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2018/10/01

マクナマラの教訓⑰: 戦略爆撃の鬼ラメイ将軍(後編)

<映画「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白」に学ぶ ⑯補足: 戦略爆撃の鬼ラメイ将軍>

 前回に引き続き、「戦略爆撃の鬼ラメイ将軍(後編)」をお送りいたします。
LeMay (2)
(本「LeMay: The Life and Wars of General Curtis LeMay 」 by Warren Kozak, Hardcover – May 11, 2009 より)

(つづき) 
○ 1948-1957頃: 戦略航空軍団司令官としての核戦力における戦略爆撃重視 (ここからは、主として米版wikipediaを参照。)
 当時、米ソは核開発競争に勤しみ、核戦力をいかに保有すべきかが議論されていた。ラメイ氏は、「全てを粉砕することが戦争に勝つ方法である」との信念の下、戦略航空軍団が米国の核戦力の主軸であり、米国の核の80%を搭載・運搬すべきである、との持論で空軍上層部と共同戦線を張っていた。それを裏打ちするため、戦略航空軍団の緊急戦争計画を、ソ連の70都市に対して133個の原子爆弾投下を30日以内に遂行できるよう準備し、「第3次世界大戦は30日以内で終わる」と主張。これを後押しするように、ソ連に対する大量核攻撃としてこれで量的に十分なのか?という議論があり、空軍参謀長は、攻撃目標70都市から220目標に拡大され、これに十分な原子爆弾が必要、との路線変更を実施した。ラメイ氏の核における圧倒的数的優勢論が採用される形になったと言えよう。
 ラメイ氏は、戦略航空軍団司令官の任期の間に、常に核戦争に勝てる態勢を取らねばならないと考え、爆撃機と燃料給油機とを24時間警戒体制、全ての航空機のジェットエンジン化、精鋭警備部隊による警備、徹底的な訓練、等により軍団の即応体制を維持し、本気で核戦争に勝つ態勢を保持した。

○ 1961-1965頃: 空軍参謀長として核戦力の主軸は戦略爆撃との持論を曲げず
  マクナマラ国防長官の強力な指導態勢の下、統計学的分析手法で軍事予算の費用対効果性を追求される中、あるべき核戦力の在り方をめぐって国防長官、統合・陸・海・空参謀長間で度々衝突。陸軍は、核戦争下の戦場における核砲弾を火砲や迫撃砲で射つ戦闘に適応することまで検討。他方、海軍は戦略核を搭載・運搬するためにソ連空軍の制空域に切り込んで行くスーパー空母を検討。陸海軍の迷走の中、空軍参謀長ラメイ氏のみは冷静に変化しつつある冷戦時代の現実に適応した戦略航空軍団の最新鋭化で対応。(この際、ラメイ氏は大陸間弾道弾ICBMプログラムに対してはあまり熱心ではなく、現実的には爆撃機による戦略爆撃のみが有効で、ICBMなどはオモチャに過ぎないと確信。)各軍種との軍事予算獲得競争では、陸海が大幅な削減をされる中で、空の独り勝ちを獲得した。
 ラメイ氏の核戦力における戦略爆撃機の重視論は、同氏の以下のような考えに基づく。弾道弾ミサイルという装備体系の重要性は米ソにとって重要であることは十分に理解するが、低強度の紛争に対して弾道弾ミサイルを使用するというオプションは、紛争を制御できないエスカレーションに瀕させてしまう。従って、ICBMやSLBMなどは国家の存亡が切迫するような事態でない限り、理性的・合理的判断に供せる信頼性の高いオプションではない。冷戦、限定戦争、総合的戦争などを通じて柔軟に対応可能で、人間が操作していて信頼性の高く、総合的に国家の安全保障にとって信頼できる装備体系は、結局は戦略爆撃機なのだ。

○ 1962年: キューバ危機における「優位なうちに敵を撲滅」論
 キューバ危機に際して、ケネディ大統領とマクナマラ国防長官と激論。ラメイ氏は、国防長官の海上封鎖案に反対し、キューバの核ミサイル基地をさっさと爆撃すべしと主張。結果的に、海上封鎖が採用され秘密裏の交渉と相まって危機は回避されたが、ラメイ氏は核ミサイルが撤収された後も「とにかくキューバを侵略すべし」と主張した。(映画「フォッグ・オブ・ウォー」のマクナマラ氏の発言によれば、大統領を囲む首脳陣の会議でケネディ大統領が「諸君、我々は勝った。」と危機回避を満面の笑みで告げた際、ラメイ氏は、「Won?, Hell! We lost! Wipe them out today!(勝った?冗談じゃない、負けたんだよ。今からでもキューバを爆撃で一掃しなきゃいかん!)」と叫んだと言う。)

○ 1963-1966頃: ベトナム戦争時にも戦略爆撃を主張
 ベトナム戦争の初期において、低強度の紛争下でマクナマラ国防長官に厳しくコントロールされながら航空作戦を展開していることから、米空軍の戦闘機の空中戦闘や戦術爆撃等がうまく遂行できていない旨指摘をされるのが、ラメイ氏にとっては我慢がならない状況だった。実態は、米軍機は大型のミサイル装備で重厚鈍重化し、機関銃装備の軽快機敏なソ連製戦闘機に勝てない形となっていた。ラメイ氏は、北ベトナムの主要都市、港湾、南ベトナムへの支援補給(施設、補給船、補給車両そのもの)、等の戦略爆撃作戦を継続的に実施すべきである、と主張。この際に、「(北ベトナム政府との交渉などせず)、“bomb them back to the stone age!”奴らを爆撃してやれ!石器時代に戻してやる。」と発言したということがラメイ伝説になっている。しかし、ジョンソン大統領・マクナマラ国防長官ら首脳部は、あくまで中国やソ連に本格介入のキッカケ(中国やソ連の補給船舶や政治・軍事の顧問団などに被害を与えないよう)を与えないように、限定的かつ慎重に目標を選定した戦術的な爆撃となった。

 以上のようなエピソードがあります。興味深い人ですよね。
 発言そのものは粗野だったりストレート過ぎるところがありますが、元自衛隊幹部であった感覚からすると、ラメイ氏の言わんとするところは非常によく分かります。要するに、ラメイ氏は実直かつ愚直に自分の任務の達成に向け邁進していたのだと思います。その当時の自分の地位・職責から、与えられた任務に忠実にあろうと努めたのでしょう。第2次大戦中の戦略爆撃については、当初ドイツ、じ後日本に対し、これ以上の戦争遂行を諦めさせるだけの戦略爆撃効果を成果として出すこと。戦略航空軍団司令官の頃は、米ソ冷戦下の現実の中で、原子爆弾及びその運搬手段について数的優勢を確保しているからには、即応態勢を高く維持して何時でも戦略爆撃の出撃ができ、それによってソ連を圧倒撃滅できる態勢を保持しておくこと。そして、空軍参謀長の頃は、空軍の態勢を維持するとともに、安全保障に関して国家としての執るべき策を大統領を空軍の観点から補佐すること。具体的には、いまだ数的優勢を確保しているのならばソ連との核戦争すら辞さず、我が損害を考慮しても最強の敵ソ連を撲滅するということも国家としてオプションの一つ、との持論で大統領を補佐すること。最後の部分は、そのオプションを大統領が選択しなくて誠に幸いでしたが、ラメイ氏はただのタカ派で威勢のいいことを言っているわけではなく、愚直に意見具申したものと思われます。与えられた任務に対して、その達成に向けて必要な手段は尽くす、その際に一切の感情を挟まず、効率効果を最大限に追求し、必ず任務達成をする。軍人としてのマインドそのものです。
 しかしながら、ラメイ氏についてやはり多くの方から糾弾されるのが、任務達成・戦勝追求の手段として、時として非人道的なことも躊躇なく主張したり、命じられれば実行するところでしょう。確かに、キューバ危機の際にソ連との核戦争も辞さずにキューバを攻撃していたら、米ソ間の大量核兵器の射ち合いとなって、勝負は米側の勝利で終わるかもしれないものの、米ソ双方の夥しい数の国民が犠牲になり主要都市が廃墟となり、・・・そこに勝者はいません。幸いにして、理性的・合理的判断のできる大統領や国防長官が賢明にもその案を採用しませんでした。
 ちなみに、ラメイ氏のこの考え方は、実はラメイ氏独特のものではなく、米国にとっては伝統的なある原型に基づくものです。日本人にはあまり馴染みがない米国の南北戦争ですが、中でも有名なシャーマン将軍がその典型です。過去ログの「マクナマラの教訓⑨」の「善を為さんとして悪を為さざるを得ないことがある」でも既述した部分ですが、マクナマラ氏の言葉をそのまま使わせていただきます。
  「善を為すためなら、我々はどれほどの悪を為さねばならないのだろうか?我々には確たる理想があり、確たる責任がある。時として悪に従事せざるを得ないことも認識している。しかし最小限にとどめねば。南北戦争の話だが、シャーマン将軍の逸話を思い出す。アトランタ市長が敵将のシャーマン将軍に街を焦土にしないでくれと懇願するが、『戦争とは冷酷/悲惨なものなのだ。』と言った直ぐ後に街に火をつけた、という。これはまさにラメイの考えと同じなのだ。彼は国を、国家を救おうとしたのだ。そして、その過程において、必要とあらば如何なる人殺しさえする覚悟だったのだ。」
 米国では、南北戦争は国民必須の歴史です。米国にとって、民主国家になってからの痛恨の出来事で、国論を二分した挙句に南部諸州は北部と国家を割る挙に出たため、南北はそれぞれの市民が構成要素の南北軍に分かれて戦いました。つい先日まで尊敬し合う仲間であった将軍や将校たちが、自分の生まれの側について戦いました。一たび戦争が始まると、日本で言えば明治維新の幕軍と官軍の戦いと同様に、一方が完膚なきまでに撃破粉砕されるまで徹底して戦うことになります。そこに条件降伏という妥協案はないのです。北軍の後半の戦い方は、シャーマン将軍のみならず、勝つためにかなりえぐいことをしました。これは軍人の性格と言うよりも、当時のリンカーン大統領が暗黙にそれを要求したからです。南北戦争におけるリンカーン大統領は、実に戦争指導者/作戦指揮官だったのです。この線から下がるべからず、とか、この都市は必ず我が手中にせよ、とか、この都市は南部の力の源泉なので使用できなくせよ、と大統領の意思が電信で伝えられ、将軍たちは求められることを具現しました。シャーマンは敢えて焦土作戦という策をとりました。南部の拠点である主要都市を焼き討ちしてしまうのです。商工業の中心を徹底的に破壊することにより、継戦能力や戦争継続の意思そのものを挫いてしまうのです。シャーマンは非人道的であることは百も承知で「悪を為す」わけです。これは、米軍にとっては伝統的な考え方なのです。勿論、時代の変遷に従い、非人道的なことをすると後で糾弾・追及されるの、最近はかなり人道的になってきたとは思いますが。


 ラメイ氏の話に戻ります。ラメイ氏の考え方を見てまいりましたが、「なんて奴だ、とんでもない奴だ。」と皆さんお思いのことと思います。今回のお話の最後は、ラメイ氏の人となりについてもう少し掘り下げるエピソードを紹介して終わりにしましょう。
 ラメイ氏の生い立ちですが、1906年オハイオ州にて鉄鋼労働者であったものの定職につかない父親と後に教師となって家計を支えた母親との間に生まれました。一家は家計のやり繰りに苦労し、あちこちを転々としたあげくに、故郷オハイオに落ち着きます。ラメイ氏は8歳にして「自分が家計を支えないと、母や兄弟たちを食わせられない」と一念発起したそうです。無口で休まず働く子に育ったようです。学校には公立しか行けず、大学では予備役将校制度で予備役になる代わりに学費を保障してもらいました。これが軍隊との出会いでした。こうした生い立ちがラメイ氏の人となりの原点のようです。
 映画「フォッグ・オブ・ウォー」のマクナマラ氏の発言によると、第2次大戦中の爆撃機隊の指揮を執っていたころのラメイ氏は、基本的に無口で(たまに言葉を発するときは、結構残酷な暴言に近い発言をする)、部下の報告に対し「分かった」/「いや違う」の2語しか答えず、自分に対する批判を一切許さない、そんな厳しく怖い上司だったといいます。また、部下達からつけられたニックネームでは、「old iron pants」、「Big Cigar」、「ever-present cigar」というのがあります。old iron pantsとは、いかなるプレッシャーにも物事に動じず、休みを取らずに働き続ける、という意味があるらしいです。そういう上司だったんでしょう。Big Cigarとever-present cigarというのは、ラメイ氏が常時タバコをくわえているところから見ての通りのあだ名がついたものです。米版wikiによれば、戦略航空軍団司令官の頃、ある任務を視察した際に、ラメイ司令官は飛行中の副操縦手席に座ってタバコをくわえ火をつけようとしました。さすがにパイロットがこれを制止しました。「何で?」とラメイ氏。「火が機体に着火するかもしれないではないですか?」とパイロット。これに対し「まさか火がつくわけないだろ!」と悪態をついたといいます。困ったオヤジですね。
 しかし、調べてみるとこれがビックリでした。実は、部下からは、「要求は高いしパワハラ気味で強面ながら、ついて行けば必ず勝つ。」と信頼を得た上で、そんな「俺たちのオヤジ」への愛称として「old iron pants」、「Big Cigar」、「ever-present cigar」と親しみを込めて呼ばれていたようです。というのも、ラメイ氏は部下に徹底した実戦的訓練を要求しますが、これはやや特権階級的な立場にあったパイロット達のみならず、誰に対しても職責・任務に応じたレベルの高さを求めて分け隔てなく厳しく訓練をしたこと、それでいてon-offを明確に分けさせ、パイロットのみならず一兵卒に対しても厚生面を充実させたこと、等が部下から信頼を勝ち得たようです。また、上司からは、「戦略爆撃に関して右に出る者はいない」との絶対の信頼を勝ち得ています。戦略爆撃に関しては、実際の実力が物語っているので、信頼を得られたことは十分頷けます。それもさることながら、ラメイ氏は、上司の命じた内容は忠実に履行することに定評があったようです。ラメイ氏的には「こっちの方がいい」と思っていても命令からは逸脱しませんでした。自分の与えられた職責の範囲では様々なチャレンジをするのですが、命じられたことは必ずやる男でした。B-29で日本から米国本土へノンストップ飛行をした際も、上司が指揮する編隊で数機が同じルートを飛び、自分の操縦する飛行機は本当はワシントンDCまで行けましたが、上司の機体がシカゴで燃料補給が必要となり、自分の機体だけで記録を作れたのに、編隊と行動を共にしました。そういうところが、上司たちからの信頼を得て、南北戦争以来の最若44歳で大将となり、空軍のトップにも立たせたのでしょう。また、こんな強面のオヤジですが、それでも孫から見たら、「いつも釣りに連れて言ってくれる優しいお爺ちゃん」だったそうです。
 (了)
 

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