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2020/09/25

中印国境緊張に垣間見えるチベット問題

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チベット寺院の前で対峙するチベット人と人民解放軍(Troops facing pilgrims at the Monlam Chenmo prayer festival in Kumbum, Qinghai, one of the largest Tibetan monasteries, in March 2015.)(2020年4月22日付The Diplomat誌「China’s Hidden Crackdown in Tibet」より)

<亡命チベット兵が対中最前線に立つ>
 前回のブログで、緊張下の中印国境で亡命チベット人部隊がインド陸軍として戦っている件に触れました。この件を通じ、中印国境の緊張の一要因として、否、その底流にチベット問題もあることを痛感しました。
 1950年代から一貫して行われている中国によるチベット自治区への実行支配・収奪・中国化政策により、15万人ものチベット人が故郷から追いやられました。チベットの地を後にせざるを得なくなった亡命チベット人の一部が、いつの日かチベットの地に帰ることを夢見て、亡命先のインドで対中国国境警戒の最前線に立っています。そんな亡命チベット兵士がパトロール任務中に中国側が仕掛けた地雷で殉職した話。
 彼への追悼、敬意、トリビュートとして、今回はその底流にあるチベット問題について取り上げ、ザックリと考察してみました。
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亡命チベット兵士の葬儀

<底流にある「チベット問題」とは>
 「チベット問題」とは、1950年代からの中国のチベット自治区への実行支配・収奪・中国化政策が、チベットの消滅の危機を招いている問題であり、中国政府はこれを全面否定し、チベット地区の封建農奴制からの「解放」であると主張しています。

チベット
 元々、チベットはヒマラヤ山脈の北側の4500m級の超高地の広大な高原に住み、牧畜・農耕を生業とする温厚にしてチベット仏教を厚く信仰するチベット人の、人口600万人程ののどかな独立国でした。(正確には、モンゴル帝国などに制服されたことがありますが)皆さんも、テレビで見たことがあると思うのですが、山がちの集落の中心にとんがりコーンのようなチベット仏教の寺院があり、昔の日本人によく似た素朴な人々が牧畜を中心とした生活を営み、お寺の僧侶が集落の歳時記や教育や道徳の常に中心にある、それが伝統的なチベットの集落。中国政府は、これを「封建的農奴制」と位置づけ、こののどかな生活を「解放」の名のもとに切り崩していっています。
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中国のチベットへの介入
 他方、中華思想を持つ漢民族からすれば、歴史的に「チベットは辺境の地で漢民族の国家に属する蛮族に過ぎない」との認識でした。第2次世界大戦終了後、国共内戦に勝利した中国共産党が1949年に中華人民共和国の成立を宣言した時も、毛沢東の頭の中ではチベットは中華人民共和国の領土内の属国でした。一応の交渉の下、チベットは1951年に17条からの条件を飲む代わり、自治区において信仰や自治が認められ、チベットとしての主体性を存続する筈でした。ところが、中国共産党政府は「チベット解放」の名の下にチベットに介入。チベットに根付いたチベット仏教と密接不離の社会構造や庶民の文化や価値観を破壊し、チベットに多くの漢民族を入植しました。

チベット蜂起、中国による鎮圧、難民化
 さすがに温厚なチベット人も逐次に反発。更に、解放の名の下の文化の破壊がチベット仏教そのものに及び、僧侶の弾圧・追放や寺院の破壊(なんと寺院の9割までもが破壊された)が始まるや、チベット人の怒りが爆発。各地で抵抗運動が起きました。これが1959年の「チベット蜂起」です。
 これに対し、中国共産党政府は鎮圧のために人民解放軍をチベットに展開・侵攻し、多くのチベット人が犠牲になりました。この時、チベット仏教の頂点にいてチベット人にも非暴力による抵抗を訴えていたダライ・ラマ14世は、インドに亡命。15万ものチベット人が難民化し、仕方なくチベットを去りインド、ネパールなどに身を寄せました。

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(freetibet.orgより)
その後のチベットの中国化
 その後も中国政府は、数次に渡りチベット人への弾圧を加え120万人ものチベット人が死亡または行方不明との情報もあるほどです。また、おびただしい漢民族の入植をし、残留チベット人はもはや少数民族化しています。自治区とは名ばかりで、言語、ビジネスや就職、学校教育が中国語で行われ、元来のチベット独自の文化は風前の灯になりつつあります。チベットらしさの残るチベットは漢民族が経営する観光の見世物として生き残っている、というのが実情です。
 (似たような環境にあるのが、新疆ウイグルのウイグル人の敬虔なイスラム教の信仰とそれに根付いた文化です。中国政府は、テロ対策の大義名分の下、徹底的なウイグル人の中国化を行なっており、国際的な人権問題となっています。)

<私見ながら: チベット問題の展望>
 15万ものチベットからの難民がチベットを去って異郷の居留地にて生活をし、チベットに残留したチベット人も骨抜きにされ、こんな状況がかれこれ60年余りも経過しています。この60年間で何回か、2008年の抵抗運動の盛り上がりなど、チベット問題が国際的に認知される事象もありましたが、全て中国官憲の弾圧で鎮圧されています。いくら少数民族の濃い血脈でチベットの誇りを受け継ごうとも、さすがに60年の中国化政策の月日は長いものです。チベットの都市部?の若いチベット人には、もはやチベット語を話せず、チベット文化を知らない世代になってきたのです。年々歳々、時の流れの中でゆっくりとかつ着実に、チベットは消滅しつつあり、もはや不可逆の趨勢です。
 だからこそ、亡命チベット兵の中印国境での警備任務中の殉職のようなニュースの機会に、中国にはこういう悲しい少数民族の問題があるんだよ、と注意喚起することの重要性を感じます。
 皆さん、チベット問題に関心を持ちましょう。
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(了)

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