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2018/10/01

マクナマラの教訓⑯: 戦略爆撃の鬼ラメイ将軍(前編)

<映画「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白」に学ぶ ⑯補足: 戦略爆撃の鬼ラメイ将軍(前編)>

 マクナマラ氏の教訓を反芻して参りましたが、いかがでしたでしょうか。マクナマラ氏の教訓シリーズはこれで一段落させていただき、じ後の数回は同氏の教訓のスピンオフとして、同氏の教訓のエピソードの中に出てくる2人の異彩を放つキャラクターについて補足させていただきます。まずは同氏が第2次大戦時の日本本土への空襲に携わった際の上司だったカーティス・ラメイ大佐(③、④)、そして、ベトナム戦争時に同氏が仕えたリンドン・ジョンソン大統領です。2名ともそれぞれマクナマラ氏の教訓と関係が深く、かつそれぞれが危機管理を考える際に学ぶべき要素を有する強烈な個性を持っています。

 今回はカーティス・ラメイ氏について補足いたしします。ちなみに、マクナマラ氏は第2次大戦時に当時ラメイ大佐の部下でしたが、その後マクナマラ氏がケネディ大統領から国防長官を拝命した際に国防省下の空軍参謀長だったのも大将に昇進したラメイ氏であり、今度は部下として、キューバ危機やベトナム戦争初期まで付き合うことになり、マクナマラ氏とは何度も衝突しました。それでは、ラメイ氏の略歴とその強烈な人となりについて紐解いて参ります。
LeMay (2)
(本「LeMay: The Life and Wars of General Curtis LeMay」 by Warren Kozak, Hardcover – May 11, 2009 より) 

 米空軍の同氏の経歴資料(https://www.af.mil/About-Us/Biographies/Display/Article/106462/general-curtis-emerson-lemay/)によれば、略歴は以下のようなものです。
(一部、米版wikipedia(https://en.wikipedia.org/wiki/Curtis_LeMay)を参照。)
 カーティス・ラメイ氏は、オハイオ州立大出身で、1928年に陸軍航空士官候補生となり、翌年予備将校として少尉に任官、更に翌年1930年には正規将校として陸軍に入隊、パイロットになりました。当初は戦闘機、じ後は爆撃機のパイロットとして活躍します。B-17爆撃機の部隊にて、爆撃機の編隊の組み方や戦闘要領等を具体化し、かつ徹底的な実戦訓練で部隊を鍛え、それが欧州正面の爆撃部隊のスタンダードになるほど頭角を現し、1941年12月の第2次大戦への参戦当時には新編の第305爆撃群の指揮官でした。欧州戦線でドイツやポーランドに対する戦略爆撃(空襲)等を歴戦したのち対日戦線に移り、ここで当時陸軍統計分析局のエリート分析官だったマクナマラ中佐が指揮下に入ります。当初はインド~ビルマ~中国から、じ後マリアナ諸島から日本本土への戦略爆撃に従事し、原爆投下もラメイ氏の指揮下部隊が実施しています。終戦後、ラメイ氏は日本からアメリカ本土へB-29を自らも操縦し無着陸飛行で帰国しています。ちなみに、様々な記事によると、大戦直後ラメイ氏は大戦終結のヒーロー的に社会に受け止められ、タイム誌の表紙に顔が載ったこともあったそうです。戦後、ワシントンでの勤務の後、1947年に欧州派遣米空軍司令官としてベルリン空輸を指揮し、翌1948年には戦略航空軍団の創設に当たり戦略航空軍団司令官を拝命し、このポストをなんと10年間務め、現在も戦略核戦力の主力である戦略航空軍団は、実にラメイ氏が手作りでカスタマイズした部隊です。(ちなみに米版wikipediaによれば、この期間に最若44歳(南北戦争以来の快挙)にして米空軍の4スタージェネラル=空軍大将に昇進します。)自衛隊では絶対あり得ません。第2次大戦で戦略爆撃に中核的役割を果たし、かつ、核時代の戦略爆撃の重要性を勘案しての人選・昇進であろうと思われます。そして、ついに1961年に米空軍のトップ、空軍参謀長に就任します。1965年2月に退官するまで、結果的にアイゼンハワー政権、ケネディ政権、ジョンソン政権、と3代にわたって仕え、ベトナム戦争の1962年の北爆開始直前に退官するまでの4年間、空軍のトップとして君臨しました。(これ又ちなみに、米版wikipediaによれば、退官の頃のラメイ氏は好戦的で問題の多い空軍参謀長と社会に受け止められ、パロディに使われる等こき下ろされたりもしたようです。)なお、退官後に1968年の大統領選挙に独立党派からの副大統領候補として出馬(勿論落選しましたが)というご乱心もありました。
 
 略歴上は、卓越した識見と歴戦の実戦経験を有する類い稀な超エリート軍人に見えますが、何と言ってもこの人の「類い稀」な所はその強烈な個性が炸裂するエピソードのユニークさでしょう。しかも、そのエピソードが語るのは単なる変人・狂人ではなくて、彼なりの徹底した戦勝追求、そのためなら効率効果の最大限化のため如何なることでも(非人道的であっても)手段として使うこと、加えて話す言葉がストレート過ぎる、ということでしょう。この姿勢は、決して万人のお手本にはならないものの、国際情勢、国家の安全保障や危機管理を考察するに当たっては、こういう実例、手段、考え方もあるのだ、と学べる題材として非常に貴重です。

 そんな観点から、その幾つかのエピソードをご紹介致します。

○ 1943-45頃: 第2次大戦中の戦略爆撃における戦勝の追求 (過去ログの「マクナマラの教訓④」及び「同⑤」を参照ください。ここは映画「フォッグ・オブ・ウォー」を参照。)
 *対ドイツの爆撃に従事していた際、爆撃に出撃した航空機が途中で引き返してくることが多いという問題があり、当時陸軍統計分析局から派遣されたマクナマラ中佐がデータを取ってみると、abortion rate(出撃中断率)が20%にも及ぶことを確認。その理由を調査し、データ化したところ、実際の敵機による撃墜率は4%程度と低いとはいえ、撃墜される恐怖によるものと分析。これを聞いたB-24爆撃隊の隊長であったラメイ大佐は激怒。自分が出撃隊の先頭機を操縦、「俺が出撃の都度、毎回先頭を飛ぶ。離陸した爆撃機は必ず目標に爆撃しろ、途中で引き返した奴は軍法会議にかけてやる!」と宣言。出撃中断はパッタリと激減した。
 また、日本版wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%A4)によれば、対独爆撃に従事していたこの頃、爆撃の良心の呵責に悩む隊員に対して、「(君は)何トンもの瓦礫がベッドに眠る子供の上に崩れてきたとか、身体中を炎に包まれ『ママ、ママ』と泣き叫ぶ3歳の少女の悲しい視線を、一瞬思い浮かべてしまっているに違いない。正気を保ち、国家が君に希望する任務を全うしたいのなら、そんなことは忘れることだ。」と言い聞かせたと言う。
 *米カンザス~インド~中国~日本本土という経路でのB-29爆撃隊を指揮していた際、出撃基地である中国成都の劣悪な飛行場立地と中国人労働者の劣悪な労働により、非効率性から成果が出ず。マクナマラ中佐の分析に基づく進言もあって、ラメイ大佐がこれを一変し、上級部隊に進言し爆撃拠点を大きく変えて太平洋のマリアナに変更。このマリアナからの日本本土爆撃が日本の各都市に大被害を与えた。
 *他の指揮官が爆撃回数や投下爆弾数を競った中で、ラメイ大佐だけはtarget destruction=目標の破壊を徹底的に追求。ラメイ大佐の目標破壊の徹底に、マクナマラ中佐も統計学的分析手法で効率効果の最大限化に幕僚として貢献。ラメイ大佐の凄いのは、その部下への企図の徹底ぶり。マクナマラ中佐は、B-29は高射砲や日本の迎撃機から逃れるために高度7000mから爆撃できるように作られ敵機や高射砲による損失率は低いものの、肝心の爆撃精度が低い旨、分析の結果を報告。これを受け、ラメイ大佐は目標破壊の徹底的追求の観点から、爆撃高度を1500mまで下げさせ、更に、爆弾は木造家屋ばかりの日本の市街地を前提に焼夷弾に変えさせ、徹底的に日本の各都市を破壊することを部下に要求。3月9日の東京大空襲(日本時間3月10日)で、ラメイ大佐の部隊が一夜にして東京を焼け野原に破壊。爆撃任務後、マクナマラ中佐らが成果の聞き取り調査をした際、部下の不満が爆発、「B-29は高高度から爆撃できる最新鋭機なのに、一体どこの馬鹿野郎が1500mまで高度を下げさせたんだ!僚機が撃墜されたじゃないか!」とある大尉が発言。これに対し、ラメイ大佐は一喝。「俺たちはなぜここにいるんだ?確かに貴官は僚機を失った。貴官と同様、俺も心を痛めている。命令したのは俺だ。俺が貴官らを東京上空に行かせた。俺もどういう場所か分かっているし、(高度を下げたことで)危険も承知の上だ。しかし、一機の損失があった一方、我々は東京を壊滅させた。50平方マイル(130平方キロ)を焼け野原にした。東京は木造の街なので、焼夷弾を投下することで瞬く間に東京を焼け野原にしたのだ。」ラメイ大佐は、爆撃の効率・効果の最大限化のために爆撃機の飛行高度を敢えて下げ、対空砲火や迎撃機で撃墜される可能性が高まろうとも、爆撃精度の向上=目標都市の破壊を追求させ、批判を承知で効率性を最大限化した。
 *日本本土空襲では、計67回、日本各地の主要都市の50~90%もの一般市民を空襲で殺傷し、その上で広島・長崎に原爆を投下した。日本本土のどこを目標とし、どの程度の爆撃成果を得れば日本にとって戦争継続が困難になるであろう、と見積・分析・計画で寄与していた若きマクナマラ中佐は疑問を持ち、戦勝追求のためとはいえ「釣り合う」という線を越えてはいけないのではないか、「釣り合っているか」というのをガイドラインにすべきだ、と意見を述べたがラメイ大佐はこれを一蹴。次々と本土空襲を要求。更に、原爆投下というダメ押しが政治判断で下り、大佐は何の迷いもなく命令を実行。ラメイ大佐曰く、「もし戦争に負けたら、我々は戦争犯罪に問われるだろうな。」

 (つづく) 


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