ウクライナ軍のドニプロ川渡河作戦始まる:東岸に橋頭堡を確立せよ!

現地時間11月16日の南部戦線の戦況(2022年11月17日付ISW記事「Ukraine Conflict Updates:RUSSIAN OFFENSIVE CAMPAIGN ASSESSMENT, November 16」より)
ドニプロ川渡河作戦は始まっている
狡猾なウクライナ軍は音なしの構えのためメディア報道がされていませんが、ウクライナ軍のドニプロ川東岸への渡河作戦は既に開始されています。
ISW(米国の戦争研究所)の分析にて、数日前からウクライナ軍が数か所でドニプロ川の渡河を試み、ロシア軍の陣地からの渡河を阻止する戦闘が報告されていました。最新の2022年11月15日付(日本時間16日午後発信)の分析では、ロシア側の一部の報告として「既にヘルソン市の東方40㎞のノヴァ・カホウカ、同市の南東10㎞オレシキー、及び同市の西方40㎞以上に黒海に伸びる突き出る半島キンバーン・スピットに到達した」との情報があります。オレシキーのウクライナ市長が「ウクライナ軍がオレシキーを解放した」とのソーシャルメディアへの投稿がありましたが、後に削除した模様です。一方で、ロシア側のソーシャルメディアへの投稿でオレシキーから後退するロシア軍の姿が報告されています。要するに、ウクライナ軍は既に渡河作戦を実施中で、一部は東岸に達しているものの、渡河作戦は「半渡(はんと)」と言って渡河の途中が一番脆弱なため、敢えてその行動を秘匿し、ロシア軍からの集中砲火を避けているものと思われます。
東岸に橋頭堡を確立せよ
ドニプロ川渡河作戦の最初の関門はドニプロ川を渡って、橋頭堡を設置することです。橋頭堡とは、「敵地などの不利な地理的条件での戦闘を有利に運ぶための前進拠点であり、本来の意味では橋の対岸を守るための砦のこと」(Wikipediaより)であり、ロシア軍の構えるドニプロ川の東岸にウクライナ軍の攻撃拠点を設置することです。この拠点が設置されれば、この拠点が盾となって後続部隊の渡河を援護し、かつ後続部隊がこの拠点からロシア陣地に対して攻撃をする際にはこの拠点が攻撃の援護射撃をする拠点になります。
しかし、渡河作戦というのは実に難しい。まず橋をロシア軍に落とされたドニプロ川を渡らねばなりません。ドニプロ川は大河なので渡渉点によっては100mを越えます。恐らく橋頭堡が設置されるまでは浮橋(ふきょう)を使った艀(はしけ)で部隊を対岸で隠密裏に運んで、橋頭堡が設置された後に浮橋を連結して応急の架橋を設置するのではないかと思われます。
努めて隠密裏に渡河し、敵のいる東岸に拠点を築く、というのが一苦労です。このため、敵に気付かれずに比較的容易に川が渡れて、なおかつ、対岸に拠点となりそうな堅固な盾となってくれる地形があって盾の後に後続部隊を収容できる一定程度の地積がある、そんな場所を選ばねばなりません。恐らく、夜間のうちに一部の部隊が隠密に渡河し、夜陰に乗じて拠点となる地域を偵察し、同地を占領・確保を目指しますが。恐らくは、ロシア軍も警戒していますから、半渡の状態でウクライナ軍の渡河の動きを察知し、そこに集中砲火をかけてきます。こちらも西岸の後方から敵陣地に猛烈に砲撃して頭を上げさせないように応戦します。その激戦の中、拠点を設定する部隊を渡河させ、東岸に引き入れて応急の陣地を構成し、何とか橋頭堡を設置する、という流れです。当然、激戦になります。この激戦の中で、橋頭堡を設定し、なおかつ逐次部隊と装備を投入して強化して、拠点化する流れです。
恐らく、ウクライナ軍は今まさに橋頭堡を設定している最中でしょう。激戦は必至ですが、頑張ってくれ!



上が浮橋を使った艀(はしけ)、中が浮橋を使った応急の架橋(MotorFan.jp「陸上自衛隊:90式戦車も渡れる! 浮体橋とボートで構成、柔軟に運用できる『92式浮橋』自衛隊新戦力図鑑」より(※写真は自衛隊提供) ) 、下の写真は朝鮮戦争時の釜山橋頭堡
冬を見越して早期に渡河作戦を成功させ努めて早く東岸のロシア陣地線を突破せよ
よく指摘される「冬将軍」の条件下での作戦について、どんな様相になりそうかを展望します。
まず、この地域の冬は北海道以上の寒さであること念頭に置く必要があります。大陸の冬ですから、日本人の経験したことのない様相です。強いて言えば、日露戦争時の冬の黒溝台の戦闘で我々の大先輩たちが経験した状況に近いのかも知れません。今回のウクライナ戦争の地域では、過去、ナポレオンやナチスドイツが冬将軍に敗れ、厳寒の中で半死半生の退却となりました。
さて、元々の地元同士の戦いとなったウクライナ軍対ロシア軍はどうか?結論から言うと、厳寒の気候は戦闘の進展を大いに減速するものの、両国軍とも冬装備を保有し、冬でも戦闘訓練を積んでいますから、基本的に戦闘行動は継続できます。事実、ナチスドイツにモスクワ攻防戦まで迫られた当時のソ連軍は、厳冬期に頑強な戦闘を継続し、ナチスドイツに粘り勝ちしました。当時は現ウクライナ人もロシア人もソ連軍として戦っています。従って、戦況進展のスピードは鈍くなりますが、これまで通り日々戦闘は継続するでしょう。とは言え、12月半ばから一機に厳寒の気候に入り、ドニプロ川は凍結し、大地は凍土となります。このことが戦闘に大きく影響することは間違いありません。
攻者ウクライナ軍と防者ロシア軍の差についてですが、一般的に、防御側は自ら準備した防御陣地に戦闘に必要な武器・弾薬・食料・各種補給品を備蓄してあり、防寒を含め備えかつ構えているので、有利であることは明白。他方、攻撃側は、事前の準備もなく何の防護物もない敵地に自らの姿を晒して乗り込んでいくので、更に武器・弾薬・食料は携行したもので当面の戦いをしなければならないので、非常に不利です。厳寒の中、敵弾に晒されて凍る大地に身を伏せるので、敵弾下でそのまま動けなければ凍死する状況です。
厳寒期の気候が戦闘に与える影響ですが、これは攻防両軍に言えることですが、武器や戦車等の装備は厳寒下で故障や結露が起き得ます。金属の潤滑グリスが固まってしまったり、人が接する照準具や照準眼鏡の結露も起きます。故障排除するにも、修理のための後送するにも、厳寒期ゆえの困難が伴います。この点では、西側諸国の支援の下、後方補給態勢が比較的整っているウクライナ軍は有利であり、一方、ロシア軍ヘルソン東岸守備隊はウクライナ軍の長射程砲HIMARSによる後方補給拠点やチョークポイントへの砲撃により、後方補給態勢が非常に脆弱になっており、この点ではウクライナ軍が非常に有利と言えます。
また、日照時間が短くなるので、いわゆる日中の戦闘時間が短く、夜間戦闘の時間が長くなります。現地では夏季に日に15時間程度ある日照時間が、冬季には9時間程度になります。夜間でも戦闘するには照明弾による照明や暗視眼鏡の使用が必要です。この点でも、西側諸国の支援を受けたウクライナが有利、後方補給が脆弱なロシアは不利と言えましょう。
総じて言うと、12月半ば以降の厳冬期は両軍の戦闘行動に大きく影響を与えますが、戦闘行動は継続します。しかし、既述の通り厳冬期となると基本的に防者に有利、攻者に不利なため、厳寒期を迎える前に渡河作戦を成功させられるか否かがカギとなります。厳寒期の渡河作戦は非常に厳しい。ヘタをするとドニプロ川の線で戦線が膠着してしまいます。それではロシア軍の思う壺。よって、ウクライナ軍の観点から言えば、現在の戦勢を活かして努めて早期=努めて11月中にヘルソン東岸に橋頭堡を確立して、12月前半にロシア陣地線に突破口を開けて陣内戦に持ち込みたいところです。
頑張れ、ウクライナ!
(了)


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