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2020/10/14

ナゴルノカラバフ 繰り返す紛争の理由

ナゴルノカラバフ地図
ナゴルノカラバフの位置(2020年9月28日付毎日新聞より)

再燃、ナゴルノカラバフ紛争
 アゼルバイジャンのナゴルノカラバフ自治区をめぐる民族紛争が再燃、本年(2020年)9月下旬からアゼルバイジャン軍と同自治区に展開するアルメニア軍が軍事衝突しました。ロシアが仲介役を演じ、10月10 日に停戦したものの、水面下で住民を巻き込んで小競り合いが続いています。

 この紛争は一旦鎮まろうとも、数年おきに再燃しては容易に収まらず、その度に地域の住民が難民になったり民族浄化のような悲劇が起きています。それはなぜか?ロシアやトルコやイランの思惑など、いろいろ複雑な問題ですが、違った角度から紛争の根本を、背景にいかなる理由があるかを、考えてみました。

そもそもナゴルノカラバフ紛争とは
 古くから、中央アジアのナゴルノカラバフ地域に、アルメニア人やアゼルバイジャン人が混在して暮らしていました。やがてソビエト連邦が成立した際に、アゼルバイジャン人の多い地域をアゼルバイジャン共和国、アルメニア人が多い共和国をアルメニア共和国としました。この際、その国境線的にはアゼルバイジャン内にあったナゴルノカラバフには、アルメニア人の方が優勢(約7割)だったのでアルメニアへの帰属も検討したものの、結局はアゼルバイジャン共和国の一部とする国境線をソビエト連邦が引きました。すぐに揉め始めたため、この地域は自治州とする形で軟着陸を図りましたが、アルメニア共和国及びアルメニア人が優勢な同地域はアルメニアへの帰属を求めて係争が続き、爾来、このナゴルノカラバフをめぐってアゼルバイジャンとアルメニア両国の紛争のタネとなってきました。何度目かの係争の末に、同地の優勢なアルメニア人が劣勢なアゼルバイジャン人を同地から追い出し、民族浄化のような形で同地のアルメニア化がなされ、同地内には僅かのアゼルバイジャン人しか残っていない状況になりました。特に、1980年代末から1990年代初期のソビエト連邦の崩壊と各共和国の独立を経て度々紛争があり、近年では、ナゴルノカラバフはアゼルバイジャン国内にある自治州どころか、アルメニアの飛び地ないし独立国の様相になり、アルメニア軍が駐留する状況です。アゼルバイジャンにとり、国家としてこの状況を看過できません。当然のように強硬な報復措置をとりますから、今回の紛争再燃のように、同地の帰属をめぐる双方の軍の衝突が起きるゆえんです。

紛争の根源は相容れない民族の違い
 ではなぜ、ナゴルノカラバフは紛争が鎮まらないのか?
 答えは、異民族=宗教も生活様式も異なる異文化の人々との同一地域社会での共存ができない、という相互の相容れない不寛容さです。勿論、永年の紛争で相互に民族間の憎悪が蓄積されていることもありますが、根本はというと、相容れない民族の違いです。図式的に言うと、アルメニア人(キリスト教系アルメニア派)vsアゼルバイジャン人(イスラム教)の民族・文化の衝突と言えます。

 世界を見れば、同様な相容れない民族間の係争地があります。ナゴルノカラバフはパレスチナ(ユダヤ人vsパレスチナ人)を例にとると分かりやすいかもしれません。ナゴルノカラバフ問題もパレスチナ問題と同様に、異文化・異宗教の人々は犬猿の仲です。
 ここで、ユダヤ人とアルメニア人の相似点について気付きの点をお話しします。イスラエルのユダヤ人とはユダヤ民族なる均一の民族ではなく、長い歴史を経て、人種的な区分で言えば種々雑多な民族からなります。何をもってユダヤ人かと言うと、「親がユダヤ教徒で子供をユダヤ教徒として育てたユダヤ教の人々」なのです。つまり、ユダヤ人たる原点はユダヤ教の信仰です。同様に、アルメニア人とは、民族的にはむしろ雑多であって、アルメニア人たる原点はキリスト教の一派(異端とされているらしい)アルメニア使徒教会派の信仰なのです。ユダヤ人同様、世界各国(トルコ、イラン、アゼルバイジャン、イラク、シリア、レバノン、パレスチナのほか、ヨーロッパやアメリカ合衆国等)に散らばったアルメニア人(アルメニア使途教会派を信仰する人々)がおり、ナゴルノカラバフ問題を我が事のように捉え、ナゴルノカラバフのアルメニア人に資金援助を惜しみません。

 なぜアルメニア人はユダヤ人のように世界各地に散らばったかと言うと、古代アルメニア王国は地中海に面した地域にいて世界初のキリスト教を国教とした国でありながら、その時代毎の覇権国、特にローマ帝国やペルシャ、トルコの支配下で土地を移動させられたり戦乱を避けたり、という時代の波に揉まれたってやつです。特に、オスマン帝国(トルコ)には異教徒であるが故に大量虐殺の憂き目に遭い、やっとこさ今のアルメニアのある山岳地域でソビエト連邦の傘下での独立国的地位が得られた人々です。そういった歴史的経緯もイスラムとは共に天を戴かずという相容れない感情を持っているのかも知れません。
 
 まだソビエト連邦の成立以前の近世の頃は、ナゴルノカラバフに移り住んだアルメニア人もアゼルバイジャン人も、その豊かな山河にそれぞれの民がまとまって集落を形成し、それぞれの生活を営んでいるだけで、衝突するようなこともなかったでしょう。これが近代の国家、行政の括りが人為的に取られ始めて、それぞれの集落を越えてアゼルバイジャン国家の一地域として相互に接する機会や共同作業が増え始め、異文化間の軋轢が始まったわけです。

これまでの紛争の歴史が長くそして陰惨
 先ほどソビエト連邦成立のところから話し始めましたが、正確には第1次世界大戦後いやロシア帝国の崩壊ですかね、一時的に独立国として存在したものの、すぐに赤軍が席巻しソビエト連邦の支配下になり、双方が共和国となりました。既述の通り、ナゴルノカラバフは共和国の国境線が引かれた時から揉め始めました。優勢なアルメニア人たちがアルメニアへの帰属を求めたのです。嫌なものは嫌だったんでしょうね。それでも、ソビエト時代にはソビエト連邦政府の冷血かつ強烈な統制により、軍事衝突にまでには至りませんでした。しかし、やがて1980年代後半でソビエトが失速し始めた頃、冷血で強圧的だった統制のタガが外れてきた頃、ナゴルノカラバフのアルメニアへの帰属を求める内圧が高まり、当時のソ連邦のゴルバチョフ書記長も乗り出したもののその要求を拒んだため、ついに血の抗争が始まりました。ナゴルノカラバフ内でアルメニア人がアゼルバイジャン人を略奪、暴行、強姦という弾圧を加えて、同地から追い出しにかかり、多くのアゼルバイジャン人が難民化しました。これを契機に、ナゴルノカラバフの外側のアゼルバイジャン人たちは、アゼルバイジャン国内のアルメニア人に対して迫害し始め、結果的に、ナゴルノカラバフという一地域の紛争から、アルメニア対アゼルバイジャンという国家間の紛争の様相を呈し始めました。両者間の衝突は枚挙に暇のないほど。どっちもどっちで、双方の民族に対する略奪、暴行、強姦の応酬、民族浄化や住民を巻き込む軍事衝突を繰り返しています。
voa September 28 2020
アゼルバイジャン軍の砲撃(A still image from a video released by the Azerbaijan's Defense Ministry shows members of Azeri armed forces firing artillery during clashes between Armenia and Azerbaijan over the territory of Nagorno-Karabakh in an unidentified location.) (2020年9月28日付VOA記事「Armenia, Azerbaijan Forces Clash for 2nd Day, Ignoring Calls to End Hostilities」より)

現在、やっと「停戦」の模様・・・、しかしやがて再燃するでしょう
 悲しいかな、現在の停戦も「一時停止」に過ぎず、やがてまた再燃することでしょう。決して皮肉を言っているわけではなく、冷笑しているわけでもありません。悲しいかな、これが現実の民族紛争なのです。国連のPKOなどで、多国籍の平和維持部隊の係争地域への駐留と監視によって、物理的に紛争を抑制する手はなくはないのですが、中々そうはいきません。それは、この地にロシア、トルコ、イランなど各国の思惑が交錯していて、国際的な和平へのアプローチに入れないのです。だって、クリミア問題もそうでしょ、チェチェン問題もそうでしょ。悲しいですが、これが国際関係、国際問題の現実なのです。

(了)

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