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2018/09/01

マクナマラの教訓: ⑦ベトナム戦争: トンキン湾事件をめぐって

<映画「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白」に学ぶ ⑦ベトナム戦争:トンキン湾事件をめぐって>

 前回は、マクナマラ氏がフォード社時代のお話でした。映画(マクナマラ氏へのインタビュー)の続きは、その後の同氏の動きが話されます。辣腕を買われてフォード社社長になった同氏に、就任直後のケネディ大統領から国防長官をやってくれとの打診を受け、同長官に就任、その後ベトナム戦争本格介入前のケネディ時代のベトナム政策、ケネディ暗殺を経てジョンソン大統領の政権下でのベトナム戦争本格介入へ至る部分になります。そのベトナム戦争本格介入になるキッカケとなったのがトンキン湾事件であり、今回の教訓7「信念や視認した真実がともにしばしば判断を誤る。Belief and seeing are both often wrong. 」のテーマとなります。前回お話ししたように、インタビューアーを兼ねたモリス監督がベトナム戦争の話題に切り込んだ際に、マクナマラ氏は「その話題は冷戦の文脈の中でアプローチさせてくれ。」と言って、わざわざ終戦後から話し始めた部分ですので、その冷戦の文脈について触れつつ、トンキン湾事件の教訓を反芻したいと思います。

 辣腕を買われてフォード社の新社長になったばかりのマクナマラ氏に、これまた大統領選挙で勝利し就任予定のケネディ氏から弟のロバート・ケネディ氏経由で打診がありました。結局ケネディ氏本人とも会って受諾します。フォード社の社長という将来を約束された世界一の高給取りから、名誉はあるものの薄給の国防長官への転身は、それこそさぞサプライズ人事だったことでしょう。この国防長官就任の経緯を語る時の同氏は、いかにも自慢げで嬉しそうで、懐かしそうにケネディ大統領を語っています。この後、ケネディ政権下でのベトナム政策の話題に移り、1963年にベトナム視察から帰国した同氏は大統領に、もはや米国からの軍事顧問団を2年以内に全て撤退した方がよい旨意見具申し、大統領もこれを発表(10月末)します。ところが、その直後(11月2日)に南ベトナムでクーデターが起こり、後押ししていたゴ・ジン・ジェム大統領が殺害され、ケネディ大統領も相当なショックを受けたようです。そして更に間もなくしてケネディ大統領が暗殺されます。マクナマラ氏は長官室でロバート・ケネディ司法長官から電話で知らされます。失意の中、アーリントン国立墓地に大統領の墓地にふさわしい場所を確認に行き、ここしかないという適地を決めて大統領夫人にも確認してもらいます。後日、公園レンジャーの担当者が同氏のところに来て、まさにその場所は数週間前に大統領がこの地を訪れ「ここはワシントンで一番見晴らしがいいね」とお気に入りの場所だったという逸話を聞いたのだ、と涙を滲ませ声を詰まらせながら語ります。

 ここからジョンソン政権に話が映ります。映画では、1964年2月25日の肉声テープで、電話にてジョンソン大統領からベトナム戦争への関わり方について「修正したい」と言われ、当惑するも押し切られる同氏の声が聞こえます。この時、大統領がこういう文言をスピーチに入れてくれ、と注文したのが当時の冷戦ならではのドミノ理論です。
  「我々には、ベトナムの自由に対するコミットメントがあるのだ。
  もし我々が撤退すれば、インドシナにおけるドミノが倒れあの地域は共産化する。
  ある者は、もし海兵隊を送れば第3次大戦或いは朝鮮戦争のようになる、と主張する。
  他方で、なぜもっと介入しないんだと尋ねる者たちもいる。
  しかし、戦争拡大も更なる宥和政策も、我々はいずれも望まない。
  我々の政策の目的はあくまで南ベトナム軍の訓練であり、
  順調に訓練は遂行されているのだ。そう言えばいいのだ。」

 驚くのはこのあとの大統領の発言です。
  「私は、これまで君が撤退について何か発表をするたびに馬鹿げたことだと思ってきたのだ。
  撤退について言及するなんて心理的に悪影響がある。
  君と前大統領の考えは私とは全く違うものであったが、当時私は黙って聞いていた。
  そこで質問だ、
  戦況が劣勢になって撤退を口にするなんてマクナマラの奴は一体何を考えているんだ?
  ってね。」
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 また、同年6月9日の肉声テープでは、介入の度を強めようとしている大統領に、マクナマラ氏はCIAからの現地情報に言及しながら、南ベトナム軍の訓練はうまくいっておらず、士気もモラルも低く、国民の心も軍や政府から離れており、これは現地に派遣されている報道関係者からも現地政府の要員から自ずと漏れていくはずである、とご注進し、「これ以上の介入を続けるのであれば、そろそろ国民に説明をする必要がある。」と訴えます。しかし、大統領は今言っても戦争屋だと叩かれるだけだ、タイミングとしてよくない、とかわされています。

 こうしたズルズルと介入を続けた挙句に、1964年8月2日と4日のトンキン湾事件が起きます。トンキン湾で哨戒活動をしていた米艦艇に対し、北ベトナム艦艇から魚雷攻撃及び機関銃の射撃があったため、これに米側も応戦した、というものです。実は、2日の攻撃を受けたことで米側が「北ベトナム軍から攻撃があったこと、応戦したこと、北ベトナムに対する厳重抗議」を4日に発表したところ、同日中にまたトンキン湾で同様の2回目の攻撃があったため、現地時間同日夜に報復として初めて爆撃を実施、7日にはいわゆるトンキン湾決議によりジョンソン大統領は必要な措置が取れるという強力な大統領権限を行使できるようになり、じ後の本格介入、北爆開始のキッカケとなりました。
 しかし、マクナマラ氏は、当時の米政府の実際の認識として、2日の攻撃は実は当時本当に攻撃だったのか疑問が残るもの、とされ、他方4日の攻撃は本当に攻撃されたもの、と判断されていたと述懐した上で、後に分かった事実として、真実は当時の認識と反対であり、4日には攻撃されておらず、2日は実際に攻撃をされていた、と語ります。これが、教訓7「信念や視認した真実がともにしばしば判断を誤る。Belief and seeing are both often wrong. 」です。

 ここをマクナマラ氏のインタビューの話のみで素直に解釈してみます。
ベトナム戦争への米軍介入の初期に、冷戦期のドミノ理論の観点から退くに退けずにズルズル介入をしていた。「北ベトナムからいつか攻撃があるだろう、その場合は応戦するぞ。」と構えていた。ある日、攻撃らしきことを確認した、事実そのように見えた、報告し応分の応戦をした。報告を受けた米政府は抗議した、その直後にまた攻撃された(らしい)、となれば大統領に権限を与えて、必要な措置がとれる態勢にシフトチェンジした。しかし、事実は必ずしもその通りではなかった。そういう信念=思い込みや実際に見た=確認(視認)したという話は往々にして判断を誤るのだ、というのが教訓だ。 ・・・と言ったところでしょうか。

 しかしながら、この映画以外の公刊資料、北ベトナム側の発表、数年経ってからのスクープ的な文書の公開や発言などからすると、実際の話はいささか複雑怪奇です。特に、今年(2018年)3月に公開されて話題にもなった「ペンタゴンペーター」の存在など、実はトンキン湾事件は米軍の自作自演だったのだ、といった認識が今や常識的になっています。曰く、米政府、国防省ははじめから本格介入するために事件をねつ造したのだ、と。確かに、また、当時国防省が作成し開始していた作戦があること、その日トンキン湾にいた哨戒艇は「哨戒」の名のもとで北側を挑発していたこと、covert operation(隠密作戦)ながら南ベトナム軍が実施している形をとりつつ実質的には米軍が実施した様々な破壊・妨害工作や軍事作戦があの頃実施されていたこと、などが後日明らかになっています。
 では、全くのねつ造であるのなら、マクナマラ氏は虚偽の話をイケシャーシャーと厚顔無恥にしているのでしょうか?肉声テープの艦艇の報告は、お芝居であって全くの台本読みでしょうか? 
 ここが複雑怪奇なんですよね。1971年にスクープされ、やがて公開されることとなったペンタゴンぺーパーとは、正式名称は "History of U.S. Decision-Making Process on Viet Nam Policy, 1945-1968" 「ベトナムにおける政策決定の歴史、1945年-1968年」というもので、国防省の内部文書です。しかし、これがなんと、作成を命じたのは当時のマクナマラ国防長官その人なのです。同氏は、ズルズル介入が本格介入になり、抜き差しならない泥沼化していく様を見て、大統領の忠実なスタッフ・部下としての忠誠心と、これはおかしいんじゃないかという正義感とのはざまで、ジキルとハイドのような勤務をしていたことでしょう。しかし、さすがに自由と公正の国、民主主義の国アメリカの公僕として、部下に命じて日の目を見ないであろう事実を記録させたのです。あれ?それにしてもペンタゴンペーパーには「あれははじめから自作自演のねつ造だった」と書いてあったのでしょうか? ペンタゴンペーパーの趣旨を確認しましたが、そうは書いてないんですよ。基本的な論旨は、米国は不十分な手段(兵力の逐次投入などの介入の仕方)によって過大な目的(インドシナの共産化を堰き止めること)を追求した、ということであり、ただただ共産主義の膨張、ドミノ理論を何とか堰き止めたい、という官僚たちの努力が感じられるものです。しかし、ここに実はトンキン湾のずっと前から介入に向けての計画があった件、様々な工作活動や事実上の米軍の作戦への関与等はあったこと、等は書かれているようです。スクープされた1971年はまだニクソン政権下でベトナム戦争の最中でしたから、さぞや反響は大きかったことでしょう。そんな計画があったなんて、ねつ造・陰謀があったに違いない・・・と思われるかもしれませんが、軍隊というものは常に最悪を想定し、その最悪のシナリオをどのように対応すべきかというのを、大まじめに見積もって不測事態対処の計画を立てるものなのですよ。私にとっては全く不思議がありません。計画は当然ですが、米軍の場合はその各種手段・能力があるので、covet operationでいろいろな工作活動などを実施する奴らなんですよ。そこは自衛隊にはないですね。脱線してすみません。 しかし、トンキン湾の件は、映画の中で同氏が語ったように、8月4日はなかったのに事実を誤認し、攻撃があったと判断したこと、2日の攻撃は北側の事実誤認で米軍を南ベトナム軍と間違えて北側の攻撃の事実があったこと、が書かれているわけで、まさに同氏の発言と同じです。ただし、これを契機にジョンソン大統領が戦時権限を得て、じ後の本格介入に入っていったのは事実ですね。


 こうして、冷戦の論理の中でベトナム戦争に本格介入していく米国。教訓は次回以降もベトナム戦争の話題が続きます。
(了)

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