分について、「いま肝要なのは、 ・・・ 対話が後戻りしないよう働きかけることで、脅威を過度に強調することではない」、とのご指摘です。しかし、防衛白書の情勢認識の章の記述なので、脅威なのかもはや脅威ではないのか、脅威であるとすれば脅威の程度について評価することが、ここに書かれるべきなのです。その書き方についてコメントするならともかく、「働きかけ」を防衛白書求めるのは筋違いというものでしょう。働きかけってのはむしろ「外交青書」かな。次に、「脅威を過度に強調するな」というご指摘。確かに「過度に強調」するのはよろしくないと思いますが、今回の防衛白書の書きっぷりは、「過度に強調」しておらず、状況好転について評価するものの総合して「まだ十分見極めが必要だ」といっているのであって、まだ油断ならないぞというのが趣旨ではないでしょうか。

  次に、田原氏の「強い違和感を持った」という点について。田原氏の「北朝鮮を巡る事態は、大きく変わったのだ。」という認識に、私はこっちこそ「強い違和感」を感じます。「日本政府も、弾道ミサイル飛来の危機は去ったとして、住民の避難訓練を中止した。」について、政府の中止方針はその通りですが、これは「北朝鮮の核・弾道ミサイルの脅威がなくなった」とか「国民保護のための弾道弾対処の避難訓練の必要性がなくなった」、と政府が判断したわけではないでしょ。せっかく交渉が進捗したわけですから、その共同声明の方向性に掉をささないように大人の対応をしただけでしょ。政府の中止の方針決定後に訓練を実施しなかった地域も多くありましたが、国民保護の住民避難訓練を既に実施していた地域もありましたよ。状況を誤認してませんか?また、「問題は続いているが、トランプ大統領は金正恩書記長をまったく批判せず、2度目の会談の可能性まで示唆している。」って、それはそうでしょうよ。歯に衣着せないトランプ大統領といえども、決裂しないように一応の慎重を期しているんでしょうね。異論はありません。しかし、「今後、北朝鮮に対して、アメリカが武力行使に出る可能性は低いだろう。そもそも中間選挙を前にしたトランプ大統領に、そんな余力はないはずだ。」、とは困ったものですね。米国といえども、軽々に武力行使はしませんが、およそ交渉事というものは、約束事を守らなかったら/背信行為があったなら、「許さんぞ」と武力行使を辞さない姿勢をとるのが常道でしょう。(日本はそうはできませんけど。) 田原氏ともあろうものが、なぜそこまで米朝首脳会談の共同声明に楽観的なのか理解できません。今後の北朝鮮の「完全な、検証可能な、かつ、不可逆的な方法での廃棄に向けた具体的な行動」の履行なんて、どう考えても「不透明」どころか「かなり望み薄」なのではないでしょうか。そもそも「完全」とか「検証可能」とか「不可逆的」というのが難しいですよね。これまで、何度となく米朝間で約束事はあったのですが、してやられてきたわけですから。

  ①のところで言及したように、およそ戦争と言わずとも安全保障の正面に関しては、fog of warなのですよ。所詮、人間なんぞに戦争の霧は晴らすことはできませんよ。
(了)

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2018/10/24

北朝鮮が「これまでにない差し迫った脅威」とは?

「防衛白書」をザックリ解説: ②北朝鮮情勢(前編)
 - 北朝鮮が「これまでにない差し迫った脅威」とは? -

○ 本年度防衛白書から、第1部「我が国を取り巻く安全保障環境」の主要ポイントである「北朝鮮」に対する情勢認識についてザックリとした概説を試みます。
Mike_Pompeo_with_Kim_Jong-un_2.jpg

<「北朝鮮」情勢認識のポイント>
 まず結論から言うと以下の3点です。
① 北朝鮮の核・弾道ミサイル開発の進展は、
  「これまでにない重大かつ差し迫った脅威」である。
② しかし、米朝交渉の進展、特に北朝鮮が共同声明にて
  「完全な非核化に向けて取り組む」と表明した意義は大きい。
③ とはいえ、北朝鮮が核・ミサイルの廃棄について
  誠実かつ具体的に取り組むか、今後十分な見極めが必要だ。
   
<白書における書きっぷり>
○ 今年度の白書では、北朝鮮情勢について20ページ費やしており、
 米国10ページ、韓国・在韓米軍4ページ、中国30ページと比較しても、
 脅威認識の気合いの入れようが知れますね。
 しかも、20ページのうちの16ページが核・弾道ミサイル開発関連です。 
  北朝鮮の核・弾道ミサイルの脅威について、
 囲み記事で解説や図表を使い、
 過去3回の核実験や40発に及ぶ弾道ミサイル発射実験があり、
 ミサイルの種類・射程(北朝鮮を中心とした世界地図を添えて)・発射手段など,
 その能力を着実に高めてきたことを丁寧に解説しています。
使われている図や表も、
 北朝鮮の核・弾道ミサイルの脅威を説明する上で
 非常に有用なものばかり。
 防衛省や自衛隊の幹部がどこかで説明する際、
 これらが定番として使用される1級資料になっています。

では、上記の北朝鮮情勢認識の主要ポイント3点について概説します。

<①何が「これまでにない差し迫った脅威」なのか?>
  北朝鮮のこれまでの核・弾道ミサイルの開発の進展状況から、
 ・ 推定出力が広島型原爆の約10倍に及ぶ規模の核爆弾
 ・ ICBM級と言える新型弾道ミサイル
  (※火星15号及びテポドン2派生型については、
   日本、グァム、ハワイどころか米国本土に届く
   射程10,000km以上の可能性も指摘されいる) 
 ・ 弾道ミサイルの発射手段として車両積載型(発射台付き車両)の運用
 等が可能になったことが推測され、
 もはや核戦力といえる能力を有し、
 この能力を使用しかねない企図を有していると言えます。
 もはや能力と企図を持った非常に危なっかしい核保有国として、
 我が国は勿論のこと、
 周辺国や世界に対する「これまでにない差し迫った脅威」
 となっている、と白書は説明しています。 

  私見ながら一言。
 もっと深刻な核戦争の脅威下にあった米ソ冷戦時代に
 核戦略を学んだ感覚から言わせていただきます。
 なぜか、白書ではあまり強調していませんが、
 上記の3点に加えて、着目すべきは
 ①終末誘導機動弾頭(MaRV)を実用化、
 ②ロフテッド軌道のミサイルを発射、
 ③しかも潜水艦発射弾道ミサイルの実用化、
 等の能力を持ったかもしれないこと
 という地味ながら腹に効くボディーブロー的な技術を
 既に北朝鮮が有しているとしたら、
 これはもうただ事じゃありません。

 およそ核戦力とは、核爆弾を運搬手段に乗せれば成り立ちます。
 しかし、使い物になるかならないかが勝負です。
 例えば、核弾頭を乗せた弾道ミサイルを例に挙げれば、
 その核爆弾をミサイル等の運搬手段に乗せられるように弾頭化できるか、
 ・特に、大気圏の中を再突入するような熱や衝撃に耐えて爆発が機能するのか、
 ・かつ、残存性と命中精度を高めるために多弾頭化し終末誘導が機能するのか、
 えっ?終末誘導機動弾頭できてるの?
 ・更に、敵の迎撃ミサイルからの残存性を高めるためロフテッド軌道ができるのか。
 何?ロフテッド軌道やっちゃったの?
  更に更に言えば、核戦力としての縦深性・柔軟性の確保として、
 北朝鮮本土から発射する弾道ミサイルであれば、
 米国からの先制攻撃に耐えられるかどうか
 という残存性がものをいいますが、
 (※固定発射だと先制攻撃でやられてしまう)
 ・TELという車載発射型を開発して実用化していること
 あ!テレビで見たな、射ってるの。
 仮に先制第一撃を受けたにしても、
 ・最後の手段としての潜水艦発射弾道ミサイルが実用化していること、
 えっ!潜水艦から射ってるのテレビで見たな。まだ怪しいけど・・・
 等が地味ながら深みのある技術的裏付けなのですが、
 今見てきたように、もうできるかもしれないのです。
 ⇒ 結論、これはもうあかん! 
   北朝鮮の脅威は、これまでになく差し迫ってますよ。

(つづく)

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2018/10/21

平成30年度「防衛白書」をザックリ解説: ①30年度版の全体像

<平成30年度防衛白書が8月28日に発表されました。>
 毎年8月末にマスコミに発表、9月末に政府刊行物が発行されています。
 今回は表紙が写真含めカラフルだったものからシンプルなものに一新。
 今年度白書のザックリとした特性及びマスコミ論調をまとめてみました。
hyoushi.jpg
(平成30年度「防衛白書」の表紙)

<本年度の防衛白書の特性> 
 白書は三部構成なので各部ごとのザックリとした特性をまとめました。
 (※)部分は私見ながらのコメントを付け加えてみました。

① 安全保障環境の認識 
 ○北朝鮮:
   「これまでにない重大かつ差し迫った脅威」
   (※昨年度と同様ながら「これまでにない」という表現を付加)
 ○中国:
   一方的な軍事活動エスカレートは国際社会の懸念
   (※昨年度の「国際社会に課題を残す」から一歩踏み込んで「懸念」
   と表現したようです。)
 ○ロシア:
   軍事活動活発化に対し動向を注視
   (※昨年度はロシアについて強調せず。本年度は中朝と並べて脅威と認識かも。)
 ○米国:
   自由で開かれたインド太平洋を標榜
   北朝鮮とは交渉しつつも非核化具体化まで制裁維持
   中国の海洋進出に対し、「航行の自由作戦」等で関与 
   (※進展を見た米朝交渉、インド洋における対中姿勢を反映)
 ○宇宙空間、サイバー空間: 
   各国とも同空間の軍事的優位確保のため能力を開発・向上中
   (※昨年度も一般的記述はあったが、本年度は宇宙・サイバーを強調)

②安保・防衛政策と日米同盟
 ○防衛計画の大綱の見直し:
   30年度末に大綱見直しを目途に検討中
   (※現大綱は5年前に安倍政権になって民衆党政権下の前大綱を一新。
   次期大綱では、陸海空+宇宙・サイバー・電磁空間も含む多次元横断的な
   防衛力を整備する方向なのでしょうね。
   恐らく、米軍のマルチドメインバトル構想との連携でしょうね。)
 ○日米同盟強化の取組:
   「日米同盟はアジア太平洋地域、世界の安定と繁栄のための『公共財』」
   (※どっかのマスコミがここに着目しましたが、昨年度と同様ですよ。)

③国民の生命財産、領土領空領海を守り抜くための取組
 ○実効的な抑止と対処:
   弾道ミサイル防衛強化のため陸上配備型イージス・アショア導入へ
   (※買わされる感は否めないもののBMD体制は確実に強化されますね。) 
 ○安保協力の積極的推進:
   二国間・多国間の防衛協力・交流、国際平和協力活動を推進
   (※昨年度は「戦略的な国際防衛協力」とまで強調していましたが、
   南スーダンPKO撤収後、アピールするネタがないのでトーンダウン。)

 ※ デジタル時代を意識した粋な配慮
  蛇足ながら一言、今回、特に目を引いたのはこれですね。
  9月末に政府刊行物として発刊のほか、
  youtubeでも概要説明動画、
  HTMLや電子書籍でも全文無料提供されています。
  スマホ用のダイジェスト版までありますよ。
  いやー、粋なことするようになりましたね、防衛省も。
 
<マスコミ論調>
 ○多くの新聞が、
   「北朝鮮は『これまでにない重大かつ差し迫った脅威』」という部分に着目
 ○裏読みをする日経、東京、等は 
   「陸上イージスを念頭」という部分に着目
 ○中国の反応、
   「『拡張』や『野心』というレッテルを中国に貼ることはできない。・・・
   中国側の正常な海洋活動に対してとやかく言うのは全く根拠がなく、
   極めて無責任・・・・
   日本側が自らの軍備拡充のために様々な口実を探し求めないことを望む。」
   (8/28華報道官)
 ○韓国の反応
   韓国外交部は
   「わが固有の領土である独島に対する不当な領有権主張を繰り返した
   ことに強く抗議し、直ちに撤回することを求める」
   とする報道官論評を発表
   (8/28聯合ニュース)

 まぁザックリ、こんなところでしょうか。
 今回が全体像でしたので、次回から、白書の細部の内容、
 「北朝鮮」、「中国」等々の内容をザックリとした概説を試みます。

 (了)

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2018/10/13

平成30年度自衛隊記念日観閲式の参考

「平成30年度自衛隊記念日観閲式の参考」

 平成30年度自衛隊記念日観閲式が、明日平成30年10月14日(日)、陸上自衛隊朝霞訓練場にて実施されます。
 いやぁー、気づいたらもう明日なんですね。お知らせするのが遅くてすみません。
Yasuo_Fukuda_20071028_3.jpg

 ご参考まで、観閲式について解説を。

 自衛隊記念日観閲式は、自衛隊の最高指揮官=内閣総理大臣を観閲官にお迎えして観閲を受ける(見ていただく)ものです。陸海空自衛隊が持ち回りで担任し、その部隊や装備等を国民の皆様にも見ていただき、もって皆様の防衛に対するご理解を得、ご信頼を深めていただく場でもあります。本来は防衛庁・自衛隊の創立を記念するため、毎年11月1日を記念日としています。その記念日行事の一環として、自衛隊中央観閲式を毎年10月に実施しています。本来今年は陸自の順番ではありませんでしたが、2020年の東京オリンピックに朝霞訓練場が「射撃」の会場に予定されている等の事情から、今年は陸自が担任となったようです。

<観閲式の概要>
 平成28年度の例に倣えば、以下の如し。一部今年はこうなるのではと言う予想を赤字にしています)
観閲官:内閣総理大臣、主催者:防衛大臣、実施責任者:陸上幕僚長
執行官:今年から陸上総隊司令官(平成30年3月に編成。これまでは東部方面総監)
観閲部隊指揮官:第1師団長、観閲飛行部隊指揮官:第1ヘリコプター団長
観閲部隊は、徒歩部隊(徒歩で行進する部隊)、車両部隊(車両で行進する部隊)、観閲飛行部隊(航空機で空を飛行する部隊)に分かれ、平成28年度は米国陸軍及び海兵隊の祝賀行進及び祝賀飛行がありました。今年はどうですかね?
 「徒歩部隊」:(恐らくこの順で歩きます) 陸海空合同音楽隊、防衛大学校学生隊、防衛医科大学校学生隊、高等工科学校生徒隊(陸上自衛隊の高校に当たる学校)、普通科部隊(昔の歩兵、第1師団の普通科連隊)、空挺部隊(習志野空挺団)、海上自衛隊部隊(いわゆるセーラー服男子です。)、航空自衛隊部隊、女性自衛官部隊(陸海空の混成)
 「飛行部隊」
   陸自編隊群: CH-47J輸送ヘリコプター、OH-6D観測ヘリコプター、UH-1J多用途ヘリコプター、AH-1S対戦車ヘリコプター、UH-60J多用途ヘリコプター、CH-47J/JA輸送ヘリコプター、LR-2連絡偵察機
   海上自衛隊編隊群: P-3C哨戒機、U-36A多用機、今年はUS-2やP-1哨戒機も
   航空自衛隊編隊群: C-130H輸送機、C-2、F-2A戦闘機、F-15DJ/J戦闘機、今年はF-35Aも
 「車両部隊」: 国際平和協力活動派遣部隊、偵察部隊、普通科車両部隊、即応予備自衛官部隊、予備自衛官部隊、施設課部隊、通信科部隊、化学科部隊、衛生科部隊、需品科部隊、情報科部隊、西部方面普通科連隊、航空自衛隊ペトリオット部隊、高射特科部隊、野戦特科部隊、戦車部隊
 「祝賀部隊」: 平成28年度は、祝賀部隊として米陸軍第2-2ストライカー旅団戦闘団(23連隊第4大隊B中隊)、第1海兵航空団第36海兵航空群第265ティルトローター飛行隊が来ました。ちなみに祝賀部隊は観閲部隊(総理に見ていただく)ではありませんので、始めの整列の際には観閲式場に並んでいません。
 また、今年もT-4ブルーインパルス(空自第4航空団第11飛行隊)は来ると思います。

 トータルで、部隊数:27個部隊、人員数:約4000名、航空機数:約50機、車両数:約280両、という陣容です。

<観閲式の実施要領>
スライド1
(陸自HP「平成30年度自衛隊記念日観閲式」 より)

  「観閲隊指揮官臨場」: 総理、防衛大臣が車両で観閲式上に来場し、観閲台の前で降ります。
  「特別儀仗隊による栄誉礼」: 特別儀仗隊(よく外国の交換が来られると儀仗する部隊)が栄誉礼を総理に捧げます。この後、総理、防衛大臣は観閲台上へ登壇します。
  「栄誉礼」:観閲式に並んでいる観閲部隊が、観閲隊指揮官第1師団長の号令で栄誉礼(捧げ銃<ささげつつ>を捧げます。
  「国旗掲揚」:観閲台向かって左に国旗掲揚のポールがあり、ここに国旗を掲揚します。この際、観閲式上の全員でご起立の上国旗に正体(「せいたい」といって体をまっすぐに向けて)いただきます。観閲部隊は、着剣(銃に銃剣を着け)捧げ銃をします。
  「巡閲」: 観閲官の総理に対し、観閲部隊指揮官が車で部隊の近くまでお越しいただき部隊を見ていただくため、ご案内をします。総理はオープン車(総理の右に1師団長、ジープでない)、防衛大臣は警務の白ジープ(右に28年度は東方総監、今年は総隊司令官かな。ジープ)です。部隊の前を通るとき、各部隊の紹介がアナウンスされます。一通りご覧いただいたのち、観閲台上へ登壇。
  「観閲官訓示」:ここで総理の長いお話。隊員は一番緊張する時間です。中央観閲式は総理の訓示だけだからまだいいですが、田舎の部隊程ここで偉い人が国会議員先生、首長さん、県・市町村議員などなど、隊員も人間ですから暑いと何人か倒れます。
  「表彰式」:28年度は陸海空の特別表彰部隊に対して表彰がありました。今年はどうでしょうか。ちなみに前回は、陸は不発弾処理部隊、海はイージス護衛艦(弾道ミサイル対応)、空は警戒航空隊(警戒監視)部隊でした。
  「観閲行進準備」:このアナウンスで観閲部隊はやっと動き出せます。観閲部隊指揮官第1師団長の「観閲行進の態勢を取れ」の号令で、部隊・車両は退場し、行進発起の態勢へ移ります。これが結構時間がかかるんですよね。今年もアトラクション的に何か入れると思います。
  「観閲行進」:部隊は上の図で言えば、右から左を行進します。観閲台上の観閲官=総理に対し、「頭右(かしらみぎ)」という敬礼をします。 まず、陸海空合同音楽隊がマーチを演奏しながら行進し、観閲台の前で音楽演奏の位置につきます。そしていよいよ観閲行進、観閲部隊指揮官第1師団長の指揮官車(タイヤの装甲車)を先頭に部隊が行進してきます。やはり、観客の受けがいいのは、防大(指揮官はサーベル状の指揮刀、列員は小銃を持っています)とか普通科(スカーフ赤)、空挺団(ヘルメットに白の落下傘マーク)ですかね。高等工科学校もいいですね。まだあどけない中学校出たてくらいの子もいますから。そして、陸海空合同の女性自衛官部隊、この子たちもまだ高校出たてくらいの比較的若い隊員ばかりですから、一生懸命歩いてる姿は絵になりますね。
徒歩部隊の後に観閲飛行があります。今年は海上、航空が新しい航空機を飛ばすのが受けるんではないでしょうか。
観閲飛行の後に、音楽隊の曲調がアップテンポになって車両部隊がダーッと行進します。やはり、最後の戦車軍団が腹に響く轟音を響かせてダダーッと行進して観閲行進終了。
  もし祝賀行進があれば、祝賀飛行(28年度は座間のUH-60、オスプレイ)、祝賀行進(ストライカー部隊)です。ラストは空自インパルス展示飛行かな。

 こんなところでしょうか。
 お楽しみを。
 (了)

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2018/10/11

マクナマラの教訓⑲: ジョンソン大統領をどう見るか(後編)

<映画「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白」に学ぶ ⑲補足説明: ジョンソン大統領をどう見るか(後編)>
 
(つづき)
 前編では主としてマクナマラ氏の視点から、ジョンソン大統領のベトナム戦争を中心に考察しました。食えない親父でしたね。しかし、ベトナム政策のみでジョンソン大統領を評価するのも片手落ちなので、後編では内政面では大きな成果を上げている点を踏まえ、内政で高い評価を得た反面、外交・安保が命取りとなる程の低評価となったジョンソン大統領について、予算編成等で高名な政治学者ウィルダフスキー氏の「The Two Presidencies」という論文が丁度うまく当てはまるので、考察してみたいと思います。また、参考まで、ハルバースタム著「ベスト&ブライテスト」及び「ジョンソン回顧録」にも言及して、極めて複雑なジョンソン氏のベトナム政策の片鱗をつかむべく考察を試みます。
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ケネディ大統領暗殺から間もなくワシントンに向かう機内で大統領就任宣誓(ジョンソン氏の右はケネディ大統領夫人ジャッキー

<ジョンソン大統領の内政における評価> 
 我々日本人が米国大統領のニュースを耳目にする場合、その多くは外交・安全保障や貿易などの国際経済正面だと思います。中々、米国内の内政政策にはニュースも含め関心が向かないものです。しかし、ジョンソン大統領の内政正面での成果は、あぁ聞いたことがある、と思い当たる節があるほど、世界史等の教科書に載っているほどの素晴らしいものがあります。
 ジョンソン氏は、「Great Society(偉大な社会)」の実現を旗頭に、黒人差別の本格的撤廃を意味する公民権法を成立させ、「War on Poverty(貧困との闘い)」を提唱して貧困層(結局は黒人が対象でしたが・・・)へ公的援助の手を差し伸べたほか、社会福祉、社会保障、医療、教育などこの種の法案を次々に成立させ、歴代大統領の中でもかなり斬新な改革を達成しています。とりわけ、リンカーン時代に奴隷解放までいったものの、その後100年黒人差別政策は文化としても法制度としても米国に根付いていたこの問題に、本格的にメスを入れ、達成したのは評価すべきでしょう。歴代大統領で公民権ネタは必ず潰され、政権の命取りにもなる根強い反発を受けるものであっただけに、ジョンソン大統領の粘り腰と議会掌握能力は称賛に値するものでしょう。因みに、「偉大な社会」は失敗に終わったのだ、とする見方があります。厳密にはその通り。しかし、やがてべトナム戦争に足を取られて行きますので、また、「偉大な社会」にも莫大な予算がかかりますので経費の面でもベトナム戦争にズッポリと足を取られて、偉大な社会は尻すぼみ、というのが実態でしょう。

<公開中の映画「LBJケネディの意志を継いだ男」を見てきました>
 丁度現在、「LBJ ケネディの意志を継いだ男」(平成30年10/6~月末?)という映画が公開されています。今日見てきました。(ちなみに新宿シネマカリテは水曜日は1000円で見れます。)いやぁージョンソン氏を知る良い勉強になりました。映画のシーンからネタバレ過ぎない程度にお話します。
 ジョンソン氏は、テキサス州の地方議員時代からの叩き上げの議会調整能力を有し、上院の院内総務という上院議員の取りまとめ役でもあった大物でした。ケネディ氏と民主党の大統領候補を争って敗退したものの、ケネディ大統領候補から副大統領候補に請われて副大統領になりました。周囲が大統領選のパートナーとしてバタ臭いジョンソン氏を選ぶことに反対する中、ケネディ氏は上院議員として院内総務ジョンソン氏の実力を知っており、敵に回すと一番面倒臭い男なのでいっそ取り込んでしまうことを選びました。(因みに、一応民主党内の大統領選候補として善戦していたので、断られるのを前提に建前上声をかけたところ、ジョンソン氏が予想に反して受諾したため実は引くに引けなくなった、という説もあります。)一方、ジョンソン氏は、党内の大統領候補選で対抗馬として戦った訳ですが、ケネディ氏の東部エスタブリッシュメンツそのものの良家のお坊ちゃん的なところが大嫌いだったようです。自分とケネディ氏を馬にたとえ、「自分は馬車馬でケネディ氏は馬術競技用の馬、本当に働くのはどっちだ?」と。反面、田舎出身叩き上げの自分にはないハンサムさ、若々しさ、清新溌剌さを持って米国の理想や夢を高らかに語れる姿を、そして何より圧倒的な人気、皆から愛されるケネディ氏を眩しいほどに羨ましく思い、悔しいが適わないと認めていたようです。ジョンソン氏陣営では「受けるべきではない!上院議員を辞めて副大統領なってもお飾りであって意味がない」と引き留めます。しかし、ジョンソン氏自身も苦悩の末、ケネディ氏がいかにも議会運営に弱そうであったので、ケネディ氏も自分を必要しており自分ならではの役割があるはずと信じて、副大統領になりました。
 ケネディ政権に入ってみたものの、ケネディ氏が直接集めてきた閣僚、補佐官らスタッフは、みなハーバード大等出身の所謂「ベスト&ブライテスト」(ハルバースタム著)と呼ばれた超優秀な若き英才達で、議会運営のため議員の票集めなどの寝技が得意のジョンソン氏とは全く違うタイプでした。蚊帳の外に置かれる日々、ジョンソン氏は自分の与えられた正面で実力を発揮していきます。そして、不可避的にケネディ大統領の肝いりの課題、公民権問題に突き当たります。ケネディ大統領は公民権法案を議会に持ち出したいところでしたが、ジョンソン副大統領としては南部の反対派との仲介役として立ち回ったため、遂に政権が持ち出す際には副大統領には相談されずに発表されました。ところが、ケネディ大統領暗殺。憲法の規定に基づき、大統領継承順位ナンバー1の副大統領として、急遽ワシントンへ帰る飛行機の機内で就任宣誓をしました。さて、公民権法案問題に結論を出さねばなりません。基本的には黒人差別がまだ色濃く残る南部出身のジョンソン氏にあっては選挙地盤からして、自身の命取りにもなる法案だったにも関わらず、苦悩の末にケネディ前大統領の目指した公民権法案を継承する、いな、実現する松明を引き継ぎました。この辺りの経緯が映画に良く描かれておりました。大統領就任直後に、前大統領の集めた「ベスト&ブライテスト」と呼ばれた超エリート秀才閣僚・補佐官たちが、ジョンソン大統領についていくかどうか、特に公民権法案への取り組みを踏み絵にして値踏みをしていたのが印象的です。しかし、ジョンソン氏は苦悩の末、南部の大先輩議員たちを敢えて裏切ってまで、「公民権法案を成立させる!」「Let us continue!」と明確に演説したシーンには感動しました。ジョンソン大統領自身も、家族同様に親しくしている黒人料理人が宿泊や車の駐車やトイレすら、差別に会って大変危険な思いをしていることを踏まえ、実は公民権には義憤に駆られていたのでした。日本で言えば、昭和の自民党のバタ臭い大物議員的なイメージの人で、義理人情、地盤・看板・鞄(後援組織の充実度、知名度、選挙資金)的な剛腕とコネとネゴ(調整・交渉能力)の力を持って議会運営を進められる、真に力のある大統領だったといえるでしょう。(・・・内政はね。)
(スミマセン十分ネタバレですね。しかし一見価値のある映画です。ぜひご鑑賞を。)

<ウィルダフスキー氏の「Two presidencies」理論を参考に考察>
 内政に強く高く評価されたものの、外交・安保に不得手で低く評価されたジョンソン大統領について考察するにあたり、「予算編成の政治学」という著作でも高名なアーロン・ウィルダフスキー氏が「Two Presidencies Theory(米大統領政権の2つの類型(下手な訳ですみません)論」という大変興味深い理論を提起しています。実は、ウィルダフスキー氏がこの理論を書いた1964年頃には、まだジョンソン大統領はまだ内政イケイケでベトナム問題もまだ本格介入していない状況だったのですが、1930年代後半からケネディ氏までの歴代大統領を引き合いに出して、概略以下のような理論を提起しました。

  米国の大統領には、内政に関心を持って取り組む政権というバージョンと、外交・軍事に関心を持って取り組む政権と言うバージョンの2つの類型がある。ただし、昨今の歴代大統領を眺めてみるに、外交正面により力を入れる傾向である。これは、内政が議会で議論する手順を踏まねばならず、かつ関心を持つ団体からの圧力もあり、しかも政策を打つにも時間がかかることに比較すると、外交・軍事においては大統領の権限が非常に大きく、状況により議会にかける必要がなく、圧力団体もおらず、政策打つにもspeedyにできるからであろう。ルーズベルト、トルーマン、アイゼンハワー、ケネディの歴代大統領とも、内政ではあまり成果なく、むしろ外交・軍事正面で顕著な成果を出している。

 あれ?歴代の皆さんは「内低外高」?では「内高外低」のジョンソン大統領には当てはまりませんね。しかし、この歴代大統領が外交・軍事に力を入れがちな理由のところが、私見ながら、ジョンソン氏の落ちた穴だったんじゃないかなと思います。ベトナム政策のような外交・軍事ネタには、公民権法案のような南部反対派のような関心団体は議会にも社会にもありませんし、必要あらばトンキン湾決議のように大統領権限で必要な処置がすぐに取れるのです。ジョンソン氏にあっては、持ち前の議会掌握能力を剛腕に発揮して、内政では寝技に持ち込んでやっとのことで成果を上げてきた彼にとっては、外交・軍事ほどこんなに楽なことはありません。国際政治、安全保障、戦略、危機管理等、予めの知識も経験もなかったジョンソン氏にとって、この楽勝正面が落とし穴だったのではないでしょうか。勿論、脇を固めていたのはベスト&ブライテストの面々。マクナマラ国防長官、ディーン・ラスク国務長官(日本で言えば外務大臣)、ジョージ・ポール国務次官、ウィリアム・バンディ国務次官補、マクジョージ・バンディ大統領補佐官(安全保障担当)、ウォルト・ロストー同次席補佐官、らの英才達です。彼らが細かいことは詰めに詰めてしっかりとやってくれるものだから、ベトナム政策において、ついついお山の大将的に自分の考えでまず結論を出してしまい、ケツは彼らが拭く形になったのではないでしょうか。
 (実は、これは留学時代に、「ウィルドフスキーの理論に一番当てはまるのは誰か?」という課題を出された際の、私の論文ネタでした。英語論文構成能力に劣る私としては、何とか他のネイティブ学生とは全く違った案を出して、教授の「ほう、日本の将校はそう来たか」と+α点をくれるのではないか、というアイディアでの作案です。結果はAをもらえました。)
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<デイヴィッド・ハルバースタム著「ベスト&ブライテスト」を参考に>
 この本は凄いですね。まさに米国のジャーナリズムの金字塔的な名著です。ベスト&ブライテストと呼ばれた米国で最も優秀でピカピカの若き超英才達は、新進気鋭のケネディ大統領に声をかけられて、皆新しい時代を我々の手で作るのだと意気に感じて参集してきました。途中でジョンソン政権になりましたが、こんな米国史上稀に見る英才達が参謀を務め補佐したにも拘らず、なぜベトナム戦争という泥沼にハマってしまったのか?という重いテーマを、多くの関係者へのインタビューを基に詳細に分析しています。その深い分析を、頭の悪い私が分かる言葉でザックリと表現すると、「当時の米国の『米国は強いのだ、やろうと思えば実現できるのだ。我々が世界のリーダーなのだ。』的な時代の興奮の中、自意識過剰な英才達が判断を大きく誤った。折悪しく、この英才達に劣等感を持つ昭和の政治家ジョンソン氏が大統領だった」というというところでしょうか。英才達は「我々が間違うわけがない」と思って道を踏み外し、ジョンソンは英才達に「こいつらには頭じゃかなわない」という劣等感もあって細部は鵜呑みにするも、意思決定は外交・軍事オンチなジョンソン氏が握っていたのが運のツキだったのかもしれません。(実際の本の記述は、詳細にして深甚なる内容なので、決して上記のようなテキトーなものではありませんので、誤解のないように。)

<それでもなぜベトナム本格介入に舵を切ったのか?>
 ここまで考察したものの、結局この疑問は明確ではありません。端的には1965年7月に地上戦闘部隊を大規模派遣に踏み切りますが、なぜそっちに舵を切ったのか?或いは、あまりの国民的反発とベトナム戦争の行き詰まりから大統領選不出馬の発表するその直前まで、ベトナム政策は不退転の方針を取り続けたのはなぜか?
 参考まで、ジョンソン氏自身の手になる「ジョンソン回顧録」でのご本人の弁から概略申しますと以下の通りです。 

  引き返せる時点はあったのだが、自分の先達アイゼンハワー・ケネディ大統領が引いた路線から引き返せなかった。それは、共産主義の膨張に対して引き返した張本人・臆病者として、墓場まで暴かれて批判されるのが耐えられなかった。

 歴史の結果を知っている我々があまり偉そうなことを後知恵で言うのはよくありませんが・・・。やはり愚かですね。しかし、マクナマラ氏の教訓にある「相手に共感して考えよ」からすれば、米国の大戦後の歴史をひも解いてみれば、共感できるのかもしれません。大戦後、ポツダム体制なんてすぐに冷戦体制がとってかわり、米国が大人の対応をしている隙にソ連には東ヨーロッパを共産主義化され衛星国化。中国も蒋介石が代表だったはずが、中国共産党が中国本土を取ってしまった。アチソン国務長官が「防衛線は日本までかな」、なんて言ったら、じゃあ朝鮮半島は入ってないわけね、と北朝鮮が韓国に南進し、朝鮮戦争になった。これに中国が参戦しだした。すわ、米中対決か?と思ったら、それは米国が避けた。米国にマッカーシズムという反共ヒステリーの嵐が巻き起こり、トルーマンすら臆病者扱いされた。・・・こうしたことがジョンソン氏の頭にあったのでしょう。
 最後に、TVの都市伝説のような話ですが、ケネディ大統領未亡人ジャクリーン女氏によれば、「ケネディ大統領暗殺の犯人はジョンソンだ」とのこと。ずっと嫌いだったようですし、ケネディ大統領暗殺の直後、まだ数時間しか経ってないのに、無理くりワシントンに帰る飛行機に乗せられ、ジョンソン氏の大統領就任宣誓に立会させられたのは、忘れ得ぬ経験だったでしょうな。服も血が付いたままのを敢えて着替えなかったといいます。また、ジョンソンに仕えた顧問弁護士も同様の発言(真犯人はジョンソン説)があるそうです。もしそうだったら、このジョンソン氏というオヤジは相当なタヌキですね。

以上、、ジョンソン氏考でした。
(了)


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2018/10/07

マクナマラの教訓⑱: ジョンソン大統領をどう見るか

<映画「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白」に学ぶ ⑱補足説明: ジョンソン大統領をどう見るか>

 「マクナマラ氏の教訓」シリーズの最後の補足=スピンオフとして、同氏の教訓のエピソードの中に出てくる2人の異彩を放つキャラクターについて補足させていただいております。前回がカーティス・ラメイ将軍、そして今回がリンドン・B・ジョンソン大統領です。2名ともそれぞれマクナマラ氏の教訓と関係が深く、かつそれぞれが危機管理を考える際に学ぶべき要素を有する強烈な個性を持っています。

 今回はリンドン・ジョンソン大統領について補足いたしします。ちなみに、マクナマラ氏は、ケネディ大統領に三顧の礼で迎えられて国防長官に着任した際、ジョンソン氏とは当初は副大統領として共に大統領を支え、じ後ケネディ大統領の暗殺に伴い急遽大統領に就任したジョンソン大統領に対しても献身的に(辞任するまで)支えました(過去ログの「マクナマラの教訓⑦、⑨、⑩」)。副大統領時代はマクナマラ国防長官とのからみはあまりありませんでした。これは、ジョンソン氏が副大統領という刺身のツマ的な地位・役割もあって、良く言えば「黒子に徹し」、悪く言えば「蚊帳の外」に置かれたからです。また、もう一つの理由としては、ジョンソン氏自身が元々内政に精通し、議員時代からの叩き上げの議会掌握能力を有することもあって、国防省正面の安全保障・軍事に関わる領域には全く口を出さなかった(よく分かっていなかった)ことも要因と考えられます。しかし、突然大統領としての絶大なまでの幅と深さを有する権力を持つようになり、否が応でも不得手な安全保障・軍事に関わらざるを得なくなりました。この図式がその栄光と挫折の大統領時代に終始影をかざすことになります。

 過去ログのマクナマラ氏の教訓⑦⑨⑩⑭に出てくるジョンソン大統領は、まぁ喰えない大統領です。⑦で言及したように、「ベトナム問題」を「ベトナム戦争」にした状況判断はジョンソン大統領のイニシアティブです。特に、ケネディ大統領当時の方向性では(そもそも本格介入しておらず、まだ「軍事顧問団」名目の派遣)「逐次撤退」のベクトルだったものを、ジョンソン大統領になってから「逐次増援」とし、トンキン湾事件を契機に本格介入に舵を取り、北爆の開始、地上戦闘部隊の大規模増派の途を歩み始めました。⑨や⑩では、北ベトナム軍や南ベトナムのベトコンとの泥沼の戦いに足を取られ、献身的に国防長官として支えていたマクナマラ氏も遂には数次にわたる方向転換の意見具申も空しく、ジョンソン大統領は不退転の構えを一向に変えませんでした。

***過去ログ⑦より
  映画では、1964年2月25日の肉声テープで、電話にてジョンソン大統領からベトナム戦争への関わり方について「修正したい」と言われ、当惑するも押し切られる同氏(マクナマラ氏)の声が聞こえます。この時、大統領がこういう文言をスピーチに入れてくれ、と注文したのが当時の冷戦ならではのドミノ理論です。・・・(中略)・・・
  驚くのはこのあとの大統領の発言です。「私は、これまで君が撤退について何か発表をするたびに馬鹿げたことだと思ってきたのだ。撤退について言及するなんて心理的に悪影響がある。君と前大統領の考えは私とは全く違うものであったが、当時私は黙って聞いていた。そこで質問だ、戦況が劣勢になって撤退を口にするなんてマクナマラの奴は一体何を考えているんだ?ってね。」

***過去ログ⑭より
  (1965年3月6日の肉声テープより)
  ジ: 「海兵隊が派遣される」という報は、国民への心理的インパクトとしては悪いものになるだろう。母親たちは誰もが言うだろう。「おやまぁ、やっぱりこうなったわ!」。B-57爆撃機で我々がやってきた北爆は、まだ日曜学校に行くようなものだ。海兵隊の派遣に比べりゃぁな。私の結論は「イエス」だが、判断としては未だ「ノー」なのだ。
  マ: 分かりました。我々国防省が対応しますから、大統領。
  ジ: 派遣命令はいつ発出するんだ?
  マ: 今晩遅く出す予定です。そうすれば日曜版の新聞で何社かは見落として記事にならないでしょう。発表にしても影響が最小限になるようにうまくやります。
  
***過去ログ⑩より
  同氏(マクナマラ氏)は、2つの写真を紹介します。ジョンソン大統領とマクナマラ国防長官が大統領執務室らしき部屋で議論している風景ですが、
一つは、マクナマラ氏が何かの懸案について意見具申していますが、ジョンソン大統領は怪訝な顔で当惑しているの図。  ・・・(中略)・・・
映画「フォッグ・オブ・ウォー」より①

  もう一枚の写真は、当惑するジョンソン大統領を背景に、説明しても説明しても一向に理解してくれないジョンソン大統領に対して、呆れ顔で頭を抱えるマクナマラ氏の図。  ・・・(中略)・・・
映画「フォッグ・オブ・ウォー」より②

  ベトナム政策について、マクナマラ氏はジョンソン大統領に(撤退を)意見具申しても説得できず、ジョンソン大統領は既定路線(このまま継続)で行くのだということをマクナマラ氏を納得させることはできませんでした。マクナマラ氏は言います。「ケネディ大統領にもジョンソン大統領にも同様に忠誠心を払い尊敬して仕えた。しかし、最終的にはジョンソン大統領と自分は、お互い対極にいることに気づいたのだ。」
  様々な意見具申がジョンソン大統領に容れられなくなる状況下で、ベトナムでは次々に新しい作戦名を冠して米軍の新たな作戦が繰り出されます。しかし戦況は悪化の一途。マクナマラ氏も遂に腹を決めます。1967年11月に、「現在の行動方針は完全に誤っており、我々は方向を転換、すなわち作戦を縮小し、死傷者を削減しなければならないのだ。」というメモにしたため、他の閣僚には論争を巻き起こすのは必定なので一切見せず、直接大統領に手渡します。・・・(中略)・・・ しかし、結局、大統領からは何の回答もなし。
***

 最初の⑦のエピソードは、ケネディ大統領当時にベトナム政策は米軍自体の本格介入は避け逐次撤退の方向であったところを、ジョンソン大統領がベトナムへの介入に舵を切った部分です。二つ目の⑭のエピソードは、それまでの「軍事顧問団」名目の派遣から初めての地上戦闘部隊派遣に踏み切る場面ですが、派遣の結論は既に自分で出したものの、自らの迷いをマクナマラ氏にぶつけ、増派の命令時期や公表の仕方やマスコミ対応はマクナマラ氏に丸投げしています。三つ目の⑩のエピソードは、ベトナム戦争が泥沼化する中、反戦デモも国民レベルとなってきた頃、マクナマラ氏は軌道修正の意見具申をしますが大統領には容れられず、最終的には撤退の建白書を書いて大統領には直訴するも答えてもくれず、これがマクナマラ氏の国防長官辞任の契機となりました。

 ジョンソン大統領は、1967年11月末のマクナマラ国防長官の辞任発表の後、クラーク・クリフォード新国防長官を向かえますが、1968年1月末に「テト攻勢」と呼ばれるベトコンによる大規模な攻撃を受け、南ベトナムの首都サイゴンのアメリカ大使館まで一時占拠される程の状況となりました。現地にいた各国マスコミの特派員達も現地の混沌とした状況を本国に伝えました。特に米国本土では、ベトナム戦争の泥沼化はもはや誰の目にも明らか、かつ米軍が勝利を得ることは無さそうだ、という認識に変わりました。米国テレビニュース界で最も尊敬され「アメリカで最も信用される人」、「アメリカの良心」とまで国民的評価の高かったCBSテレビのニュースアンカー、クローンカイト氏が現地取材をした上で以下のようなコメントで締めくくったことが有名です。

  “But it is increasingly clear to this reporter that the only way out then will be to negotiate, not as victors, but as an honorable people who lived up to their pledge to defend democracy, and did the best they could.”
  「この状況から抜け出す唯一の道は、(米軍は、)軍事的勝利者としてではなく、『民主主義を守り、できる限りの最善を尽くします』との宣誓に従って行動する尊敬すべき人々として、交渉すること以外にないと、このリポーターの目には明らかであります。」

 クローンカイト氏は、それまでニュースを忠実に国民に伝えることを信条とし、自分の考えなどをコメントしたことのない人であっただけに、現地取材の結論としていつにない苦悩の表情で政府や米軍の政策について批判的なコメントをしたわけです。この影響力は大きく、マスコミの論調も国民の一般的受け止め方・世論もこれを機に批判的に変わりました。
 そして、これまた有名な話ですが、これを受けてジョンソン大統領が、「If I've lost Cronkite, I’ve lost middle America. もし私がクローンカイトを失ったとすれば、私はアメリカの中産階級を失ったことになる。」と副官に漏らしたといいます。丁度この年に大統領選挙があることもあり、マスコミの論調も舌鋒激しく、2期目も再選を目指すジョンソン現大統領のベトナム戦争政策は槍玉に上がりました。それでも現路線維持を変えなかったジョンソン大統領でしたが、遂に、同年3月31日夜、大統領から国民へのメッセージ放送の中で、当初の予定にはなかった次期大統領選挙には出馬しない旨の電撃発表をしました。直接の切っ掛けは、戦況はかばかしくない現地の状況に鑑み、現地のウェストモーランド大将から20万人の更なる増派要請をクリフォード新国防長官が拒み、大統領に対し遂に逐次縮小を訴えたことでした。ジョンソン大統領としても、「もはやこれまで」と観念したわけです。マクナマラ氏の辞任が、発表が1967年11月29日、正式離任が1968年2月29日ですから、僅か1ヶ月でした。
President LBJ speech decision not to run for re-election


 次回は、この続きとして内政の観点からジョンソン氏を考察し、内政で高く評価される一方安全保障・外交で酷評された同氏について、ウィルダフスキー(予算編成等で高名な政治学者)氏の「The Two Presidencies」という論文をフィルターに考察してみたいと思います。
(つづく)


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2018/10/01

マクナマラの教訓⑰: 戦略爆撃の鬼ラメイ将軍(後編)

<映画「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白」に学ぶ ⑯補足: 戦略爆撃の鬼ラメイ将軍>

 前回に引き続き、「戦略爆撃の鬼ラメイ将軍(後編)」をお送りいたします。
LeMay (2)
(本「LeMay: The Life and Wars of General Curtis LeMay 」 by Warren Kozak, Hardcover – May 11, 2009 より)

(つづき) 
○ 1948-1957頃: 戦略航空軍団司令官としての核戦力における戦略爆撃重視 (ここからは、主として米版wikipediaを参照。)
 当時、米ソは核開発競争に勤しみ、核戦力をいかに保有すべきかが議論されていた。ラメイ氏は、「全てを粉砕することが戦争に勝つ方法である」との信念の下、戦略航空軍団が米国の核戦力の主軸であり、米国の核の80%を搭載・運搬すべきである、との持論で空軍上層部と共同戦線を張っていた。それを裏打ちするため、戦略航空軍団の緊急戦争計画を、ソ連の70都市に対して133個の原子爆弾投下を30日以内に遂行できるよう準備し、「第3次世界大戦は30日以内で終わる」と主張。これを後押しするように、ソ連に対する大量核攻撃としてこれで量的に十分なのか?という議論があり、空軍参謀長は、攻撃目標70都市から220目標に拡大され、これに十分な原子爆弾が必要、との路線変更を実施した。ラメイ氏の核における圧倒的数的優勢論が採用される形になったと言えよう。
 ラメイ氏は、戦略航空軍団司令官の任期の間に、常に核戦争に勝てる態勢を取らねばならないと考え、爆撃機と燃料給油機とを24時間警戒体制、全ての航空機のジェットエンジン化、精鋭警備部隊による警備、徹底的な訓練、等により軍団の即応体制を維持し、本気で核戦争に勝つ態勢を保持した。

○ 1961-1965頃: 空軍参謀長として核戦力の主軸は戦略爆撃との持論を曲げず
  マクナマラ国防長官の強力な指導態勢の下、統計学的分析手法で軍事予算の費用対効果性を追求される中、あるべき核戦力の在り方をめぐって国防長官、統合・陸・海・空参謀長間で度々衝突。陸軍は、核戦争下の戦場における核砲弾を火砲や迫撃砲で射つ戦闘に適応することまで検討。他方、海軍は戦略核を搭載・運搬するためにソ連空軍の制空域に切り込んで行くスーパー空母を検討。陸海軍の迷走の中、空軍参謀長ラメイ氏のみは冷静に変化しつつある冷戦時代の現実に適応した戦略航空軍団の最新鋭化で対応。(この際、ラメイ氏は大陸間弾道弾ICBMプログラムに対してはあまり熱心ではなく、現実的には爆撃機による戦略爆撃のみが有効で、ICBMなどはオモチャに過ぎないと確信。)各軍種との軍事予算獲得競争では、陸海が大幅な削減をされる中で、空の独り勝ちを獲得した。
 ラメイ氏の核戦力における戦略爆撃機の重視論は、同氏の以下のような考えに基づく。弾道弾ミサイルという装備体系の重要性は米ソにとって重要であることは十分に理解するが、低強度の紛争に対して弾道弾ミサイルを使用するというオプションは、紛争を制御できないエスカレーションに瀕させてしまう。従って、ICBMやSLBMなどは国家の存亡が切迫するような事態でない限り、理性的・合理的判断に供せる信頼性の高いオプションではない。冷戦、限定戦争、総合的戦争などを通じて柔軟に対応可能で、人間が操作していて信頼性の高く、総合的に国家の安全保障にとって信頼できる装備体系は、結局は戦略爆撃機なのだ。

○ 1962年: キューバ危機における「優位なうちに敵を撲滅」論
 キューバ危機に際して、ケネディ大統領とマクナマラ国防長官と激論。ラメイ氏は、国防長官の海上封鎖案に反対し、キューバの核ミサイル基地をさっさと爆撃すべしと主張。結果的に、海上封鎖が採用され秘密裏の交渉と相まって危機は回避されたが、ラメイ氏は核ミサイルが撤収された後も「とにかくキューバを侵略すべし」と主張した。(映画「フォッグ・オブ・ウォー」のマクナマラ氏の発言によれば、大統領を囲む首脳陣の会議でケネディ大統領が「諸君、我々は勝った。」と危機回避を満面の笑みで告げた際、ラメイ氏は、「Won?, Hell! We lost! Wipe them out today!(勝った?冗談じゃない、負けたんだよ。今からでもキューバを爆撃で一掃しなきゃいかん!)」と叫んだと言う。)

○ 1963-1966頃: ベトナム戦争時にも戦略爆撃を主張
 ベトナム戦争の初期において、低強度の紛争下でマクナマラ国防長官に厳しくコントロールされながら航空作戦を展開していることから、米空軍の戦闘機の空中戦闘や戦術爆撃等がうまく遂行できていない旨指摘をされるのが、ラメイ氏にとっては我慢がならない状況だった。実態は、米軍機は大型のミサイル装備で重厚鈍重化し、機関銃装備の軽快機敏なソ連製戦闘機に勝てない形となっていた。ラメイ氏は、北ベトナムの主要都市、港湾、南ベトナムへの支援補給(施設、補給船、補給車両そのもの)、等の戦略爆撃作戦を継続的に実施すべきである、と主張。この際に、「(北ベトナム政府との交渉などせず)、“bomb them back to the stone age!”奴らを爆撃してやれ!石器時代に戻してやる。」と発言したということがラメイ伝説になっている。しかし、ジョンソン大統領・マクナマラ国防長官ら首脳部は、あくまで中国やソ連に本格介入のキッカケ(中国やソ連の補給船舶や政治・軍事の顧問団などに被害を与えないよう)を与えないように、限定的かつ慎重に目標を選定した戦術的な爆撃となった。

 以上のようなエピソードがあります。興味深い人ですよね。
 発言そのものは粗野だったりストレート過ぎるところがありますが、元自衛隊幹部であった感覚からすると、ラメイ氏の言わんとするところは非常によく分かります。要するに、ラメイ氏は実直かつ愚直に自分の任務の達成に向け邁進していたのだと思います。その当時の自分の地位・職責から、与えられた任務に忠実にあろうと努めたのでしょう。第2次大戦中の戦略爆撃については、当初ドイツ、じ後日本に対し、これ以上の戦争遂行を諦めさせるだけの戦略爆撃効果を成果として出すこと。戦略航空軍団司令官の頃は、米ソ冷戦下の現実の中で、原子爆弾及びその運搬手段について数的優勢を確保しているからには、即応態勢を高く維持して何時でも戦略爆撃の出撃ができ、それによってソ連を圧倒撃滅できる態勢を保持しておくこと。そして、空軍参謀長の頃は、空軍の態勢を維持するとともに、安全保障に関して国家としての執るべき策を大統領を空軍の観点から補佐すること。具体的には、いまだ数的優勢を確保しているのならばソ連との核戦争すら辞さず、我が損害を考慮しても最強の敵ソ連を撲滅するということも国家としてオプションの一つ、との持論で大統領を補佐すること。最後の部分は、そのオプションを大統領が選択しなくて誠に幸いでしたが、ラメイ氏はただのタカ派で威勢のいいことを言っているわけではなく、愚直に意見具申したものと思われます。与えられた任務に対して、その達成に向けて必要な手段は尽くす、その際に一切の感情を挟まず、効率効果を最大限に追求し、必ず任務達成をする。軍人としてのマインドそのものです。
 しかしながら、ラメイ氏についてやはり多くの方から糾弾されるのが、任務達成・戦勝追求の手段として、時として非人道的なことも躊躇なく主張したり、命じられれば実行するところでしょう。確かに、キューバ危機の際にソ連との核戦争も辞さずにキューバを攻撃していたら、米ソ間の大量核兵器の射ち合いとなって、勝負は米側の勝利で終わるかもしれないものの、米ソ双方の夥しい数の国民が犠牲になり主要都市が廃墟となり、・・・そこに勝者はいません。幸いにして、理性的・合理的判断のできる大統領や国防長官が賢明にもその案を採用しませんでした。
 ちなみに、ラメイ氏のこの考え方は、実はラメイ氏独特のものではなく、米国にとっては伝統的なある原型に基づくものです。日本人にはあまり馴染みがない米国の南北戦争ですが、中でも有名なシャーマン将軍がその典型です。過去ログの「マクナマラの教訓⑨」の「善を為さんとして悪を為さざるを得ないことがある」でも既述した部分ですが、マクナマラ氏の言葉をそのまま使わせていただきます。
  「善を為すためなら、我々はどれほどの悪を為さねばならないのだろうか?我々には確たる理想があり、確たる責任がある。時として悪に従事せざるを得ないことも認識している。しかし最小限にとどめねば。南北戦争の話だが、シャーマン将軍の逸話を思い出す。アトランタ市長が敵将のシャーマン将軍に街を焦土にしないでくれと懇願するが、『戦争とは冷酷/悲惨なものなのだ。』と言った直ぐ後に街に火をつけた、という。これはまさにラメイの考えと同じなのだ。彼は国を、国家を救おうとしたのだ。そして、その過程において、必要とあらば如何なる人殺しさえする覚悟だったのだ。」
 米国では、南北戦争は国民必須の歴史です。米国にとって、民主国家になってからの痛恨の出来事で、国論を二分した挙句に南部諸州は北部と国家を割る挙に出たため、南北はそれぞれの市民が構成要素の南北軍に分かれて戦いました。つい先日まで尊敬し合う仲間であった将軍や将校たちが、自分の生まれの側について戦いました。一たび戦争が始まると、日本で言えば明治維新の幕軍と官軍の戦いと同様に、一方が完膚なきまでに撃破粉砕されるまで徹底して戦うことになります。そこに条件降伏という妥協案はないのです。北軍の後半の戦い方は、シャーマン将軍のみならず、勝つためにかなりえぐいことをしました。これは軍人の性格と言うよりも、当時のリンカーン大統領が暗黙にそれを要求したからです。南北戦争におけるリンカーン大統領は、実に戦争指導者/作戦指揮官だったのです。この線から下がるべからず、とか、この都市は必ず我が手中にせよ、とか、この都市は南部の力の源泉なので使用できなくせよ、と大統領の意思が電信で伝えられ、将軍たちは求められることを具現しました。シャーマンは敢えて焦土作戦という策をとりました。南部の拠点である主要都市を焼き討ちしてしまうのです。商工業の中心を徹底的に破壊することにより、継戦能力や戦争継続の意思そのものを挫いてしまうのです。シャーマンは非人道的であることは百も承知で「悪を為す」わけです。これは、米軍にとっては伝統的な考え方なのです。勿論、時代の変遷に従い、非人道的なことをすると後で糾弾・追及されるの、最近はかなり人道的になってきたとは思いますが。


 ラメイ氏の話に戻ります。ラメイ氏の考え方を見てまいりましたが、「なんて奴だ、とんでもない奴だ。」と皆さんお思いのことと思います。今回のお話の最後は、ラメイ氏の人となりについてもう少し掘り下げるエピソードを紹介して終わりにしましょう。
 ラメイ氏の生い立ちですが、1906年オハイオ州にて鉄鋼労働者であったものの定職につかない父親と後に教師となって家計を支えた母親との間に生まれました。一家は家計のやり繰りに苦労し、あちこちを転々としたあげくに、故郷オハイオに落ち着きます。ラメイ氏は8歳にして「自分が家計を支えないと、母や兄弟たちを食わせられない」と一念発起したそうです。無口で休まず働く子に育ったようです。学校には公立しか行けず、大学では予備役将校制度で予備役になる代わりに学費を保障してもらいました。これが軍隊との出会いでした。こうした生い立ちがラメイ氏の人となりの原点のようです。
 映画「フォッグ・オブ・ウォー」のマクナマラ氏の発言によると、第2次大戦中の爆撃機隊の指揮を執っていたころのラメイ氏は、基本的に無口で(たまに言葉を発するときは、結構残酷な暴言に近い発言をする)、部下の報告に対し「分かった」/「いや違う」の2語しか答えず、自分に対する批判を一切許さない、そんな厳しく怖い上司だったといいます。また、部下達からつけられたニックネームでは、「old iron pants」、「Big Cigar」、「ever-present cigar」というのがあります。old iron pantsとは、いかなるプレッシャーにも物事に動じず、休みを取らずに働き続ける、という意味があるらしいです。そういう上司だったんでしょう。Big Cigarとever-present cigarというのは、ラメイ氏が常時タバコをくわえているところから見ての通りのあだ名がついたものです。米版wikiによれば、戦略航空軍団司令官の頃、ある任務を視察した際に、ラメイ司令官は飛行中の副操縦手席に座ってタバコをくわえ火をつけようとしました。さすがにパイロットがこれを制止しました。「何で?」とラメイ氏。「火が機体に着火するかもしれないではないですか?」とパイロット。これに対し「まさか火がつくわけないだろ!」と悪態をついたといいます。困ったオヤジですね。
 しかし、調べてみるとこれがビックリでした。実は、部下からは、「要求は高いしパワハラ気味で強面ながら、ついて行けば必ず勝つ。」と信頼を得た上で、そんな「俺たちのオヤジ」への愛称として「old iron pants」、「Big Cigar」、「ever-present cigar」と親しみを込めて呼ばれていたようです。というのも、ラメイ氏は部下に徹底した実戦的訓練を要求しますが、これはやや特権階級的な立場にあったパイロット達のみならず、誰に対しても職責・任務に応じたレベルの高さを求めて分け隔てなく厳しく訓練をしたこと、それでいてon-offを明確に分けさせ、パイロットのみならず一兵卒に対しても厚生面を充実させたこと、等が部下から信頼を勝ち得たようです。また、上司からは、「戦略爆撃に関して右に出る者はいない」との絶対の信頼を勝ち得ています。戦略爆撃に関しては、実際の実力が物語っているので、信頼を得られたことは十分頷けます。それもさることながら、ラメイ氏は、上司の命じた内容は忠実に履行することに定評があったようです。ラメイ氏的には「こっちの方がいい」と思っていても命令からは逸脱しませんでした。自分の与えられた職責の範囲では様々なチャレンジをするのですが、命じられたことは必ずやる男でした。B-29で日本から米国本土へノンストップ飛行をした際も、上司が指揮する編隊で数機が同じルートを飛び、自分の操縦する飛行機は本当はワシントンDCまで行けましたが、上司の機体がシカゴで燃料補給が必要となり、自分の機体だけで記録を作れたのに、編隊と行動を共にしました。そういうところが、上司たちからの信頼を得て、南北戦争以来の最若44歳で大将となり、空軍のトップにも立たせたのでしょう。また、こんな強面のオヤジですが、それでも孫から見たら、「いつも釣りに連れて言ってくれる優しいお爺ちゃん」だったそうです。
 (了)
 

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2018/10/01

マクナマラの教訓⑯: 戦略爆撃の鬼ラメイ将軍(前編)

<映画「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白」に学ぶ ⑯補足: 戦略爆撃の鬼ラメイ将軍(前編)>

 マクナマラ氏の教訓を反芻して参りましたが、いかがでしたでしょうか。マクナマラ氏の教訓シリーズはこれで一段落させていただき、じ後の数回は同氏の教訓のスピンオフとして、同氏の教訓のエピソードの中に出てくる2人の異彩を放つキャラクターについて補足させていただきます。まずは同氏が第2次大戦時の日本本土への空襲に携わった際の上司だったカーティス・ラメイ大佐(③、④)、そして、ベトナム戦争時に同氏が仕えたリンドン・ジョンソン大統領です。2名ともそれぞれマクナマラ氏の教訓と関係が深く、かつそれぞれが危機管理を考える際に学ぶべき要素を有する強烈な個性を持っています。

 今回はカーティス・ラメイ氏について補足いたしします。ちなみに、マクナマラ氏は第2次大戦時に当時ラメイ大佐の部下でしたが、その後マクナマラ氏がケネディ大統領から国防長官を拝命した際に国防省下の空軍参謀長だったのも大将に昇進したラメイ氏であり、今度は部下として、キューバ危機やベトナム戦争初期まで付き合うことになり、マクナマラ氏とは何度も衝突しました。それでは、ラメイ氏の略歴とその強烈な人となりについて紐解いて参ります。
LeMay (2)
(本「LeMay: The Life and Wars of General Curtis LeMay」 by Warren Kozak, Hardcover – May 11, 2009 より) 

 米空軍の同氏の経歴資料(https://www.af.mil/About-Us/Biographies/Display/Article/106462/general-curtis-emerson-lemay/)によれば、略歴は以下のようなものです。
(一部、米版wikipedia(https://en.wikipedia.org/wiki/Curtis_LeMay)を参照。)
 カーティス・ラメイ氏は、オハイオ州立大出身で、1928年に陸軍航空士官候補生となり、翌年予備将校として少尉に任官、更に翌年1930年には正規将校として陸軍に入隊、パイロットになりました。当初は戦闘機、じ後は爆撃機のパイロットとして活躍します。B-17爆撃機の部隊にて、爆撃機の編隊の組み方や戦闘要領等を具体化し、かつ徹底的な実戦訓練で部隊を鍛え、それが欧州正面の爆撃部隊のスタンダードになるほど頭角を現し、1941年12月の第2次大戦への参戦当時には新編の第305爆撃群の指揮官でした。欧州戦線でドイツやポーランドに対する戦略爆撃(空襲)等を歴戦したのち対日戦線に移り、ここで当時陸軍統計分析局のエリート分析官だったマクナマラ中佐が指揮下に入ります。当初はインド~ビルマ~中国から、じ後マリアナ諸島から日本本土への戦略爆撃に従事し、原爆投下もラメイ氏の指揮下部隊が実施しています。終戦後、ラメイ氏は日本からアメリカ本土へB-29を自らも操縦し無着陸飛行で帰国しています。ちなみに、様々な記事によると、大戦直後ラメイ氏は大戦終結のヒーロー的に社会に受け止められ、タイム誌の表紙に顔が載ったこともあったそうです。戦後、ワシントンでの勤務の後、1947年に欧州派遣米空軍司令官としてベルリン空輸を指揮し、翌1948年には戦略航空軍団の創設に当たり戦略航空軍団司令官を拝命し、このポストをなんと10年間務め、現在も戦略核戦力の主力である戦略航空軍団は、実にラメイ氏が手作りでカスタマイズした部隊です。(ちなみに米版wikipediaによれば、この期間に最若44歳(南北戦争以来の快挙)にして米空軍の4スタージェネラル=空軍大将に昇進します。)自衛隊では絶対あり得ません。第2次大戦で戦略爆撃に中核的役割を果たし、かつ、核時代の戦略爆撃の重要性を勘案しての人選・昇進であろうと思われます。そして、ついに1961年に米空軍のトップ、空軍参謀長に就任します。1965年2月に退官するまで、結果的にアイゼンハワー政権、ケネディ政権、ジョンソン政権、と3代にわたって仕え、ベトナム戦争の1962年の北爆開始直前に退官するまでの4年間、空軍のトップとして君臨しました。(これ又ちなみに、米版wikipediaによれば、退官の頃のラメイ氏は好戦的で問題の多い空軍参謀長と社会に受け止められ、パロディに使われる等こき下ろされたりもしたようです。)なお、退官後に1968年の大統領選挙に独立党派からの副大統領候補として出馬(勿論落選しましたが)というご乱心もありました。
 
 略歴上は、卓越した識見と歴戦の実戦経験を有する類い稀な超エリート軍人に見えますが、何と言ってもこの人の「類い稀」な所はその強烈な個性が炸裂するエピソードのユニークさでしょう。しかも、そのエピソードが語るのは単なる変人・狂人ではなくて、彼なりの徹底した戦勝追求、そのためなら効率効果の最大限化のため如何なることでも(非人道的であっても)手段として使うこと、加えて話す言葉がストレート過ぎる、ということでしょう。この姿勢は、決して万人のお手本にはならないものの、国際情勢、国家の安全保障や危機管理を考察するに当たっては、こういう実例、手段、考え方もあるのだ、と学べる題材として非常に貴重です。

 そんな観点から、その幾つかのエピソードをご紹介致します。

○ 1943-45頃: 第2次大戦中の戦略爆撃における戦勝の追求 (過去ログの「マクナマラの教訓④」及び「同⑤」を参照ください。ここは映画「フォッグ・オブ・ウォー」を参照。)
 *対ドイツの爆撃に従事していた際、爆撃に出撃した航空機が途中で引き返してくることが多いという問題があり、当時陸軍統計分析局から派遣されたマクナマラ中佐がデータを取ってみると、abortion rate(出撃中断率)が20%にも及ぶことを確認。その理由を調査し、データ化したところ、実際の敵機による撃墜率は4%程度と低いとはいえ、撃墜される恐怖によるものと分析。これを聞いたB-24爆撃隊の隊長であったラメイ大佐は激怒。自分が出撃隊の先頭機を操縦、「俺が出撃の都度、毎回先頭を飛ぶ。離陸した爆撃機は必ず目標に爆撃しろ、途中で引き返した奴は軍法会議にかけてやる!」と宣言。出撃中断はパッタリと激減した。
 また、日本版wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%A4)によれば、対独爆撃に従事していたこの頃、爆撃の良心の呵責に悩む隊員に対して、「(君は)何トンもの瓦礫がベッドに眠る子供の上に崩れてきたとか、身体中を炎に包まれ『ママ、ママ』と泣き叫ぶ3歳の少女の悲しい視線を、一瞬思い浮かべてしまっているに違いない。正気を保ち、国家が君に希望する任務を全うしたいのなら、そんなことは忘れることだ。」と言い聞かせたと言う。
 *米カンザス~インド~中国~日本本土という経路でのB-29爆撃隊を指揮していた際、出撃基地である中国成都の劣悪な飛行場立地と中国人労働者の劣悪な労働により、非効率性から成果が出ず。マクナマラ中佐の分析に基づく進言もあって、ラメイ大佐がこれを一変し、上級部隊に進言し爆撃拠点を大きく変えて太平洋のマリアナに変更。このマリアナからの日本本土爆撃が日本の各都市に大被害を与えた。
 *他の指揮官が爆撃回数や投下爆弾数を競った中で、ラメイ大佐だけはtarget destruction=目標の破壊を徹底的に追求。ラメイ大佐の目標破壊の徹底に、マクナマラ中佐も統計学的分析手法で効率効果の最大限化に幕僚として貢献。ラメイ大佐の凄いのは、その部下への企図の徹底ぶり。マクナマラ中佐は、B-29は高射砲や日本の迎撃機から逃れるために高度7000mから爆撃できるように作られ敵機や高射砲による損失率は低いものの、肝心の爆撃精度が低い旨、分析の結果を報告。これを受け、ラメイ大佐は目標破壊の徹底的追求の観点から、爆撃高度を1500mまで下げさせ、更に、爆弾は木造家屋ばかりの日本の市街地を前提に焼夷弾に変えさせ、徹底的に日本の各都市を破壊することを部下に要求。3月9日の東京大空襲(日本時間3月10日)で、ラメイ大佐の部隊が一夜にして東京を焼け野原に破壊。爆撃任務後、マクナマラ中佐らが成果の聞き取り調査をした際、部下の不満が爆発、「B-29は高高度から爆撃できる最新鋭機なのに、一体どこの馬鹿野郎が1500mまで高度を下げさせたんだ!僚機が撃墜されたじゃないか!」とある大尉が発言。これに対し、ラメイ大佐は一喝。「俺たちはなぜここにいるんだ?確かに貴官は僚機を失った。貴官と同様、俺も心を痛めている。命令したのは俺だ。俺が貴官らを東京上空に行かせた。俺もどういう場所か分かっているし、(高度を下げたことで)危険も承知の上だ。しかし、一機の損失があった一方、我々は東京を壊滅させた。50平方マイル(130平方キロ)を焼け野原にした。東京は木造の街なので、焼夷弾を投下することで瞬く間に東京を焼け野原にしたのだ。」ラメイ大佐は、爆撃の効率・効果の最大限化のために爆撃機の飛行高度を敢えて下げ、対空砲火や迎撃機で撃墜される可能性が高まろうとも、爆撃精度の向上=目標都市の破壊を追求させ、批判を承知で効率性を最大限化した。
 *日本本土空襲では、計67回、日本各地の主要都市の50~90%もの一般市民を空襲で殺傷し、その上で広島・長崎に原爆を投下した。日本本土のどこを目標とし、どの程度の爆撃成果を得れば日本にとって戦争継続が困難になるであろう、と見積・分析・計画で寄与していた若きマクナマラ中佐は疑問を持ち、戦勝追求のためとはいえ「釣り合う」という線を越えてはいけないのではないか、「釣り合っているか」というのをガイドラインにすべきだ、と意見を述べたがラメイ大佐はこれを一蹴。次々と本土空襲を要求。更に、原爆投下というダメ押しが政治判断で下り、大佐は何の迷いもなく命令を実行。ラメイ大佐曰く、「もし戦争に負けたら、我々は戦争犯罪に問われるだろうな。」

 (つづく) 


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