奪還したヘルソン市が直面しているロシア軍占領の後遺症
戦況:接触線での局地的攻防のみでやや膠着した状況
前回のブログで述べた状況と大きく変わったところはありません。ウクライナ軍が東部戦線スヴァトゥヴェ~クレミンナ、南部戦線ヘルソン~ザポリージャで局地的な攻撃を実施し、これをロシア軍が防御で阻止し、結局のところ接触線の線はあまり変わらず。
ただし、ISWの最新の分析では、ロシア軍は侵攻開始以来の部隊の戦闘損耗と後方補給の枯渇により、もはや当初の戦闘のための基本編成であった「大隊戦術グループ」という体制を保持できず、残った部隊にアドホック的に新たな補充兵と旧式装備を補給する程度の劣化した戦闘編成で戦っている模様です。(参照:2022年11月2日付ISW記事「Ukraine Conflict Updates:RUSSIAN OFFENSIVE CAMPAIGN ASSESSMENT, NOVEMBER 29」)
ロシア軍が弱体化している今こそ攻勢をかけよ!(前回も言いましたが)
しかし、この状況は前回のブログで私が指摘していた懸念する状況です。厳冬期に膠着状況を許してロシアに回復する時間を与えてしまうと、春までの間にロシア軍は動員した予備役兵達の増援を受け、各正面で兵力が増強され、冬の間にイラン、北朝鮮、中国等からの装備品の再補給を受けて、パワーアップして春攻勢をかけてきます。厳冬期の戦線の膠着や和平交渉の素振りを見せるのは、ロシアの常套手段です。これに騙されてはいけない。ロシア軍が弱体化していて継戦能力を持っていない今こそ攻勢をかけるべきです。ロシア軍は薄皮一枚の防御陣地なので、縦深に重畳して戦力を置いていません。突破すると無人の荒野を前進できます。ロシアは予備戦力をそこに振り向けてくるでしょうが、突破口からウクライナ軍の後続部隊をバンバンつぎこめばロシア軍の予備部隊も対応できなくなります。
奪還したヘルソン市が直面しているロシア軍占領の後遺症
戦況があまり進んでいない中、なぜウクライナ軍は攻めないのか?何か事情があるのか?といろいろネットで関連記事を読み漁っていて、「へぇ、そうなのか…」と認識を新たにした事象がありましたのでご紹介いたします。
メディアで報道があった通り、11月中旬にへルソン市がウクライナ軍によって解放され、一時は歓喜一色で染まったへルソン市民でしたが、歓喜がひと段落したのちに直面しているのが、①ロシア軍のインフラ破壊により住民は厳冬期に避難が必要なこと、②ロシア占領下で弾圧された人々と仕方なくロシア占領を受け入れた人々の間で断絶があって住民の統合が難しいこと、の2点です。ロシアのウクライナ侵攻・占領という現実の一断面、ウクライナが直面している困難というものを浮き彫りにしている事象のご紹介です。

食料配給に群がるへルソン市民(2022年11月24日付Al Jazeera記事「Russian forces in Kherson alert as Ukraine plans next move」より)
①インフラが破壊され厳冬期に住民避難が必要
ウクライナのへルソン市では、ロシア軍によって市民生活の基盤となるインフラはことごとく破壊され、特に12月には厳冬期が始まる現実への対応策として、暖房が成り立たない以上、へルソン市民を少なくとも暖の取れる避難地域へ住民避難させるしかない現実に直面しています。このため、ウクライナ政府はヘルソン市奪還の1週間後から住民避難を開始し、避難のための交通手段、宿泊施設、医療を提供しています。
ヘルソン市解放の歓喜の瞬間からわずか1週間で住民避難ですから、むごい話ですね。しかし、へルソン市民の我が家は瓦礫の中、運よく自宅が住める状態でも食料も電気もガスも水道もなく、とても市民生活が続けられる状態ではありません。前述の通り、決め手は厳冬期に耐えられないこと。戦闘における勝利でへルソン州の州都へルソン市の解放にこぎつけましたが、ドネツ川を挟んで東(南)側にはロシア軍が防御陣地を構え、継続的にへルソン市街を砲撃してきます。市民にとっては、避難するしか道は残されていません。
(参照:2022年11月21日付Guardian記事「Ukraine to start evacuations in Kherson and Mykolaiv regions as winter sets in」)
②ロシア占領下で抵抗し弾圧された人々と占領を受け入れた人々の断絶
ロシア軍の占領に対し、抵抗するパルチザン(西側諸国の用語ではレジスタンスですが、東側諸国の用語ではパルチザン)として、或いは、努めて占領軍には消極的に従いつつも抵抗すべき一線は断固として譲らななかったためロシア軍に連行・拘留され拷問を受けた人々もいました。

ロシア軍によるパルチザン容疑者の拘留・拷問が影を落とす(2022年11月24日付CNN記事「Stories of Ukrainian resistance revealed after Kherson pullou」より)
ある者は、ロシア軍に対する敵愾心に燃え、酔ってヘルソン市内を歩くロシア兵を夜陰に乗じて暗殺するほど抵抗をし、昼間はロシア軍のパルチザン狩りから逃げまくり、ついに捕まって拘留・拷問を経験しています。多くのサイレントマジョリティの市民は、占領軍の強制に対し仕方なく消極的に従いました。それでも「ロシア国籍を取れ」には従わず、ロシア軍に連行・拘留されたりしました。(参照:前掲CNN記事「Stories of Ukrainian resistance revealed after Kherson pullout」)
一方、ある者は元々ロシア人に敵愾心を持たず、むしろウクライナ政府より実質的に生活を保障してくれるならと、占領軍やロシア傀儡州政府に積極的に従いました。占領政策で、ロシア人としての国籍・パスポートを申請すればロシア貨幣のルーブルで大金が一時金でもらえるため、これに従った人々も少なからずいました。そういったそれぞれの背景を持ったヘルソン市民が、いざ解放の際、解放の瞬間は一同こぞって歓喜ムードで迎えたものの、迎合した市民のことを「許せない」と思っていた市民たちは、解放後に心一つにはなれないようです。当然、「ロシア迎合組」を許せない人々は、「迎合組」のことを「ロシアに媚びを売った」と吊るし上げます。迎合組は忸怩たる思いで解放後の生活を送っている模様です。恐らく、一旦厳冬期の避難でクールダウンするでしょう。しかし、春以降、元の同じへルソン市民には戻れないのでしょう。(参照:2022年11月22日付 Washington Post記事「In Kherson city, sympathies for Russia complicate reintegration into Ukraine」)
解放後のへルソン市は今、こうした現実に直面しているんですね。これが、戦争というものが影を落とす厳しい現実、というものなのでしょう。
それでも頑張れ!ウクライナ!
(了)


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前回のブログで述べた状況と大きく変わったところはありません。ウクライナ軍が東部戦線スヴァトゥヴェ~クレミンナ、南部戦線ヘルソン~ザポリージャで局地的な攻撃を実施し、これをロシア軍が防御で阻止し、結局のところ接触線の線はあまり変わらず。
ただし、ISWの最新の分析では、ロシア軍は侵攻開始以来の部隊の戦闘損耗と後方補給の枯渇により、もはや当初の戦闘のための基本編成であった「大隊戦術グループ」という体制を保持できず、残った部隊にアドホック的に新たな補充兵と旧式装備を補給する程度の劣化した戦闘編成で戦っている模様です。(参照:2022年11月2日付ISW記事「Ukraine Conflict Updates:RUSSIAN OFFENSIVE CAMPAIGN ASSESSMENT, NOVEMBER 29」)
ロシア軍が弱体化している今こそ攻勢をかけよ!(前回も言いましたが)
しかし、この状況は前回のブログで私が指摘していた懸念する状況です。厳冬期に膠着状況を許してロシアに回復する時間を与えてしまうと、春までの間にロシア軍は動員した予備役兵達の増援を受け、各正面で兵力が増強され、冬の間にイラン、北朝鮮、中国等からの装備品の再補給を受けて、パワーアップして春攻勢をかけてきます。厳冬期の戦線の膠着や和平交渉の素振りを見せるのは、ロシアの常套手段です。これに騙されてはいけない。ロシア軍が弱体化していて継戦能力を持っていない今こそ攻勢をかけるべきです。ロシア軍は薄皮一枚の防御陣地なので、縦深に重畳して戦力を置いていません。突破すると無人の荒野を前進できます。ロシアは予備戦力をそこに振り向けてくるでしょうが、突破口からウクライナ軍の後続部隊をバンバンつぎこめばロシア軍の予備部隊も対応できなくなります。
奪還したヘルソン市が直面しているロシア軍占領の後遺症
戦況があまり進んでいない中、なぜウクライナ軍は攻めないのか?何か事情があるのか?といろいろネットで関連記事を読み漁っていて、「へぇ、そうなのか…」と認識を新たにした事象がありましたのでご紹介いたします。
メディアで報道があった通り、11月中旬にへルソン市がウクライナ軍によって解放され、一時は歓喜一色で染まったへルソン市民でしたが、歓喜がひと段落したのちに直面しているのが、①ロシア軍のインフラ破壊により住民は厳冬期に避難が必要なこと、②ロシア占領下で弾圧された人々と仕方なくロシア占領を受け入れた人々の間で断絶があって住民の統合が難しいこと、の2点です。ロシアのウクライナ侵攻・占領という現実の一断面、ウクライナが直面している困難というものを浮き彫りにしている事象のご紹介です。

食料配給に群がるへルソン市民(2022年11月24日付Al Jazeera記事「Russian forces in Kherson alert as Ukraine plans next move」より)
①インフラが破壊され厳冬期に住民避難が必要
ウクライナのへルソン市では、ロシア軍によって市民生活の基盤となるインフラはことごとく破壊され、特に12月には厳冬期が始まる現実への対応策として、暖房が成り立たない以上、へルソン市民を少なくとも暖の取れる避難地域へ住民避難させるしかない現実に直面しています。このため、ウクライナ政府はヘルソン市奪還の1週間後から住民避難を開始し、避難のための交通手段、宿泊施設、医療を提供しています。
ヘルソン市解放の歓喜の瞬間からわずか1週間で住民避難ですから、むごい話ですね。しかし、へルソン市民の我が家は瓦礫の中、運よく自宅が住める状態でも食料も電気もガスも水道もなく、とても市民生活が続けられる状態ではありません。前述の通り、決め手は厳冬期に耐えられないこと。戦闘における勝利でへルソン州の州都へルソン市の解放にこぎつけましたが、ドネツ川を挟んで東(南)側にはロシア軍が防御陣地を構え、継続的にへルソン市街を砲撃してきます。市民にとっては、避難するしか道は残されていません。
(参照:2022年11月21日付Guardian記事「Ukraine to start evacuations in Kherson and Mykolaiv regions as winter sets in」)
②ロシア占領下で抵抗し弾圧された人々と占領を受け入れた人々の断絶
ロシア軍の占領に対し、抵抗するパルチザン(西側諸国の用語ではレジスタンスですが、東側諸国の用語ではパルチザン)として、或いは、努めて占領軍には消極的に従いつつも抵抗すべき一線は断固として譲らななかったためロシア軍に連行・拘留され拷問を受けた人々もいました。

ロシア軍によるパルチザン容疑者の拘留・拷問が影を落とす(2022年11月24日付CNN記事「Stories of Ukrainian resistance revealed after Kherson pullou」より)
ある者は、ロシア軍に対する敵愾心に燃え、酔ってヘルソン市内を歩くロシア兵を夜陰に乗じて暗殺するほど抵抗をし、昼間はロシア軍のパルチザン狩りから逃げまくり、ついに捕まって拘留・拷問を経験しています。多くのサイレントマジョリティの市民は、占領軍の強制に対し仕方なく消極的に従いました。それでも「ロシア国籍を取れ」には従わず、ロシア軍に連行・拘留されたりしました。(参照:前掲CNN記事「Stories of Ukrainian resistance revealed after Kherson pullout」)
一方、ある者は元々ロシア人に敵愾心を持たず、むしろウクライナ政府より実質的に生活を保障してくれるならと、占領軍やロシア傀儡州政府に積極的に従いました。占領政策で、ロシア人としての国籍・パスポートを申請すればロシア貨幣のルーブルで大金が一時金でもらえるため、これに従った人々も少なからずいました。そういったそれぞれの背景を持ったヘルソン市民が、いざ解放の際、解放の瞬間は一同こぞって歓喜ムードで迎えたものの、迎合した市民のことを「許せない」と思っていた市民たちは、解放後に心一つにはなれないようです。当然、「ロシア迎合組」を許せない人々は、「迎合組」のことを「ロシアに媚びを売った」と吊るし上げます。迎合組は忸怩たる思いで解放後の生活を送っている模様です。恐らく、一旦厳冬期の避難でクールダウンするでしょう。しかし、春以降、元の同じへルソン市民には戻れないのでしょう。(参照:2022年11月22日付 Washington Post記事「In Kherson city, sympathies for Russia complicate reintegration into Ukraine」)
解放後のへルソン市は今、こうした現実に直面しているんですね。これが、戦争というものが影を落とす厳しい現実、というものなのでしょう。
それでも頑張れ!ウクライナ!
(了)


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