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2019/05/15

ヤジディ難民に安住の地はないか

ヤジディ難民に安住の地はないか

  5月9日付のブログで触れたシリアの少数部族ヤジディの民について、続報です。ヤジディの民のうちの一部に、シリアからレバノンに避難し、難民として同地に滞在している500名ほどがいます。彼らは、今やレバノン政府からシリアに強制送還を迫られ、再び流浪の民となる恐れがある中、不安な日々を過ごしているお話しです。VOA 2019年5月13日(月)付記事「Uncertain Future Awaited, Displaced Syrian Yazidis in Lebanon」より、概略は以下の通りです。
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FILE - Refugees from Syria are seen outside their tents, in the town of Saadnayel, east Lebanon, April 23, 2019. Minority Yazidi refugees now face a possible forced return by Lebanese authorities to Syria. (VOA 2019年5月13日(月)付記事「Uncertain Future Awaited, Displaced Syrian Yazidis in Lebanon」より)


<ポイント>
① 現在、レバノンに500名程のヤジディ難民が滞在。難民認定の手続きは長期間かかり、特にヤジディ難民は何の支援も受けられず、レバノン政府の保護はないどころか、手続きの済んでいない難民はパトロールで捕らえられるとシリアへ送還される状況。
② レバノンにも事情あり。元々600万程度の人口の国に、シリアから160万人もの難民を受け入れ、元々以前からパレスチナ難民を50万人抱えているため、財政的に逼迫。もはやシリアからの難民は送還せざるを得ない模様。
③ ドイツに本拠地のあるヤジディの人権保護組織によれば、ヤジディ難民のシリア帰還は迫害を受けやすく、
国際的な保護の下で以前住んでいたアフリンへ帰還することが必要であり、さもなくば他国へ移住するしかない、とのこと。
④ しかし、そのアフリンでさえ今や安住の地ではなさそうな気配。元々、クルド族の地であったアフリンに2万5千人のヤジディの民が住み、アラウィ派やキリスト教徒のような宗教的少数派も混在していた。しかし今や、トルコ軍がアフリンの街中に壁を設置し、シリア領地との境界としている状況。

<寸評>
◯ ヤジディの民の受難はまだ続くようですね。シリア国内でまずクルド系であることで虐げられ、更にヤジディ派は同じイスラム教でも少数派で、ゾロアスター教との融合のある独自の信仰なため、一般的なイスラム教徒からも「異端・邪宗」などと迫害されています。ISはヤジディを悪魔崇拝の邪教と位置づけ、特に残虐に扱ったことで有名です。彼ら自身も他教徒・他宗派とは結婚せず、信仰を守ってきました。前回のブログで話題にしたのは、内戦状態がひと段落し、元いた土地に帰還したヤジディの民が、ISに性奴隷にされていた女性や生まれた子供達を受け入れたものの、ヤジディの民の割り切れない思いが共同体の中で分裂を招いている話でした。我々も聞いていてやるせないばかりです。
  アジアでも、ミャンマーの少数派ロヒンギャ族が同様な状況です。何とか安住の地を与えてあげられないものでしょうか。国際的な支援が待たれます。
◯ シリアは、内戦以前から米国にはテロ支援国として嫌われていましたが、実は割と現実的かつ柔軟ないい国でした。ヤジディやアラウィなどのイスラム少数宗派も、シリアでは少数派のキリスト教徒も、特に酷い迫害もなく、混在して平和に暮らしていました。申し遅れましたが、若いころ、PKOでシリアにいました。現在のバッシャール・アル・アサド大統領の父親、先代のハーフィズ・アル・アサド大統領の時代でしたが、独裁者ながら政策は宗教色がほとんどなく現実路線。ゴラン高原でイスラエルと対峙しつつも、そこは棚上げして、湾岸戦争でもイラク側につかず中立でした。勿論、国内の反対勢力には残虐な弾圧をする怖さはあり、ハマという街に反政府派が巣くった際には街ごと空爆して殲滅したらしいですよ。当時、街行く車はアサド親子の写真を自動車の窓に貼って、私は政権を支持しているんですアピールを魔よけのようにしている一方、国民は結構自由にのびのびやっていましたし、ダマスカスのような大都市も田舎町も街には活気があり、老いも若きも笑顔がありました。先ほどの少数宗派の話で言えば、日本隊の関連の仕事をしてくれる現地スタッフのシリア人は原始キリストの超少数派でしたし、仲良くなった市場の土産屋のオヤジは聞いたことのないイスラム少数派でしたがイキイキとしていました。まぁ、筆者の印象であって、半年程度現地にいただけで本当のところは見えてなかったかもしれません。垣根の向こう側を通りがかりに見た程度だったのかもしれませんが。
  ISが入り込んでから、こうして内戦になってしまい、各部族間のエゴや主教的差異が手抜かりなしに衝突するようになってしまいました。もうあの頃の平和で活気のあるシリアは見ることができないのかもしれません。元はと言えば、シリアはイラク戦争の頃、イラクへ入り込む反米テロリストたちの侵入経路であり、逃走経路であり、逃げ込むシェルターでした。それがISが育ち、やがて母屋を脅かす存在になろうとは……。何とかISは弱体化しましたが、今後はロシアにバックアップされたアサド政権が国家の再統一をするのでしょう。しかし、一回開けてしまったパンドラの箱、完全に収まるまで、混乱はしばらく続き、弱き者たちが一番の犠牲者になるのでしょう。
  誠に残念な現実です。

(了)

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