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2018/09/07

マクナマラの教訓: ⑩ベトナム戦争: 記者会見にも毅然と対応していたが・・・国防長官辞任へ

<映画「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白」に学ぶ ⑩ベトナム戦争:記者対応にも毅然と対応していたが・・・国防長官辞任へ>

 今回は、前回の教訓とほぼ同じ時期、同じ背景の部分です。前半は、戦況は泥沼にも拘らず記者会見や国民への説明責任等の場においては、終始強気な姿勢を崩さず毅然と対応した同氏の記者対応上の基本的着意(これが今回の教訓)を。後半には、反戦運動の国民的盛り上がりの中で、同氏自身も方針変更を大統領に意見具申するようになり、そして意見が全く容れられず、最終的には国防長官の職を辞すことになるところまで。この二つをカバーしながら反芻してみたいと思います。

 前回の教訓「善を為そうとして悪を為さねばならないことがある」すなわち、戦争のような国家の危急に際して国のためにとの善意に基づき、必要であれば非人道的な作戦(勿論最小限にとどめねばならないが)をせざるを得ないことがある、という話をした直後に、マクナマラ氏は彼らしくないことを言います。
  “It’s a very difficult position for sensitive human beings to be in.
  Morrison was one of those. I think I was.”
  「そういった地位(戦争指導者等)にいるというのは、
  繊細な人間にとっては大変困難なことだ。
  モリソン(焼身自殺した市民)はそういった繊細な人間だし、
  私自身もそうだと思う。」

 この一言の後、場面は変わり、国民のベトナム戦争反対運動が盛り上がり、首都ワシントンDCで5万人にも及ぶデモがあった場面に移ります。その一部2万人は国防省のペンタゴン庁舎を囲みます。庁舎を守るため、憲兵と連邦保安官に銃を持たせて警備に着けますが、銃に実弾を装填するのは国防長官マクナマラ氏の命を待たせ、デモとの衝突はあるものの実際には命じませんでした。
 しかし、マスコミの論調や評論家やコメンテーターは口々にマクナマラ氏を批判します。画面には、同氏を「人殺し」、「独裁者」、「全くダメ」と侮蔑する言葉が躍り、ベトナム戦争のことを「マクナマラの戦争」などという紙面が次々に映し出されます。当然、記者会見やぶら下がりの会見で記者たちの突っ込みもキツクなってきます。「現地の状況はもはや打つ手のない手詰まり状況に移行した、と分析する専門家がいるがどう思うか?」との質問に、「いや、いや、私はそうは見ていません。実際には、現地でウェストモーランド将軍も指摘しているように、サイゴンにおける大規模な軍事作戦などにおいても実質的には成功裏に進んでいます。」と笑顔も交えて答えます。こうした、記者会見や国民への説明の場では、同氏は徹底して強気の姿勢を崩さず、毅然とした態度で自信たっぷりに理路整然と、特に統計的数値データを示しながら国民の理解を得ようとしました。
 この頃、同氏が得た記者対応上の教訓が今回の教訓「決して『never』とは言うべからず。 Never say never. 」です。
 同氏は、当時、記者から聞かれたくない質問や答え方に窮する質問をされることが多かったわけですが、2つのルールを肝に銘じていたそうです。まず第一に、「never」=「決して~ない」という表現は決して使わないこと。そして第二に、記者に聞かれたことにはストレートに答えず、答えたい質問にだけ答えること。この2つをルールとして順守し、実際非常に有用だった、と語ります。記者さん達は、国防長官のコメントから、揚げ足をとるべく、失言やミス、方針転換の端緒、作戦失敗の是認など、隙を窺っています。それらに足をすくわれないように、なおかつ、政府の方針・方向性に対して国民の理解を得られるように、国防長官としての地位・役割を果たすために自らに課していたルールだった、ということです。

 さて、今回の教訓自体は他の教訓に比し深みのあるものではありませんでしたが、ここからの後半、いよいよ強気一辺倒、理路整然と終始毅然とした態度で職務に臨んできたマクナマラ氏の転換点を迎えます。
 ここでモリス監督は、ベトナム戦争の責任の所在について単刀直入に切りこみます。これに対し、マクナマラ氏の回答も単刀直入です。「それはジョンソン大統領の責任だ。」と。同氏の回答は一刀両断です。「ジョンソン大統領が国家のために実施した様々な貢献については高く評価するが、他方、ベトナム戦争については(ジョンソン大統領一人に責任を押し付けるつもりはないが)その責は免れない。もしケネディ大統領が存命であれば50万ものアメリカ兵を現地に送るようなことにはならなかっただろう。」、と。
 ここで同氏は、当時の同氏と大統領の関係を示す2つの写真を紹介します。ジョンソン大統領とマクナマラ国防長官が大統領執務室らしき部屋で議論している風景ですが、

映画「フォッグ・オブ・ウォー」より①
(出典: 映画「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元国防長官の告白」より)

一つは、マクナマラ氏が何かの懸案について意見具申していますが、ジョンソン大統領は怪訝な顔で当惑しているの図。ジョンソン大統領の頭の中をマクナマラ氏が代弁します。
  “My God, I’m in a hell of a mess.
  And this guy is trying to tell me to do things
  that I know is wrong and I’m not gonna do.
  But how the hell am I gonna get out of this?”
  「神様、これはもう無茶苦茶な状況だ。
  こいつ(マクナマラ氏)の言っていることは間違っていて、私はそうはしたくないのだ。
  しかし、一体どうすりゃこの状況から抜け出せるっていうんだ?」

映画「フォッグ・オブ・ウォー」より②
(出典: 映画「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元国防長官の告白」より)

もう一枚の写真は、当惑するジョンソン大統領を背景に、説明しても説明しても一向に理解してくれないジョンソン大統領に対して、呆れ顔で頭に手をやるマクナマラ氏の図。マクナマラ氏の頭の中の言葉はこうです。
  “Jesus Christ. I love this man. I respect him.
   But he’s totally wrong. What am I gonna do?”
   「おお主よ、私はこの愛すべき男を慕い、尊敬している。
  しかし、彼は間違っている。一体どうしたらいいのだ?」

 ベトナム政策について、マクナマラ氏はジョンソン大統領に意見具申しても説得できず、ジョンソン大統領は既定路線で行くのだということをマクナマラ氏を納得させることはできませんでした。マクナマラ氏は言います。「ケネディ大統領にもジョンソン大統領にも同様に忠誠心を払い尊敬して仕えた。しかし、最終的にはジョンソン大統領と自分は、お互い対極にいることに気づいたのだ。」
 様々な意見具申がジョンソン大統領に容れられなくなる状況下で、ベトナムでは次々に新しい作戦名を冠して米軍の新たな作戦が繰り出されます。しかし戦況は悪化の一途。マクナマラ氏も遂に腹を決めます。1967年11月に、「現在の行動方針は完全に誤っており、我々は方向を転換、すなわち作戦を縮小し、死傷者を削減しなければならないのだ。」というメモにしたため、他の閣僚には論争を巻き起こすのは必定なので一切見せず、直接大統領に手渡します。そして、「このメモは閣僚の誰にも見せていません。大統領が私のこの意見具申に同意してくれないであろうことは分かっていますが、・・・」と申し添えて。しかし、結局、大統領からは何の回答もなし。これに関連してか、マクナマラ氏がベトナム戦争のストレスとプレッシャーに晒されてメンタルをやられてしまった、という噂がたったといいます。実際にはメンタルダウンしたわけではありませんでしたが、覚悟の意見が容れられず、マクナマラ氏は辞任することになります。丁度、画面では辞任に際しての最後の儀仗隊の儀仗を受け、整列した兵士の前を笑顔で去っていく同氏の姿が映し出されます。同氏は、これを「It was a really traumatic departure. 忘れられない痛ましい旅立ちだった。」と語っています。こうして、マクナマラ氏は国防長官を辞し、同氏のベトナム戦争指導は終わります。

 さて、今回の冒頭に私が「マクナマラ氏らしくない」と言ったマクナマラ氏の発言を思い出してみてください。
  “It’s a very difficult position for sensitive human beings to be in.
   Morrison was one of those. I think I was.” 
  「そういった地位(戦争指導者等)にいるというのは、
  繊細な人間にとっては大変困難なことだ。
  モリソン(焼身自殺した市民)はそういった繊細な人間だし、
  私自身もそうだと思う。」
 この一言が、ずっと後の場面で大統領への意見具申や辞任の話になることの前振りの役割を果たしているのだと思われます。インタビューアーを兼ねるモリス監督は、前回も聞きましたし、今回も聞いていますが、マクナマラ氏に対し尋ねます。「貴方は反戦運動などに影響を受けたか?ベトナム戦争中に考えが変わったのか?」これに対し、「いや、自分は考えを変えていない。ただ冷戦を戦っただけだ。」等とマクナマラ氏は否定しています。しかし、実はマクナマラ氏自身も繊細な心を有し、ずっと前から心を痛めつつも、「善を為さんとして悪を為している」との自覚の下、苦しい地位・役割を果たし続けた末に、breaking pointを迎えた、ということなのだろうと思います。ちなみに、同氏は「家族に関わる話は一切言及しない」と拒んだため映画には出てきませんが、戦争反対の運動が国民的に高まってきた頃、マクナマラ氏の子息は戦争反対派を公言してはばからず、戦争中は同氏と一切会話しない状況であったといい、同氏の最愛の奥様も非常に心を痛め、家族全員にとって忘れえぬ苦しい時期だったようです。
(了)


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