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2018/09/06

マクナマラの教訓: ⑨ベトナム戦争: 「善を為すために悪を為さざるを得ない」覚悟とは

<映画「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白」に学ぶ ⑨ベトナム戦争:「善を為すために悪を為さざるを得ない」覚悟とは>

 前回まで見てきたように、1965年以降の米国は、ベトナムに本格介入したものの決して拡大をするつもりはなかったはずなのに、結果的に泥沼に足を取られ抜き差しならない状況になっていました。今回は、その戦争の泥沼の中で同氏が得た教訓⑨「善を為すために悪を為すことにならざるを得ないことがある。In order to do good, you may have to engage in evil. 」を反芻したいと思います。

 前回に続き、ベトナムへの米軍の兵力増強は益々増大し、1965年末頃には米陸軍と米海兵隊合わせて18万4千を超えていました。しかし、戦況は泥沼のまま、現地に派遣されたマスコミの特派員を通じ、毎日のようにベトナムの町や農村で、或いはジャングルで、夥しい数のアメリカの若者たちが死傷し、疲弊していき、更に犠牲になった現地ベトナム人の悲惨な姿、それらが毎日のようにお茶の間のテレビ画面に写ります。米本土での反対運動が増大します。ある米国市民がベトナム戦争に抗議の意を示すため、マクナマラ氏の執務室の下で焼身自殺します。その遺族の夫人が、「人は、人が人を殺すのを止めなくてはならない。」とコメントし、マクナマラ氏も少なからずショックを受けたようです。
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 しかし、マクナマラ氏は記者会見等で強気の姿勢崩しません。「状況は悪化の一途、むしろ劣勢では?ジョンソン政権のベトナム政策は間違っているのでは?」と攻めたてる記者たちを相手に一歩も引かず、お得意の統計学的数値データを使い、チャートやフリップで表やグラフや挿絵を示しながら、軍事作戦は着実な成果をあげている旨を粘り強く説明します。

 インタビューアーを兼ねたモリス監督が、「貴方は、ベトナム戦争へのこうした介入の実質的な推進者だったのか、それとも推進する者たちの道具に過ぎなかったのか?」とマクナマラ氏に尋ねます。これに対し同氏は、「どちらでもなかった。」と答え、更にこう続けます。
  “I just felt that I was serving at the request of a president
   who’d been elected by the American people.
  And it was my responsibility to try to help him, uh,
   to carry out the office as he believed was in the interest of our people.”
  「私はただ、選挙でアメリカ国民の負託を受けた大統領の求めに応じて仕えているのだ、と感じていただけだ。
  その大統領が国民の利益になると信じて政権運営を遂行していくのを手伝うことが自分の責任であったのだ。」

 この辺の回答ぶりが、マクナマラ氏の大統領に対する「忠誠」という同氏の人格と、自分はただ大統領の幕僚として求めに応じて仕えたのだという大統領の幕僚としての「機能」という無人格との、一見二律背反するような二つの側面をわが心に併せ持っていた感じが滲み出ているように、私には思えます。ただし、同氏に対する人物評や映画評では、これが「自分の責任は絶対に認めようとしない/責任逃れだ」等の批判を受けるところでもあります。

 この後、同氏は、戦争環境下における道徳的適切性のあり方について、自ら枯葉剤の使用を例にとって説明します。ジャングルに隠れて米軍を苦しめる敵に対する対抗策として、隠れる衣を剥ぐジャングルの植物を枯らしてしまう薬剤を噴霧したことについて、これが実は毒性が高く、枯葉剤を吸ったり皮膚についたりして死傷したり障害が出たり、或いは妊娠した女性が奇形児を生んだり、等々の被害が指摘され、非人道的であると糾弾されることについて語ります。そして、ではこの枯葉剤を使用したことは違法だったのか?と自ら問い、当時これが違法であるとはどこにも規定していない、違法であるなら使用していなかった、と語ります。しかし、自分は枯葉剤使用について命じたかどうか覚えていない、しかし自分が国防長官の時期に使用したことは間違いない、と語ります。ここについては、多くの方が「これこそ責任逃れだ」と厳しく批判されるところです。しかし、よく映画を見ていただきたいのですが、ここでモリス監督から枯葉剤の話を突っ込まれてしぶしぶ重い口を開いたり責任逃れをしたのではなく、マクナマラ氏自らが次の教訓「善を為そうとして悪を為さざるを得ないことがある。」という話をするための自らの例として枯葉剤の話を持ち出したのです。

 ここで今回の教訓の登場です。
  “How much evil must we do in order to do good?
  We have certain ideals, certain responsibilities.
  Recognize that at times you will have to engage in evil, but minimize it.
  I remember reading that General Sherman, in the Civil War,
  The mayor of Atlanta pleaded with him to save the city.
  And Sherman essentially said to the mayor
  just before he torched it and burned it down:
  ‘War is cruel. War is cruelty.’
  That was the way LeMay felt.
  He was trying to save the country.
  He was trying to save our nation.
  And in the process, he was prepared to do whatever killing was necessary.
  「善を為すためなら、我々はどれほどの悪を為さねばならないのだろうか?
  我々には確たる理想があり、確たる責任がある。 
  時として悪に従事せざるを得ないことも認識している。しかし最小限にとどめねば。
  南北戦争の話だが、シャーマン将軍の逸話を思い出す。
  アトランタ市長が敵将のシャーマン将軍に街を焦土にしないでくれと懇願するが、
  『戦争とは冷酷/悲惨なものなのだ。』と言った直ぐ後に街に火をつけた、という。
  これはまさにラメイの考えと同じなのだ。 
  彼は国を/国家を救おうとしたのだ。
  そして、その過程において、必要とあらば如何なる人殺しさえする覚悟だったのだ。」

 この辺りの言葉遣いから、私見ながら、やはりマクナマラ氏は自分の責任逃れを語っているのではなく、あくまで客観的に戦争というものの特性を教訓として語っているのだろうと思います。善を為そうとして(=国のために良かれと思って)実施する作戦や施策が、時として、客観的には悪である(=人道的には認められない)行為(特に、人を殺傷すること)を為すことにならざるを得ないのだ、状況によりそうせざるを得ないこともあるのだ、との覚悟が戦争時の国家指導者、軍指導者の現実的な特性であろうと思われます。・・・この辺は、非常に批判をいただくところだと存じますが、あくまで戦争という非常時の特性として、敢えてこのように書かせていただきました。
 (了)

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